自分の話しをして 「そんなの考え過ぎ」 と言われると ものすごく傷つく。 でも、それも またときによりけりで 全面的な肯定をされ続けても いつかどこか懐疑的になったり 疲れたりもして もとに戻りたくなったりもする。 要するに人間 飽き性の贅沢者なのかも しれない。
この時期アスファルトの上を想像すると、 そこに揺らめく陽炎のような都会の街に 精神がジリジリと焼き付くようで とたんに澄んだ水の流れる川にでも行きたくなる。 おやすみに出不精の自分が行きたいところ うーん、うーんと考えて やっぱり川がいいなと思うのだった。 前に2回ほど訪れたことのある場所。 駐車場についてしばらく歩き、 水音が耳に入り初めると、水を含んだ空気の匂いがする。 体感温度も自然に下がる。 土の道を通り抜け、石の道を通り 開けた場所に出ると、4、5グループ
自分がいるべき決まった場所がある というのはとても強い。 それがない人間はとても弱くなる。 人はひとりでは生きていけないとは 本当にそのとおりだと思う。 家族や友達や、同僚や知り合い 街の誰かやペットでもいい。 自分以外のなにかにふれることで 自分を実感するのだから。
生きる目的があるって どんな感じか。 押し付けられたものじゃなく 人が見つけたものでもなく 自分で見つけたもの。 同時に生きるとはなに? という問い。 何億もの人がひしめく この地球の上で生きる。 社会のなかで生きること。 いったいどういうことなんだろ?
先日初めてアートセラピー というものを経験した。 アートでセラピーってあやしげ。。。 と半ば引き気味に、 半ば興味深く体験した。 アップテンポな曲が流され、 筆で描いていく。 最初は何を書こうか まごついていたものが 音やファシリテーターの言葉に 促されて勢いに変わっていく。 勢いに変わると小さな筆で書くのも もどかしくなって大きな筆へ。 それもまたもどかしくなって 指で描き進んでいくようになった。 からだ全体が筆のような感覚に変わった。 絵の中に集中する、飛