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蓋をしていた気持ちと向き合って
気持ちに蓋をしている―そんな感覚が、最近強くなってきています。何に蓋をしているのか、自分でもよくわからない。でも確かに、どこか息苦しさのようなものを感じています。それは、休日の静かな朝に目覚めたとき、夜遅くまで仕事をしているとき、ふとした瞬間に襲ってくる感覚です。
整理できない日常の違和感
本来、私は整理整頓が好きで、物も最小限に抑えるタイプです。椅子や机にもこだわりを持ち、良いものを選んで使っています。でも最近、少しずつ違和感が積み重なってきています。
本を本棚に戻さなかったり、眼鏡の定位置が決まっていなかったり。完全に散らかっているわけではありませんが、本来なら求めているはずの水準には達していない。自分でも、どこかで妥協しているような感覚があります。
エアコンのフィルター、窓のサッシ。プロのハウスクリーニングに頼めば、もっとすっきりとした空間になるはずです。でも、なかなかその一歩が踏み出せません。
休日には「どこかドライブに行きたいな」という思いが湧いてきます。実際には車を持っていませんし、普段からドライブをするわけではありません。でも、どこか遠くに行ってみたい。キャンプをしてみたい、新しい料理も挑戦してみたい。そんな気持ちを持ちながら、なぜかしり込みしてしまいます。
表面的には「忙しいから」と言い訳しています。確かに、仕事は忙しい。資格の勉強もあります。でも、本当にそれだけが理由なのでしょうか。むしろ、家の中でじっとしているような、自分を閉じ込めているような感覚があります。
見えない満足感への問いかけ
夜、仕事を終えて帰宅した後、静かな部屋で一人考え込むことがあります。「もっと人生を楽しむ資格があるはずなのに」という思いが、突然押し寄せてくる。そんな時間が増えてきました。
確かに、何もしていないわけではありません。仕事では新しいプロジェクトを任され、それなりの成果も出しています。資格の勉強も着実に進んでいて、合格に向けて一歩一歩近づいています。ジムにも通い、体を鍛えることも忘れていません。「これが必要だ」「これをやったらもっとよくなるはず」と信じて、一つ一つ積み重ねてきました。
周りから見れば、それなりに充実した生活を送っているように映るかもしれません。自分でもそう思おうとします。でも、なぜでしょうか。心の奥底では常に、何かが足りないという感覚に苛まれています。それは単なる寂しさとも違う。誰かと一緒にいればすぐに解決するような問題でもないような気がします。
この「満たされない感覚」の正体について、最近少しずつ理解が深まってきました。それは、誰かに何かを与えられる自分でありたいという願望と、そのような機会や場所を見つけられていない現実とのギャップなのかもしれません。仕事では確かに、誰かの役に立っているのかもしれません。でも、それは「仕事上の自分」であって、もっと人間的な、心の通った関係性の中で何かを与え合えるような場所を求めているのではないでしょうか。
休日のカフェで、一人でパソコンに向かいながら、ふと周りを見渡すことがあります。お互いに刺激を与え合い、理解し合い、高め合えるような関係。そんな関係性を築けている人たちを見かけると、羨ましさと共に、自分の中の何かが欠けているような感覚に襲われます。
現実の制約との向き合い方
養育費を払い続けること。子どもと定期的に会うための居住地の制約。新しい関係を築く上での様々な懸念―これらは確かに、私の選択の自由を制限する要素です。特に居住地の問題は、大きな影響を与えています。
子どもと会う約束の日、待ち合わせ場所に向かう時の気持ちを考えると、今の場所に住んでいることには大きな意味があります。遠くに引っ越してしまえば、この大切な時間が減ってしまうかもしれない。そう思うと、簡単には動けません。
でも最近、別の角度から考え始めています。子どもは確実に成長していきます。今は月に一度の面会が基本ですが、子どもが大きくなれば、連絡を取り合う方法も、会う頻度も、場所も、もっと柔軟に考えられるようになるかもしれません。
実は以前から、海外で暮らすことにも興味がありました。新しい文化に触れ、違う価値観の中で生活してみたい。そんな思いは、心の奥底にずっとあります。今は無理でも、子どもが大きくなれば、短期間でも海外で生活するチャンスはあるかもしれません。頻度は減るかもしれませんが、日本に戻ってきて会うことはできるはずです。
養育費についても、永遠に続くわけではありません。確かに今は、経済的な余裕が限られています。でも、これも時間とともに変化していく要素の一つです。むしろ、この制約があることで、より計画的に将来を考えるきっかけになっているのかもしれません。
こうして時間軸を広げて考えてみると、今の「制約」は「一時的な条件」として捉え直すことができます。それは決して、永遠に続く枷ではないのです。
パートナーシップへの複雑な思い
「パートナーが欲しい」という思いと、「結婚はしたくない」という思い。この矛盾する感情の間で、私は揺れ動いています。なぜ結婚したくないのか。それは過去の経験から来る慎重さなのか、それとも、自分の人生を切り開く上での足かせになると感じているからなのか。
考えてみれば、「パートナーが欲しい」という思いの中身も、単純ではありません。誰かと一緒にいることで得られる安心感や喜びを求めているのは確かです。でも同時に、「自分の時間」「自分の空間」「自分の決定」を大切にしたい。この二つの願いは、時として相反するものになりかねません。
