教えません。伝えます。その先で、自転車に乗れるようになります。笑
教えないで、伝えることにしたらとても楽になった
私のしているコト、コピーライティングについて。興味を持ってくださる人が増えている。簡単そうな言葉なのに、どうしてアノヒトの言葉ばかりが?と思うのだろう。だから教えてほしいとなる。でも、実際にレクチャーに行ってみて思うのは、
教える、教わるの関係って、ちょっとコワイ。ということだ。
そのギブアンドテイクがコワイ。
教えてほしい、というのはわかるけれど、私は教えるプロではないというのがどこかで落ちてしまっている。お金を払うんだからできるようにしてよ、となる。
教える教わるの関係は、そういうことになりがち。
なので、伝えますということにした。伝えるなら、できる。少なからず、私はコミュニケーションのプロだし、伝えることをするプロだ。
私がそこで何を伝えているかというと、「わかったこと」にすぎない。でも、私はこの「わかる」に20年も費やしてしまった。笑
わかったことを、相手にわかるように伝える難しさ
その内容は追って書くとして。わたしがレクチャーを始めて、最近しみじみみと思うのはまさに、「わかったことを相手に”わかるように”伝える」ことだ。ああ、私はプロなのに。相手の思ったことをことば化するのはめちゃくちゃ得意でたまらないくらい楽しいのに!
自分のわかったことを、相手に伝えることは、なんとこうやっかいなことなのか・・・・
けれど私はおいそれと諦めないので。(前にも書きましたw)
うまくいかないなら、どんどんやり方を変えたらいい。何が足りてないのか、個人相手ならピンポイントですごくわかる。でも、レクチャーはたいてい1対大人数であることがほとんどだから。
けれど、私も相手も、それぞれがいつか「!!!」という体験はできるはず。それを私自身も楽しみに待てばいい。
伝えるの対義語、伝わった!の先で待っている「特別なわかった」
私の言う「伝える」が最終的に目指すのは「わかった!」に近いものだ。わかった、は「体でわかるということ」例えるなら自転車に乗れるということ。
一度自転車に乗れるようになった人は、肉体的に問題が起きない限り、もう「乗れなく」ならない。特別な「わかった」だ。それができたら最高だ。伝え甲斐があると思う。
そしておおげさに言うけれど、それができるようにみんながなれば、世の中は変わるのではないかと思う。
本質的価値を、まずわかる、ということ
わたしができるようになったことは、「本質的価値を言葉で見える化する」ということだ。ひとことで言うとこうなる。
私はその習得に、とても時間がかかってしまった。そして他者にはできっこないとすら思っていた。でもそれは奢った考えだ。
というか、よく考えると「ちょっと前までは、みんなできていた」のではないか。と考えるとしっくりする。実際に、一流のコピーライターたちが「そうでなくてはいけない時代」があった。そういうひとたちがいつのまにか減っていって、今はあまりいなくなった。求められるものを書くのがコピーライターだ。求められなければできる人も少なくなる。そんなふうに思う。
メディアをまたぐキャンペーンワードがそれだけど、ほんとうに見なくなった。
できる人は減った。しかし『本質的価値』は存在しつづける。
私がわかったことを伝えて、シェアしたいのは。本質的価値をわかるようになることは、単純にとても便利だからだ。話が早くなる。そして仕事だけじゃなく、そのひとがイキイキと生きることに繋がっていくからだ。
私はもともとワークショップが好きで、本質的価値がわかるようになるずっと前、若い頃からワークショップを機会をもってやってきたけれど、今もその理由はずっと変わらない。
未だにコピーライティングの思考法やモノゴトの捉え方が、よりよく生きることにつながると信じている。し、それは私のスキルが時間と共に向上して「本質的価値をとらえことば化すること」に繋がっていった。ただそれだけのこと。
今なおずっとあの時と同じように思い活動している。バカみたいにw
伝え方の試行錯誤はつづく
自分キャッチコピーのテキストを出して、レクチャーが必要だと言われて。
「自分キャッチコピーをレクチャー」することとなり。
それが会社向けに進化して
「働く自分キャッチコピー」のレクチャーとなり。
「会社キャッチコピーもやって」というリクエストもいただいていたりする。(いまここ)
先ほどの「伝わらないならやり方を変えれば良い」である。
レクチャーの域を出なくて、まだカタチになってないけれど、私は自分を介して人が輝くのをみるのが好きなので。「伝えること」は向いていると思う。それこそ、本質的に。
ゆっくりですが、前に進んでいます。