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【小説】異国情景:ドアの街

 迷宮館の扉から繋がっているのは、なにも無人の廃墟だけではない。
 どことも知れぬ世界の生きた都市に繋がっていることもある。

 ウィルが異界の扉を開けると、最初に目に入ったのは石畳の町並みと、反対側にある建物だった。漆喰で塗られた灰色の建物に比べて、アーチ型の緑色のドアが目立っている。ドアの周囲だけが煉瓦が剥き出しになっているが、それがドアを強調して目立たせていた。
 それほど変わった街ではないなと思ったが、一歩外に出てみると、その認識は一気にひっくり返された。なにしろ街道を見下ろすように、山のようにドア、ドア、ドア……。

 建物のありとあらゆる場所にドアが付けられ、そのどれもが派手だった。
 建物自体の地味さと比較すると、ドアの派手さは尋常では無い。まるでこの街ではドアこそが建物の顔であると言いたげだった。
 最初に目に入ったアーチ型の緑色などすぐに霞んで――いや、派手な景色のひとつになった。次に目がいったのは真っ赤なペンキで塗られた木製の両開きのドアだ。四角い赤の上はルネットのようにアーチ状のガラス戸がはめ込まれている。
 横木の上のアーチに装飾が施されたものもあるが、それも様々だ。妙に精巧なパンとパン職人が描かれていることもあれば、ベッドが描かれているものもある。これはきっとパン屋と宿屋だろうとあたりをつける。そうでなければ看板さえないドアにどうしてこんな意匠の装飾をつける意味があるのか。そのうえ窓のほうは白く濁った素材のガラスが使われていて、中が見えづらいというのに。それに、そのドアからパンの袋を持った人間が出てくることもあるので、余計にこうした文化であるというのをたたき込まれた。
 ――なんだここ……。扉が観光の目玉か何かか?
 さすがにこれだけドアが目立てばそうも思えてくる。
 漆喰の白さえ無い中世の路地裏めいたじぐざぐの道にさえ、ドアの数が尋常ではなくつけられている。一階部分だけでなく二階部分でさえそうだ。窓の代わりにドアが付けられているんじゃないかと思う場所さえある。

 とはいえあまりに物珍しげにまじまじと見ていたからか、住人とおぼしき中年の男に話しかけられた。
「兄ちゃん、この国ははじめてか」
 あまりに典型的な台詞すぎたが、思わずそんな台詞を吐くほど挙動不審に見えたのだろう。
 ウィルは頷くしかなかった。
「あんた、この国の名所をわからずに来たのかい?」
「単に休憩に寄っただけだからな」
 実際は休憩どころか探索だが。
「へえ。ここに来る客はだいたい、ほれ、このドア目当てに来るんだがな」
 中年男はウィルに向けていた視線を通りへと向ける。
「風景っていうか、見た目がいいっていうか」
 写真映えみたいなものか、と言いたくなるのをぐっと堪えて、なんとか違う話を喉の奥から引き出す。
「どうしてこんなにドアが派手に?」
「昔はな、このあたりじゃ、ドアから幸運が入ってくるって言われてたんだ。だから幸運を誘い込むために、ドアを目立つようにしたのさ。そしたらそれがいつのまにか国の観光名所になってた。そうしてこの有様だよ」
「へえ」
「この辺は古い通りだからな。あっちの方に行けばもっと派手なのが見えるぜ」
「そうか。ありがとう」
「どうも。いい滞在を」
 どうやら男はこの説明にこなれていたようだ。金を無心されなかっただけ良しとして、ウィルは歩き出した。そしてちらりと自分が入ってきた扉を見る。茶色くて、この派手さの中で逆に目立つのではないかと思ったが、ここで見るとそうでもない。埋没している。ウィルは踵を返して、この町の探索に赴くことにした。
 小さな橋の下のトンネルをくぐり抜けると、漆喰の無い、煉瓦剥き出しの茶色い壁面に変わっていた。そうなるともう、白という色さえドアを装飾する色のひとつに様変わりした。こういう作りの町だと窓際にプランターがあるのをよく見かけたが、そういった装飾もここはすべてドアが担っていた。
 ひとつは真っ白なドアに、植物の絵が彫られ、その上から赤や黄色、緑といった派手な色が塗られているもの。
 ひとつは緑のドアを囲む木枠に、生きた蔓性植物を絡めていくつものピンク色の花を咲かせているもの。
 ひとつはドア一面にドライフラワーをはめこんで、更にその色で巨大な花を作っているものまで。
 芸術だと言われたら納得してしまいそうだ。
 やがて大通りに近づいたのか、人の往来が増えた。こうなるといかにも観光地という気配がしてくる。

