高齢出産に思うこと

結婚適齢期にもなり、まわりがどんどん結婚しだすから、私も早く結婚しなきゃと焦るようになってきた。
結婚なんていつでもできる、と思うものの、女はやっぱり消費期限がある、とも思うのでできるだけ早めにしたほうがよいと考える。

私の母は高齢出産で3人の子供を産んだ。36歳で初産、38歳で第ニ子、42歳で第三子だ。今から二十数年前で高齢出産をする人はなかなか珍しいのではないだろうか。高齢出産は母子ともにリスクが高まると言われているが、幸いに母も私の兄弟も障害なく健康に生きている。
(母は不妊治療等をしていたわけではなく、単にキャリアを優先しすぎて婚期が遅くなったことを補足しておく。)

昨今では、高齢出産に対して批判的な意見が多い一方で、経済的な安心感がある点は評価されている。
高齢出産で生まれた子として、少しだけ思うことがあり書いてみようと思った。


高齢出産の良い点としては、先述した通り経済的な基盤があることだ。私の母は教育熱心でもあったので、たくさんの習い事もさせてくれたし、部活も不自由なくさせてくれた。その点では本当に感謝している。

一方で、小さい時のことを今でもひきずっていることもある。その一つが、周囲の親との価値観の違いだ。

子供は、特に小学生くらいまでは、親の価値観に十分に影響を受ける。親が良いと思うものは良いと思い、悪いと思うものは悪いと思うのだ。一方で価値観というものは、その人の育ってきた環境や時代に大きく左右されると思う。昭和の考え方と令和の考え方がかなり異なるのは明らかだ。

さて、この価値観を自分の子供に適応させるとどうなるか。
子供ながらに、友人たちの親と自分の親がかなりちがうことに気づく。
もちろん、よそはよそ、うちはうち、という考えもあるし、みんながみんな同じような行動をすることが良いとは言えない。
しかし、みんな持っているのに自分だけ持っていない。みんなこうしているのに、自分だけこうしていない。別にいじめられているわけではないのに、どんどん疎外感を感じていく。実際に私がそうだった。

たとえば、私が住んでいた地域は車がないと生活できないようなところだったので、学校や部活は保護者の送迎が必要だった。
しかし母は、「親が子供の送迎をするなんて」「昔は歩いて行ったものよ」と言い、送迎してくれることはほとんどなかった。私が一人で歩いているところを友人が車で通りかかると、声をかけてくれて一緒に乗せて連れて行ってくれてもらったこともよくある。

他にも、学校で必要な備品を高いからと言い、昔使っていた古いものを持たされたときもあった。
昔はこうだった、と言い子供の私にも強要したものだから、なんで私だけ、他の友人はそんな片鱗を見せないのに、と思ったのをよく覚えている。


ということで結論は、高齢出産に反対! と言いたいのではなく、あなたが高齢親であるならば価値観のアップデートを心掛けてほしい、ということだ。

正しいことは正しい、悪いことは悪い、と教えることは親としての義務だと思うが、その中でも
これは本当に正しいのか?
これは本当にさせてはいけないのか?
と立ち止まる時間もあってもよいかもしれない。

私は親になってもいないので親心を一ミリも理解することはできないけれど、子どもだったことはあるので、子ども心は理解できる。今でもインナーチャイルドに苦しめられるときがある。

高齢出産をする人のなかには、母のように昔の価値観で子育てする人もいればそうじゃない人もいる。若い親でも、しっかりした考えをもって子育てする人もいればそうじゃない人もいる。
親によって考えは様々だし、正解はない。


もしあなたが高齢出産をするならば、もしくは高齢親であるならば、自身の考えが子供にとって負担になっていないか、と少しでいいので考える余裕を持ってくれると嬉しい。









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