終着駅へ行ってきます 『青函連絡船第1回(改)』 18切符と宮脇俊三
古い函館駅
心の片隅にだけ残っている懐かしくて…
汚いトイレ…
国鉄をかばうわけではないのだが
津軽海峡ではゆっくり
用をたせなかった乗客が駆け込むトイレ…
世界一美化が難しいと言われていた場所・・・
記憶にあるのは・・・くさいにおいだけ
第1節 青函連絡船と18切符
青函トンネルの工事が佳境を迎えていた
昭和五十八年三月
18切符を利用して
青函連絡船全十七便に乗船した。
発売当初
この切符は一枚目が二日券
残り四枚は一日券
合計六日間を一万円で利用できる仕組みだった。
このきっぷは
昭和五十七年春に登場した国鉄発案の…
大ヒット企画商品だ。
発売開始から四十年以上経過しても
人気商品としての王座は揺るがない。
国鉄の企画切符としては
僥倖ともいえるロングライフ商品である。
周遊券の廉価版そういう性格付で
「安かろう悪かろう」という側面は否定できない。
『無頼漢鉄道マニア』に濫用される危惧が
国鉄内部では拭えず
『どうせ過渡期の商品』という認識が発売当初の
本音だった。
当時の国鉄上層部は
旧鉄道省出身者が君臨していた。
役人気質をたっぷりふくんだ企業体質が
国鉄に蔓延していた病巣だ。
第2節 国鉄と役人気質
長年の赤字もその大半は自分達が
招いた失敗ではなく……
『責任はすべて政治屋にある!』
そう言った責任転嫁の体質と棚上げは
お役所そのものだ。
その伝統と体質のほとんどは……
国交省がしっかりと受け継いでいる。
『安全のためなら利益なんて
犠牲にしても仕方ない』
そんなトンデモ理論がまかり通る組織だ!!!
現行のJRがきいたら卒倒しそうな感覚だ。
利益と安全の両方を確保しているJRと
「本当に同じ出自か??」
といぶかしむほど
伝統は隔絶している。
「どちらか一方しか選択しない」
そういう判断は役人気質の王道だ。
日本の自動車メーカーを苛め抜いて
足を引っ張ることを業務の大半とする自動車局は
鉄道省の直系子孫のような部署だ。
事務官偏重と
技術を軽視する…
体質は連綿と受け継がれている。
国鉄になり鉄道省という役所から切り離されて
「初めて新幹線計画が可能となった」
そんな評価は内部に近いものほど…
骨身に染みている実感らしい。
長年役所勤めだった小生には…
痛いほど共感できる感覚だ。
営利と公共性を両立させる企業体その意識より
国家の一部門という意識の
強い旧鉄道省官僚を早期に駆逐できなかったことが
国鉄…最大の欠陥だ。
「スト権スト」という現代の意識では「ハテナ!?」と
首を傾げたくなる…利益度外視の不思議な体質は
JRへ脱皮するまで…一部で温存された。
第3節 リニアと技術屋
『技術者優位』
その思想法は
役所ではない企業の感覚だ。
事務屋優位のメーカーが革新的な技術を開発
できるだろうか??
自社の利益の数十倍をかけて
リニア中央新幹線をJR東海が開発している事は
この会社が「事務屋の会社」ではない事実を証明している。
第4節 父・宮脇 母・18切符
企画切符の出世頭…
18切符は…
長男「周遊券」を凌駕しつつある。
長寿命である長男の利用者は
減少の一途である。
いつの間にか「総領の甚六」は
大黒柱の座を次男に明け渡している。
次男の「18切符」ですら…
後厄を過ぎた中年だ。
その中年の彼が
日本の鉄道旅行に果たした影響は極めて甚大だ。
18切符発売以前
鉄道ファンは世間には埒外だった。
他のヲタク勢力と同様に珍品のひとつにしか過ぎなかったのだ。
多くの趣味雑誌が廃刊の憂き目にあっている昨今
売り上げ部数は減少しても
鉄道系雑誌は意気軒高だ。
鉄道マニアは群雄割拠の状況から下剋上を果たし着実に勢力を拡大した。
その武勲の大半は18切符にある。
彼が果たした八面六臂の活躍は
宮脇俊三という逸材を欠いては成立しない。
父親の存在だろう。
顕彰に値する。
18切符は昭和から平成にかけて日本全国に鉄道マニアという新品種を誕生させた生みの親…母親なのだ。
昭和後期に始まった鉄道ブームの
出火元は宮脇俊三だ。
1978年『時刻表2万キロ』という作品で
国鉄全線二万余キロの完乗を果たし
『いい旅,チャレンジ2万キロ』という旅行キャンペーンの
導火線をより合わせ
着火までしたのは他ならぬ宮脇だ。
『ディスカバージャパン』という
国鉄のキャンペーンは
1970年代以降の国内旅行ブームの立役者だ。
しかし鉄道旅行は若者には依然として高嶺の花だった。
第5節 少年少女と鉄ヲタ
宮脇の作品が快挙に繋がったのは
鉄道少年・少女という
拡大…再生産を軌道へ載せた点にある。
『私も…全線乗車に挑戦したい』
そんな願望を将来の大人へ…与えたことだ。
一般人にとっては『目糞鼻くそ』の些末な話だろう
だが鉄ヲタには死活問題だ。
小生には火付け盗賊に匹敵する大罪である。
私の少年時代は汽車・谷山浩子そして中島みゆきに明け暮れた。
大脳皮質の95パーセントが汽車ポッポとヤマハ勢に占拠された状況だ。
学業不振※は宮脇・谷山・中島三氏の責任だ。
※本当は小生の記憶メモリーが欠陥部品だったことです。
小生の生産者たる両親には賠償責任が生じます。
故人を断罪するすべはもはやない。
宮脇俊三氏に責任を取ってもらうには彼岸へ赴き下手人を取り押さえねばならない。
『新しい宮脇作品を読みたい』
そんな小生のかすかな願望は今生では叶わない。
宮脇の文章を
精巧に再現できるAIの完成メドはたたない
残り五十年の生涯では
叶わない望みだろう。
彼岸でも師匠は鉄道紀行を続けている。
そうに違いない。
今頃は宮沢・松本・宮脇の三氏が
銀河鉄道のボックス席で酒杯を…傾けている頃だ。
四人目の乗客となりたいような……
なりたくはないような……
不思議な感覚だ。
小生があちらの岸へ到着するのは…今世紀後半
それまで宮脇の新作にお目にかかれないとは……
承服しがたい‥現実。
寂寞の念がつのる。
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