
コミュ障が精神科看護師を目指したワケ
小学生の頃から世界、人が怖くてかなりの引っ込み思案。
人と目を合わすこともなかなかできない。(今も癖なのか人とどうやって目を合わせていいか分からない。意識し過ぎてしまう)
友達も一人いるかいないか。
とにかく人の目というか反応が怖くて、過緊張でレジで支払いをするそのやり取りですら苦痛だった。
宅配便のチャイムですら恐怖だった。
人とどうやって他愛もない会話をしたらいいのか分からない。
そんなコミュ障陰キャが精神科看護師になった。
なにがあってそうなったって感じだ。
まあ人生転機っていうのは誰にでも訪れるものなんだろうなと思う。
私にもその転機が高校2年生の頃に訪れた。
小学生の頃から心の中に絶望感、虚無みたいな黒い影が居座るようになっていた。
中学生になりたまたま古本屋で心理学の本をみつけた。
心が楽になる方法が書いてある本があるんだ!!と希望をみつけ心理学系の本を買って読み漁った。
その中に姫乃宮亜美さん著の「やさしい気持ちになれる本」があった。
家庭内が殺伐として私自身の心も冷たく固まっていた。
人を批判的な目でしかみられないし、人は敵くらいに思っていた。
とげとげとげとげ尖っていた。
でも本当はそんな心でいるのは嫌だった。
本に書いてあったようにやさしいあたたかな心で生きたい。
こんな暗くて人に心が開けない、人を拒絶してばかりきた私がどれだけ人に心を開いて人の為に働けるのか。猛烈にチャレンジしたくなった。
それまで人との関りを避けてきた人生の反動なのか、人と関わる仕事がしたいという思いがそこで湧き出てきた。
「看護師になる」
そう本を読んでから決意した。
それまでの私は絶対なりたくないし、なれないと思っていた職業だった。
なんで看護師だったのかは、他に人とがっつり関わって人の為に働く仕事というのがその時看護師以外知らなかったから。
(マザーテレサとか本で読んで)
コミュ障は看護大学行ってからも治るわけではなく、ほとんどぼっちライフを送ることになった。
大学時代は高校の時にくらべて精神状態は益々悪化してたけど。
(対人恐怖、絶望が強かった)
でも「看護師になる」という目標、夢があったからなんとか乗り越えた。
コミュ力って別に「話す」が全てではないんだなって気づいた。
「話す」は上手くできないけどそれ以外で自分にできる表現を頑張った。(という言い訳かな)
実習でいろいろな科を回って精神科看護の雰囲気にひかれた。
精神科の患者さんって心を患う経験をしているから、心が優しい人が多い印象も個人的に受けた。
(精神科の患者さんってなぜかすごく心が純粋な人も多い気がする)
心に昔から興味があったから専門的に学びたい、関わりたいという気持ちもあった。
こうして精神科看護師を目指すことにしたのです。
働き出すとコミュ障だのなんだのって言ってられないから、仕事場でのコミュ力は社会生活を送れるくらいにはなった。
それが少し自信につながって仕事以外も「コミュ障」とまで言わなくていいかなくらいのレベルにはなったかな。
未だに雑談はそんなできないし、人とまともに会話できる存在に自分が思えないけども。。。
人と対等に話していい価値があるように思えないってのが心の底にこびりついてる感じはする。ここ課題だなと思う。
もっと人とフラットに、リラックスして関われるといいなあと思っている。
結局、まあ精神科看護も約3年くらいしか働いていないのだけれども。
安定剤なしじゃ社会生活を送れなかったり、鬱が酷くなったりして辞めてしまった。
またいつの日か現場に戻ってチャレンジしたい。
今は鬱も治って対人恐怖もだいぶいい。
コミュ障でも陰キャでもなんでも、可能性はある。
転機は訪れるっていう話でした。