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夏まで関係ない喧嘩で待つな

田舎な神奈川にも庭がなかなかない

以前平塚市に10年以上住んでいました。

社宅住まいだったので…
家賃は笑えるほど安かったデス。

社宅の家賃は…
築年数で決まっていました。

そのボロ社宅は住み始めが
築30年だったので…
賃料は本来基準のほぼ7割引
60平米の賃貸を同じ地域で借りて…
住居手当を満額貰う負担の
半分程度でした。


おかげで国産の安い乗用車1台

ほど貯金ができたという経済的なメリットと
「海岸まで歩いて5分」
「大磯町との境目花水橋まで徒歩4分

大磯と平塚の境界線は…
ダッシュすれば1分もかからない位置にありました。

橋の向こう岸にも一部平塚市があり…
花水川の流路変更により境界線が複雑という話を喜ぶのは…
地理屋か歴史マニアの一部だけでしょう。

小生が住んでいた場所は

「箱根駅伝平塚中継所の真ん前」でした。
西湘バイパス入口にかつて存在した
「花水レストエリア」は往路3区のランナーがラストスパートで駆け込んでくる中継所が目の前であり…

当時は我が母校も
「優勝争いには加われないけれど…」
10以内には…ほぼいる状態
正月2日は一杯加減で3区の最終区間を134号線の沿道で
母校の小旗を振って応援するのが通例でした。



大磯町の海沿いは

明治中期に伊藤博文公の別荘が出来て以降…
住宅地というより別荘地として発展したエリアです。
社宅周辺は豪邸だらけで…
瀟洒な邸宅が居並ぶ風景…
まさしく高級住宅地

なぜかその一角に
「無粋な社宅がぽつんと2棟」
その経緯をご存知ない方々には
「なんで高級住宅街にボロ家」
を彷彿とさせる景色です。

この住宅地はかつて

旧平塚海軍工廠の工廠長や幹部職員の住宅地だった関係で
戦後も簡単に処分できませんでした。

戦後急速に発達した市民の権利…
現実に住んでいる人々無理矢理追い立てるのは民主的ではありません。
一部は不法占拠ですが…

その人々を強制排除するのはのぞましい手段ではありません…
それは至極真っ当な判断です。

工廠自体は

日産や横浜ゴム・パイロット他…有名企業へ払い下げられましたが…
昭和30年代まで花水川左岸(東側)の空地や旧家屋はそのまま放置されていたようです。

当時の大蔵省は現代の財務省より先見性があったのか…
景勝地の眼前に広がる土地の利用価値を模索していたのかは不明です。

しかし戦後の住宅不足や生活レベル向上で湘南エリアまで首都圏の宅地化の大波が打ち寄せ…

この空地を利用しない手はないと
平塚中継所近隣に昭和40年代初頭に建設した近代的な社宅が
成れの果て化した頃に
小生が住んでいた「平塚宿舎」です。


海自は自前でたくさん土地

を保有しています…
旧海軍省の遺産である国有地が多数あります…
防衛省所管の社宅などは
「即応体制の維持」という必要性から…
日本各地に建物と用地を抱えています。

ただし…「旧平塚宿舎」は海軍工廠という国営の工場の付属物で…
「敷地が広大で一括払い下げできない」
という事情によって
大蔵省が所管する国有地でしたが…

元は海軍の用地であり…
「どうせ空地だし50年くらい防衛庁へ貸してあげる」という判断によって
当時としては
「近代的で間取りのゆったりした社宅」
が空地の端にぽつんと建設されました。

「土地の有効活用を考えて空地のママ保存」という大蔵省の言い分が詭弁だったのは…
その後の無分別な土地の切り売りによって露呈しました。

払い下げの結果官舎の周りはあっという間に住宅街に変化しました…

ただし大磯町の別荘地エリアと川を挟んで向かい合う立地の良さと
加山雄三さんが火を付けた「湘南スタイル」が…ゆったりとした邸宅街を生んだ要因でしょう。

結果として…高級住宅街にボロ社宅という状況が出現しました。

しかし…昭和の時代からこの土地に住んでいる住人は
「この場所の経緯を覚えている」ので
自治会や地域の祭りなどで…
「海自さんも参加してください😊」
と良好な関係を保っていました…



が!!