理想的なパートナー像は、確かに頭の中にあります。お互いに刺激を受け、理解し合い、支え合える。そして何より、経済的に自立している。「子どもがいること」「養育費を払っていること」を理解してくれる人。そんな関係性があれば、人生はどれほど豊かになるだろうかと、想像することがあります。
でも、そこには現実的な懸念もあります。養育費の支払いがあることで、経済的な余裕が限られている現実。子どもとの面会のために、居住地や時間の使い方に制約がある状況。これらは、新しい関係を築く上で無視できない要素です。
実は、こうした制約以上に気になるのが、自分自身の変化への不安かもしれません。以前の結婚生活では、価値観の違いが大きな課題でした。生活リズムの不一致、お金の使い方、時間の優先順位―様々な面での違いが、日々のストレスとなっていました。
その経験があるからこそ、新しい関係については慎重にならざるを得ません。表面的には合いそうに見えても、実際に生活を共にすると様々な違いが見えてくる。そんな不安が、新しい関係を築く上での大きな壁になっています。
カフェで仕事をしている時、たまに目に入る光景があります。同じように一人でパソコンに向かう人、本を読む人、スケッチする人。もしかしたら、その中に価値観を共有できる人がいるのかもしれない。そう思いながらも、一歩を踏み出すことができません。
それは単なる臆病さからではありません。むしろ、中途半端な関係に終わることへの警戒心かもしれません。「足を引っ張られるのではないか」「自分の自由が制限されるのではないか」という不安。これらは、過去の経験から学んだ、ある意味で健全な警戒心なのかもしれません。
パートナーシップに対する理想は、決して諦めているわけではありません。ただ、それは「結婚」という形である必要はないのかもしれない。お互いの生活や価値観を尊重しながら、適度な距離感を保てる関係。そんな可能性を、少しずつ探っていきたいと思います。
深いつながりを求める理由
サークルやコミュニティへの参加も考えました。でも、そこで求められる表面的な付き合いは、本当に自分が望むものではありません。「イベントに参加して、とりあえず話をする」というような関係性では、心は満たされないでしょう。
では、どこで、どうやって心からの共感や理解を得られる関係性を築けるのでしょうか。SNSでの発信を始めたのも、そんな思いがあったからです。自分の考えや経験を言葉にして発信する。それによって、同じような価値観や悩みを持つ人とつながれるのではないか。そんな期待を持っています。
でも、まだ十分とは言えません。自分のことをよく理解してもらえるような発信ができているのか。共感を呼び起こせるような内容になっているのか。改善の余地は大きく残されています。
特に難しいのは、自分の「好き」や「興味」を掘り下げて表現することです。キャリアに関することなら語れます。「このプロジェクトでこんな成果を出した」「この技術についてこう考えている」―そういった話は、比較的スムーズに言語化できます。
でも、より人間的な部分、たとえば写真が好きとか、ドライブが好きとか、そういった趣味や興味を深く掘り下げて表現する力が弱い。休日の過ごし方、好きな音楽、感動する映画、そういった話題になると、急に言葉に詰まってしまう。これは認識していても、なかなか改善できていない部分です。
できることから始める選択
完璧な答えは見つかっていません。でも、自分の中の「蓋をしていた気持ち」と向き合い始めたことで、少しずつですが新しい可能性が見えてきた気がします。
必ずしも大きな変化を求める必要はないのかもしれません。自分のコンフォートゾーン、つまり心地よく感じられる領域の中から、できることを始める。それは仕事やキャリアの文脈かもしれませんし、SNSでの発信かもしれません。
書店で本を選ぶ時間、カフェでコーヒーを飲む時間、公園でベンチに座る時間。そんな何気ない時間の中にも、新しい可能性は隠れているのかもしれません。大切なのは、その一歩が「自分らしい」ものであること。無理に自分を変える必要はない。むしろ、自分の「好き」や「得意」を軸に、そこからゆっくりと世界を広げていく。
これからの可能性を考える
毎日、小さなことでも幸せを感じられるようになりたい。それは「大きな目標」のように聞こえるかもしれません。でも、実はとてもシンプルな願いなのかもしれません。今この瞬間を、もう少し大切にできないだろうか。そう考えています。
遠すぎる目標は、途中で挫折してしまう可能性があります。だからこそ、まずは自分の気持ちに正直に向き合うことから始めようと思います。蓋をしていた感情を少しずつ解きほぐし、自分が本当に求めているものを探っていく。
朝、目覚めた時に感じる光の温かさ。仕事で小さな成功を収めた時の達成感。子どもと会えた日の心の充実感。そんな瞬間を、もっと意識的に感じ取れるようになりたい。それが、新しい扉を開くための第一歩になるのではないでしょうか。
この記事を書きながら、自分の中にある様々な感情と向き合うことができました。まだ明確な答えは見つかっていません。というよりも、一つの「正解」があるわけではないのかもしれません。でも、これを読んでくださった方の中に、共感してくださる方がいれば、それは私にとっての小さな一歩になるのかもしれません。
そして、同じような思いを抱えている方がいれば、この記事が何かのヒントになれば嬉しいです。一人一人の状況は違えど、私たちはそれぞれの方法で、新しい一歩を探しているのだと思います。