 そうしてようやく明るい大通りへとたどり着くと、そこもドアだらけだった。
 単色で塗られたもののほとんどはビビッドカラーで、ピンク色や紫、黄色といった派手な色が使われている。それも単に赤一色のようなものでなく、細かい装飾がされていたり、逆に白で彫刻が施されているものもある。茶色の地味な色のドアにさえ、大きさの違うステンドグラスがはめ込まれている。
 ウィルはしばらく往来の人々の会話に耳を傾け、銀貨という言葉を聞き取った。
 世界が違ってもある程度その場所の通貨がわかればなんとかなるものだ。ドアよりもずっと地味なホットドッグ屋に目をつけると、出窓に近づく。
「この辺りの金を持ってないんだが、銀でも大丈夫か」
 男はまじまじとウィルの差し出す銀貨を見た。
「本物の銀だ。混ざり物は無いはずだが」
「ふうん。ならいいさ。釣りは出さねぇけどな」
「仕方ないな。じゃあホットドッグを一つ……、ソースはトマトとオニオンので」
「あいよ」
 男がソーセージを焼いている間、ウィルは出窓の隅に背を預けて通りを眺めた。それとなく男に声をかける。
「しかし凄い見た目の町だな。カラフルというか……派手というか……」
「あんた、旅行者か。ここを知っててきたんじゃないのかい?」
 ウィルは路地裏の男にしたのと同じ説明をする。
 その間に男はソーセージをパンに挟み、トマトとオニオンのソースをたっぷりとかけた。
「はあ、なるほどな」
 そう言いながら紙に包まれたホットドッグを手渡す。受け取ったホットドッグに、先に軽くかぶりつく。少しピリッとした辛さがうまさを引き立てていた。
「それじゃあんた、このあたりの伝説も知らないのか」
「伝説って、ドアの?」
 ウィルは口元についたソースをなめながら尋ねた。
「そうだ。別の世界に行ける『扉』があるってな」
「……本気で?」
「本気さ。都市伝説みたいなものだがね」
 男は頷いた。
「これだけ派手なドアがある町なんだ。ひとつくらいは違う場所に通じていると信じられたっておかしくないのさ。昔は大人たちだって、子供をよく脅したもんさ。早く帰ってこないと、ドアの向こうから悪いものが来るとか、変なドアを開けると戻ってこれないとかな……。どこで旅人たちに知れ渡ったのかは知らないが、そういう話はどこかしらから出てくるもんだ。ドアの先が、ひょっとしたら未知の世界が広がってるんじゃないかってな」
 男は視線をウィルに戻す。
「みんなどこかに行きたいのさ。あんただってそうだろう?」
 一瞬、どう答えたものかと言葉に詰まる。
「たとえば、ホットドック屋とか」
 男は冗談のようににやりと笑った。
「あー……なるほど」
 からかわれたのだとばかりに少し頭を掻く様子に、男は爆笑していた。

 ホットドックを食べ終わり、紙を屑籠に捨てる。まいど、と手を振る男に、同じように軽く手を振って応える。ドアの町は確かに、あらゆる場所に扉があった。
 出窓が無ければ何屋なのかさっぱりわからない場所さえある。ここではドアが看板の役目も果たしているため、ドアが過剰に装飾されているものもある。ドアの上にドアの装飾がされているものなど、いったい何かと思えば、土産物屋だったりした。このぶんだと教会と公共施設の区別がつくかもわからない。ふらりと入った土産物屋には、ドアの形を模した置物がたくさん売っていた。ひとつひとつ手作りで少しずつ違うらしい。こんなものを持ち帰ったらそれこそ異界への扉になりそうだ。
「……別の世界、な」
 扉がある場所というのはそういうものなのだろうか。

 夕暮れが迫ると、いくつかのドアはライトアップされるようになった。白いドアに光が灯されると派手な意匠が浮かび上がるものさえある。夜にも妥協しないらしい。人々が宿へと戻るのを見ながら、ウィルは元来た道を戻った。
 人通りが少なくなり、最初の漆喰の塗られた壁の場所に戻ってくると、自分が入ってきた扉をまじまじと見た。茶色くていかにもよくある扉だった。地味で、派手さも何もない。案外こういうものが異界に通じているのだろう。なにしろ異界から来ているのは他ならぬ自分なのだから。
 それなら、伝説が本物にならないうちに帰るべきだろう。
 扉を開けると、この町に似合わぬ冷たい風が吹き込んだ。扉の向こうには見慣れた館の廊下が広がっている。周囲の建物を無視して広がっている廊下は、まさしく異界への扉だ。
「ここもある意味似たようなもんだな……」
 均等に扉の並ぶ廊下がどこまでも続いている館を見ながら、ウィルは扉を閉めた。

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