普通の大学生が刑務所で過ごすまで。

私は2016年に逮捕され今年の10月に出所してきました。そう刑務所に収監されていたのです。

まずは警察署の中にある留置所です。
みなさんは想像ができますか?一日中外の見えない部屋に閉じ込められ、トイレは外から丸見え。食事は冷たく食べるとおなかを壊す…でも食べるものがそれしかない。そんな状態に…
風呂は二週間に3回
本を読むか寝ること以外は何もできない
起訴され刑務所に行くかもしれないと絶望する

一般の人からすれば悪いことするのが悪いと思うでしょう。私もそう思ってました。「犯罪者なんて全員死刑でいいでしょ」そう思っていました。
でも自分がその立場になると考えが一気に変わります。
「いままで真面目に生きてきて1回ぐらい見逃してくれ」
「そこまで悪いことはしてないはずだ」
「なんで家族は助けてくれないんだ!」
「何でもするからここから出してくれ」

自分の事、都合のいいことしか考えなくなります。もちろん全員がそうではないと思います。でも私がいた留置場ではこういった人ばかりでした。

でも不思議と同じ「容疑者」の仲間として連帯感は生まれてくるのです。私にとって別世界にいるような人達、ヤクザ・シャブ中(覚せい剤乱用者)・詐欺師・暴走族そういった人たちと、裁判について、刑務所に行くなら準備するべきことなど情報の交換が行われるのです。そしてお別れのときは「お互い頑張ろう」といって保釈や不起訴で外に出るか、拘置所にいそうになるのです。

私にとって一番辛かった留置場の思い出は弁護士との面会です。もちろん家族に泣かれたこと辛い思いをさせてしまったことは申し訳ないと思いますが、自分のダメージとして一番大きかったのはこの出来事でした。

はじめは男性の弁護士(国選弁護人で税金で働いてくれる人。私は1円も払わなくても弁護士についてもらえる)がついて
「もしかしたら執行猶予で出れるかもしれない」
と言われていました。
「最悪刑務所か…」
ぐらいに思っていました。

しかし
起訴されもう一人弁護士を付けられるようになり男性の弁護士が連れてきた女性の弁護士から衝撃の言葉を言われたのです。
「執行猶予なんて無理だよ。」
「頑張っても5年、最悪は10年は行くと思っておいて。」
あとの言葉は覚えていません。そのご二日ぐらいの記憶もありません。
もう人生どうでもいいと思いました。
「内定ももらっていたのに…」
「彼女に会いたい…」
「卒業旅行どうするんだよ」
そんな悠長なことを考えていた自分の心がここですべて壊れました。

この後東京拘置所(ホリエモンや麻原彰晃もいたところ)に移され裁判までの8か月間一人部屋で過ごすことになります。
この頃から自分の頭の中で色々なことを考えだし、事件とも向き合えるようになってきました。
「被害者の人の調書をちゃんと読もう」
「今は目の前の裁判とこの事件にのみ考えればいい」
そう思ったら人生についての絶望も少し落ち着きました。

拘置所ではみんな太ります。
え?
と思いますよね。でも中では申し込みをすればお菓子屋菓子パン・ジュース・アイス・コーヒーいろいろなものが買えます。そして読書以外することもなくみな不安などのストレスから常に何か食べる生活になります。私は親にお金を入れてもらっていたため
「こんなところで馬鹿みたいに使えない」
と少しづつ使っていたので体重は変わりませんでした。

そして拘置所ではいろいろなことがありました。
初日は温かいご飯が出てきて、泣きながら食べたのを覚えています。今思えばたいしておいしくもない食事でしたが、真冬の外気で冷やされたお弁当を4か月食べ続けた私にとって何よりもおいしく感じました。

毎日のルーティンは
起床
朝食
読書
願い事(購入の受付や相談事、申請など)
運動(他の一人部屋の人と運動場で会い情報交換)
風呂(週2-3)
読書
昼食
昼寝
読書
夕飯
ラジオ

まったく同じことを毎日毎日繰り替えです。人間こうなると自分で考えて行動しなくなります。このあたりから指示がないと行動できない心理になりました。
今もその名残のせいで仕事中に自分から行動できないことがあります。

こうして法務省管轄の施設での生活が始まりました。裁判までのストレスの日々そして判決の後川越少年刑務所での最悪の日々についてはまた書かせていただきます。

よろしければコメントいただけると嬉しいです。
よろしくお願いいたします。

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