平成になり…桑田さんに憧れて
湘南住まいを始めた方々には
「物凄い高価な費用を支払って手に入れた宅地なのに…風景を邪魔する物件」古い社宅が迷惑に思えるのも仕方がありません…

新しい住人ほど地域のスタイルに合わない建物を蔑視していました。

海自としては定期的にメンテナンスを実施していたので
「築年数の割にはキレイで住みやすい社宅でしたが…」
償還期限以前に国有財産を建て直したり撤去する理由はなく…

新規参入住人と社宅組の関係は疎遠になって行きました。

海自は慢性的な社宅不足のため

「建て替え更新を模索していましたが…」

民主党政権が
「赤坂議員宿舎をやり玉にした結果」
新規の宿舎建設や建て替えが…とある議員の
「ムダ」という一言で頓挫し
誰も住まなくなった「旧平塚宿舎」は
還暦を迎えます。

さすがに…もう撤去しても…良いと個人的には感じますが…
財務省の問題なので口出し無用だそうデス…
なぜ撤去しないのか不明です…

地元の住人は「海自がボロ家を放置」していると思い込んでいます…
以前の管理者は海自デス
しかし店子は…大家に従って退居済みです。
財務省が管理者だと…どこにも明示されない状況は…辛いだけです。


この宿舎で子育てした小生には…

思いでが詰まった場所が朽ちて行くのは悲しい😢

天気の良い冬の日には…
乳母車をおして
「海水浴場発祥の地大磯海岸」で眺めた富士山は絶景でした…
良い思い出が充満してます。

だからこそ

「誰も住めなくなって無残に朽ち果て地域住民の迷惑な存在として蛇蝎のように悪感情を持たれる旧平塚宿舎」
を放置する財務省が…キライです。

この宿舎は正月だけ問題が発生しました。

そうです
「箱根駅伝平塚中継所に近い」から…
なぜかは知らねど
「駐車場が無用に広い公営住宅が平塚中継所の前にある」
そんな評判が経ってしまいました。

自衛官は盆暮れ正月しか長い休みが取れなかった時代です。

従って…正月は社宅住人は帰省で出払っている。
帰省しない住民も転勤族が多いので
「ナンバープレートは他県ナンバーが多い。」

社宅住人には「不信な他県ナンバーが正月に住人の駐車場を占拠している」
それは一目瞭然ですが

違法駐車をする人には
「青森.佐世保.広島.横浜.山口.沖縄」日本各地のナンバープレートが並ぶ駐車場の隙間なら…
「他県ナンバーでも違和感がない」
そう感じられたのでしょう。


箱根駅伝の期間だけ…不法駐車車両が
「住人のクルマを凌駕するほど溢れる」
困った状況を出現させました。

でも…社宅である以上ナンバープレートには一定の法則があり…

他の住人がでられなくなるような止め方をする住人はいない。

それどころか社宅の出入り口や邸宅街にまで堂々と違法駐車する輩まで出現し…

自治会では「違法駐車阻止要員」を
正月に立番させる…
万全の体制で臨みました。

お陰様で…母校が見事入賞圏内でタスキを渡した年だけ…
小生は自治会の役員として…
「違法駐車阻止隊員」の任務のため
リレーの瞬間を
「歓声」のみを遠くから聴きながら…
ラジオで感激を賞味させて頂きました。

社宅の郵便受けには

「自衛隊反対!!」という
思想の違いをハッキリ表明できない気弱な左翼の皆様が
「住人は自衛隊員だから文句を言っても大丈夫」
という根拠不明の怪文を投げ込み
日常的にポストを占拠していました。

それは「ある種の諦めで」我慢しました。

一番困惑したのは

「地域の美観を乱す官舎住民に告ぐ【転居せよ!】」という怪文です。

美観については…
個人差がある主観の問題ですが…
退去せよと大上段から振り下ろされても…
「社宅住民が積極的に湘南ライフを希求して…住んでいる訳ではない」

転勤地の社宅に注文出来るのは上層部だけで…
ほとんどの住民は「平塚がどれほど横須賀や東京から遠いのを知らない。」のです。

その旧平塚宿舎も…
やっと整理される…ような予感が…
あれほどまとまった広さの土地をほっておくのは
「経済オンチの財政官庁」でも…
♫罪つくり罪つくり〜
「昼日中から酔っぱらいているのは正月前段戦だけです」

箱根駅伝人気はテレビの衰退に比例せず…

観戦者は引きを切りません。

法治国家だ!
コンプライアンスだ!
と拳を振り上げる人々を見るたびに
「あの怪文は誰が…」
投げ込んだのか?

「小生のつくり話でも…自作自演でもありません。」元住民は衆知の事実です。

他県ナンバーの防御は最初の1台が肝腎です。

1台敷地に侵入したら…
あとは堤防決壊勢力が防御側を上回るのはウクライナ紛争でもわかる戦訓です。

関係ない喧嘩だと…

傍観していると巻き込まれるのが世の常です。
お隣さんが…豪邸でも…例えベントレーに乗っていても
無分別な…出ていけ!には
ちゃんと応じないとつけ込まれる。
「どうせ夏には転勤」
とたかをくくっていると

「後に住む後輩が訳の分からぬ怪文でアタマを抱える」

さてこの文章のタイトルは回文だと…気づかれましたか?
副題の田舎な神奈川も…

これが小生のくだらない「伏線回収」
です。
記事1話だけで…終わらないから…
オヤジギャグは面倒くさい…

回文が怪文では
「堂々巡りで結論がでない」

以外や意外
と巻き込まれ
私負けましたわ
と敗北せぬような注意力が肝要です✨

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