いつか、死ぬ時のことを思う。

何年か前に怯えていた
南海トラフ巨大地震が
現実化してきたように思えた。

だけど、不思議と昔みたいには怖くはなかった。
もちろん、若干の不安と恐怖はあるけど。

でも、いつ南海トラフが起きるか、なんて、
そんなのは誰にも分からないことだ。
もちろん、気象庁にだって。
怯えたってしょうがない。
それに、仮に南海トラフで生き残れたとしても、
トラウマが残るかもしれない。
生き延びて、避難しても
怖い目に遭うかもしれない。
生き続けていたって、
いつ来るか分からない
死に怯える日々を送るかもしれない。
それは戦争かもしれない。
侵略によるものなのかもしれない。

それなら、いっそのこと、
南海トラフ地震で死んだ方が楽なのかもしれない。
人に殺されるよりも、自然に殺される方が
ましなのかもしれない。
考えようによっては、自然に還るだけだし。
どんな対策をしても、逃げられる場所は
何処にもない場所に住んでるし、
第一、南海トラフ地震で
自分が生き残れる気がしない。
死ぬイメージは出来ても、
生き残れるイメージは出来ない。
だって、震度4ですら、
心臓がばくばくして、
すぐには動けなかったのだから。

だから、死んでもしょうがないよねといった
諦めの気持ちもある。

こういうことが起きると、
嫌でも薄氷の上に立って、
生きているんだということを実感させられる。
今生きているのだって、
ただの偶然なんだと思い知らされる。

だから、いつ死んでもいいように
悔いが残らないよう毎日を送っていこうと思う。
まあ、悔いが残らないよう頑張っても、
きっと、どこかで悔いは残るんだろうけど。
でも、せめて、死ぬ覚悟だけでもしておきたい。

だけど、改めて思う。
生物の本能って怖いなと思う。
こうやって、諦めて、
死んでもいいかなんて思っていても、
当事者になったら、生きたいと思うかもしれない。
自分さえ生き残れればいいとか、
そういう醜い思考に陥るかもしれない。
地震が起こることも怖いし、
死ぬことだって怖くないわけじゃないけど、
そういう醜い自分になる方が、
よっぽど怖い。

どうせ、死ぬなら、
そういう醜い自分にならず死にたい。
綺麗に死にたいなんて、
烏滸がましいけど、
出来れば綺麗に死にたい。
そこまでして生きたくない。

こんな簡単に生きることを諦めて、
人生に飽き飽きして、絶望している
私なんかよりも、生きたいと思う人に
生き残って欲しい。

私はいつ死んだっていい。

だけど、生きたいと思う人や、
夢を叶えたい人や、人生に希望を持っている人には
死んで欲しくない。わがままかもしれないけど。

でも、そういう人達が、生きたいと思う人達が、
ちゃんと生きられたらいいなと思う。


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