お久しぶりですおまめです。この10月の衆議院議員選挙で議席数が変動したことが話題になっているのですが少し思うことがあるのでしたためようかなと考え記載します。以下には私の政治的思想が含まれるためご不快になられるようでしたらお控えください。 まず初めにポジションを明示しておきます。私はライトな国民民主党支持者です。そのうえでお読みください。 国民民主党に対するご批判であまり知的に見えるものが少なくとても残念に考えております。もちろん議論は必要です。ただ議論になっていないもの
どうやら私は散歩が好きみたいです。スマホを置いて、田んぼ道を歩くのが好きです。 ただ何となく歩を進めていると景色が変わっていきます。時々人が来ます。空気がうごきます。ただそれだけが好きなのです。頭の中もこれしか考えてない、それくらいが楽で良いのです。 民家は遠目に見えるくらいがちょうどいいとさえ思います。人の営みは少し距離を置いてみると美しさを感じられる気がします。近すぎるとどうも人間臭さを感じてしまってどうも得意ではありません。 スマホは情報量が多すぎます。頭がいっぱいいっ
みなさんは果物と聞いてなにを思い浮かべますでしょうか。りんご、みかん、いちご、ぶどうetc…まぁ好みはきっとわかれるのでしょうけれど。 閑話休題、ある程度年齢を経ると好きな食べ物と聞かれた時に料理名ではなく作物の名前が出るようになる気がします。自分と同世代だったら果物が多いんじゃないかなぁ…。特にこれといって好きな食べ物がない人にとって果物の存在はとてもありがたいのではないでしょうか。無難って感じですし料理じゃない分変なきしょさもないという…なんと素晴らしいのでしょうか。ただ
ジュースってどこかゆるっとした響きがあるような気がする。物体としての甘味にイメージが引っ張られているのだろうか。「酒」のような禍々しさもなければ、「水」のような爽やかさとも違う。どうやらjuiceの語源はラテン語で汁を表すjuisらしい。なるほど、汁なのか。こちらの訳語の方が私個人としてはスっと腹落ちする。日本語における定義を調べてみると「果実の搾汁若しくは還元果汁又はこれらに砂糖類、はちみつ等を加えたもの」とある。なるほど、コーラとかスプライトとかってジュースじゃないんだな
お酒を飲めるようになったのは一体いつからだっただろう。昔、少し貰ったウィスキーが喉を焼いた感覚はまだ覚えている。大人って何が楽しくて飲んでいるのだろう…いつか分かるんだろうか…そんなことも考えていたっけ。 きっと 酔う という感覚が楽しいのだろう。良くも悪くも可能性や先が見えすぎる今がつまらなくなってしまったのだろうか。デート前にテンションをあげるために飲んでいる人すらいた。ウィスキーは酔うのにコスパがよすぎる。きっと2時間2000円の飲み放題なら7割5分は楽しめる。酔うの
滋賀県大津市、私の出身地だ。大津といっても広いので南部という程度に…。就職にあたって大阪や兵庫の方とご一緒させていただく機会が多かったのだが滋賀の大津から来ました〜と言うと毎回驚かれる。「そんな遠くから??」と。正直辟易としている自分もいるが、自称滋賀愛好家としては京都まで20分!都市圏大津!という認知を全国共通のものにする活動の一環と考え根気強く取り組んでいる。 そんなことはさておき大津はいい街だ。住むのには丁度いい。緑も豊かで土地は広いし歴史も古く穴場な史跡が残る割に何
「宇宙飛行士」「科学者」 どうやらこれが幼稚園や小学校低学年の頃に描いた夢らしい。当時は何かしら書くことを求められる機会が多かった気がする。就職活動も終わりかけの今、そんなことを考えてもしょうがないのだけれど少し気になって見返してふと気になった。自分…というか周りの子もだけどすごく俗人感があるような気がした。ヒーローってそんなのだったっけとそう思った。ある程度大人になってから雅物的でありたいなとか粋人でありたいなと思う人の方が解脱出来ているような気すらする。なんでみんなそん
どうもおまめです。お久しぶりです。 つれづれなるままに何か書いてみよう思います。 近年「合理性」や「経済的価値」ばかり重要視されているような気がします。電車に乗っている時に聞こえてくる声、外食をしている時に聞こえてくる声など数年前はなんというか、、人間的な話が多かったような…。近年はどこか能力的であったり仕事の話が多いように感じるようになってしまいました。やはり社会が変容を迫られているのではないかなぁと邪推しております。人口が減少している国家においてみんな切羽詰まっているの
私は少年法が20歳から18歳に引き下げられることに反対だ。成人とは「心身が十分に発達した人」とある。つまり自我が確立されることによって自分の行動に対して責任が取れる状態にあって初めて認められるものだと考える。 しかし、エリクソンによる漸成的発達理論によると人間は乳児期、幼児期、学童期、青年期、成人期の順に発達していく。すなわち自我が確立するのは成人期になってようやくなのだ。 確かに、数十年前においてこの理論は18歳で成年期に入るという結論付けがなされていた。しかし、近代の社会
初めましておまめです。知人のnoteを読むことが好きなのですが、自身で長文を認めることがなかったので重い腰を上げてなにか書いてみようと思い、実践してみることにしました。 初めに さてさて、本題に入ります。きっかけはとある場所(ある程度公共性があり、かつ5人グループ)で中年の男性(以後A)が若い女性に向かってお前はさ〜や、彼氏が〜といった発言をガハガハ笑いながら恰も自分が話を回しているかのように自信満々で話しているのを見たことです。グループのメンバーは仕方なくAに迎