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㉔散骨
親父は生前、自分が死んだら海に散骨して欲しいと言っていた。
しかし、いつだったか生まれ故郷の男鹿半島のお墓にも入りたいと言っていた。
そのお墓には私の母の骨も眠っていた。
「私の~お墓の~♪」ではないが、私もお墓にはいないと思ってはいる。
でも全然お墓参り出来なくてごめんなさい。
遠いんだよね…。
男鹿…。
秋田駅から男鹿線で1時間くらいかね。
終着駅です。
そんな希望もあり、私は親父の骨を散骨用の業者さんに頼んで砕いてもらい、半分は伊豆の海へ、もう半分は男鹿半島のお墓に持って行って、供養していただいた。
そのお寺は一度火事にあってしまった所だったが、沢山の人の寄付などで復興していた。
親父も沢山寄付していたと思うが、流石親父と思うところだが、寄付は巨大な木魚、巨大な“おりん”(チーンとなるやつ)、そしてお賽銭箱だった。
「寄付したのに金が増える」
みたいなことを言っていた気がする(笑)
自分の懐にお賽銭が入る訳ではないのだが、面白い発想だと思った。
骨を収める前に本堂で、お経を上げてもらっていた時だった。
これも記憶が曖昧なのだが、ふと外を見ると、雨も降ってないのに虹が見えたのだ。
「また親父、アピールはいいから!」と思った気がする。
戒名、あるじゃないですか。
あれって寄付の金額で位みたいのが決まるみたいなんですよね。
(違うかもしれません)
比べたら母の方が立派だった…
親父、金かけたな。
そして俺、金ケチったな。
令和二年一月九日、親父は永眠した。
親父もお墓に来て、母さん、もう寂しくないね。
そこにはいないけど♪
小さい頃は大好きだった。
大人になるにつれて嫌いになった。
大学の途中で家を出たのも意見が合わないから。
でも結局親父の会社に入り
3回喧嘩して3回辞めて
フランスまで行っちゃって
何度も和解して
親父「俺は息子には絶対甘くしない」
と元妻に宣言していたり
(バカ息子に継がせて甘くする訳にはいかないと思っていたはず)
元妻、孫には優しかった。
2回目の結婚は多分私や妹の為、
3回目4回目は自分の為かな
いつも自分の為でいいんだよ!
私が7歳の時に妻を失い、
私と障害者の妹を育て、
会社も経営し、
偉大な親父だった。
まあ、安心して見ていてくれ
俺はあなたを越しますから!
親父の子供に生まれて来て良かったです。
ありがとう!
母さんもね!(ついでか!)
それにしても親父には8人家族のこと伝えてなかったからビックリしてるだろうな!
そんなこと言ったら「死んじゃうよ!」と思ってましたから!
もう死んじゃってますけど♪(笑うところです)
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