「人から嫌われる」ということ

 大学生の頃。人間関係を広げたいと考えていた私は、色々と行動を起こした。友達は順調に増えたが、その分人間関係で悩むことも増えた。悩みの内容とは、「約束を破られたのが悲しい」「急にそっけない態度を取られて不安になった」など些細なことだったが、当時の私にとっては気持ちが重くなることだった。すぐに「嫌われている」という言葉と結び付けて、その度に落ち込んだ。
 ある時、バイト先で一緒に働いていた40代の女性何人かに、その悩みを打ち明けたことがあった。みんな悩みを親身になって聞いてくれ、自分の経験や考えを話してくれた。共通して言われたのは
・みんなに好かれるなんて無理。好かれなくてよろしい
・人の好き嫌いなんてすぐ変わる。好きも嫌いも一瞬の感情。だから気にしないこと
・そもそも40を過ぎると嫌われてもあまり気にしなくなる。

 人生の先輩のアドバイスは私の心を軽くしてくれた。特に「40を過ぎると嫌われることがあまり気にならなくなってくる」という言葉が印象的で、年齢と経験を重ねると、その境地に辿り着くのか!と視界が開けた気がした。
 ところがである。40半ばにさしかかった私は、現在、「ある人から嫌われているかもしれない」、という事実にモヤモヤしている。
40を過ぎたらあまり気にならなくなるのではなかったのか。まだその境地に辿り着けていないなんて。
そこで、若いころの私のように漠然と悩むのはやめにして、具体的に考えてみることにした。

『何故、相手に嫌われていると思うのか』
他の人への態度と私に対する態度が全然違う。挨拶しても無視かそっけない。
『何か嫌われるようなことをしたのか』
特に覚えがない。ただ、私の方が初めから敬遠気味だったかもしれない。
『これから先、親交を深めたい相手か』
嫌いではないが、親しくしたいという気持ちはない。
『皆に好かれたいか』
有名な2:6:2の法則で考えると無理なので、好かれたいとは思わない。

こうして振り返ると、私は私で、「誰からも嫌われたくない」とまでは思っていないし、相手と親しくなりたいわけでもなさそうだ。もしかしたら相手にとって私も「そっけない」のかもしれない。

では何故モヤモヤと憂鬱になるのか。
思い浮かんだのは「面倒くさい」という感情だった。
何が「面倒くさい」のか。

嫌われると、相手とのコミュニケーションの量が減り、質も下がる。そのことで行き違いやトラブルが増える可能性が出てくる。また、私を嫌いな人と親しい人々にも、気を付けて接しなければならない。自分を嫌う人と親しい人々全員が私を嫌いにならないのは経験から分かるが、影響を受ける人も少なからず居るものだ。「敵を見極めて対策を立てる」ことも私には面倒くさいようである。そのくせ、逃げたら負け、と思っている節がある。

嫌われることに付随するトラブルで周りに迷惑をかける。
私を嫌う人から敵が派生する。
そのことへの対処が「面倒くさい」と感じるから、出来れば嫌われたくない。その面倒が「ない」・トラブルや敵を面倒と「感じない」なら私は嫌われても一向にかまわないとも思っているようである。

 自分を嫌う人からは逃げて良いと思うが、社会人として生きる限り、そうはいかないことも多い。どうやら私は「気にしない」ことが出来ない性分のようだ。そうならば自分の気持ちを分析して、対策を考えるしかないのだろう。

早速明日、私は自分を嫌う人と会う。
面倒が「ない」状況を増やす。自分を疲弊させず、「面倒くさい」という気持ちを最小限にしてトラブルや敵に対処する。うまく対処出来たらビールでも飲んで自分を労いたい。

40代のうちは無理そうだが、近い将来「嫌われることをあまり気にしない」自分になりたいものである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?