Zut
詩の類です。読みにくい、かもしれません。
というか、「その他」です。
歴史の「さざなみ」です。
着想の素描。読みにくいです。
鎌を持った言葉が喉仏から 《すべて》を 奪おうとしたときーー あなたの唇の縁を反転させ 喉の奥の暗闇へと 流れ込んだもの 空無に立たされたぼくは 《それ》を 取り返そうとしたーー そのとき あなたの擦り切れた虹彩の中に 太陽よりも無限に小さな 灯を(僕の虹彩は!)見つけるのだ ーーしかしあなたは再び消費される 男たちの幻影の種となって 闇夜のマグダラのマリアとして あなたがかつて飲み込んだ 《言葉》が いったいどんな経路となって ネオン瞬くシティの下水道を漂うのか
とりがモミを去った 一発の銃声とともに 火薬の香りを 浮力にしながら ぼくはひとり ここにのこった 木陰から 赤い服を着た人間が 去り(ゴー) 青い服を着た人間が 来た(カム) のをみた ——昨日とは反対だ、だから明日も入れ替わるだろう 誰が あのとりを 追ったのか? やがて同じ破裂音が 森を脅かすまで の、ひとときを 生物学者以外に? もみがとりをさったあと ぼくは 木陰から飛び出した 擬態していた裸の言葉たちが そのあとに続く 幻想を 授かりながら 高みからぼくら
ショパンのピアノ協奏曲第2番の2楽章、すごい。ガルシア・ガルシアさんの演奏で涙。一音一音が星のようにキラキラしてる。いい曲と出会えた。
レイプされた言葉たちは その夏 波にさらわれた なすすべなく わたしは聞いた 希望に満ちた音節が 断ち切られ、 糸屑となって引き摺られる 砂浜の歯ぎしりを けれども誰も 悲しまなかった 鋼の翼を持った言葉が あの海の上を 流れ星のように飛び交った 子供はそれを 花火だと喜んだ 秋になって 鋼の言葉に慣れない人々は (もちろん、わたしもそこにいた) 羽毛のいまだに散らばる 砂浜へ 墓参りをした みな言葉を忘れていた 金属の味のする唾を 涙ながらに飲み込むと やがて 朝と
狂気の歴史、第三部第一章を読み終えたところで力尽きる。ありがとうフーコー。大いなる歴史の場では声をもたない人々を、歴史の暗闇から救出する試みだと言うことはわかりました。また戻ってきます。
一昨日、ジャパン・ナショナル・オーケストラ(JNO)の演奏会に行ってきました。JNOは、2021年のショパン国際ピアノコンクールで第二位に入賞したピアニストの反田恭平さんが中心となって活動する、今注目のオーケストラです。 「オール・ベートーヴェン・プログラム」ということで、演目はすべてベートーヴェンから。序曲コリオラン、交響曲第2番、ピアノ協奏曲5番「皇帝」が演奏されました。アンコールは二つありましたが、そのうちの一つはベートーヴェンの弦楽四重奏曲(9番)で、もうひとつはシ
精神に関する病としての狂気を脳の障害と定義したのはヴォルテールがはじめだったらしい。とはいえヴォルテールの関心は精神と物質の分離という哲学上の問題を解決することであって、精神の否定的形態として「狂気」を仮定し、その物資的基盤を脳の障害に求めることで「精神の物質性」を証明した。
調子が悪くなると、よく金縛りにあいます。 調子が悪いと言うのは、精神的なもので、起きているのが苦痛なので、ただひたすら寝ていたい時があります。(死にたくはないので、眠ります!!) でもそんなとき、金縛りにあうのです。 ふっと目が覚めて、でも体は動かない。何度も体験してることだから慣れたし、ただの睡眠障害ということも分かってるから、怖くはない。でも、このまま瞼を閉じてしまうと、不思議な体験が待ってることは分かってるので、眠らないように頑張る。睡魔に負けて眠ってしまうと、部
狂気が医学の対象となったのは18世紀末のこと。1780年にパリで病気がはやったとき、市民たちは「ビセートル」という狂人収容施設に目をつけた。そこから「病魔」がやってきていると想像した。医者たちは収容施設の「不浄な空気」を「浄化」するために派遣された。こうして医学が狂気と出会った。
ブレッソンの『バルタザール』を観た。想を得たという『白痴』も音楽に使われたシューベルトも大好きなので期待しすぎたのか、ちょっとだけ肩透かし。前提知識を持ってしまうと色眼鏡がかかってしまって、新しいものの体験が乏しくなってしまう。全部捨ててもう一回見よう。
最近カラマーゾフ適当にめくってるけど、アリョーシャとスメルジャコフって表と裏なんだなと思った。二人とも癲癇持ちで母親がいなくて、きっとフョードルが父親で。足して二で割ったら『白痴』のムィシュキンになりそう。トルストイも読みたいけど二段組の単行本しかなくて気が進まない。
最近ずっとシューベルトさんのピアノ曲聴いている。特にソナタD.958,959,960が泣ける。ベートーベンさんのようにストーリーはないけど、だからこそ、暗闇の中に急に降ってくる光が恩寵のよう柔らかく、やさしくて、ありがたい。ぼくはなんの努力もしていないのに、と・・・・。
17世紀には狂気は不道徳(スキャンダル=社会にとって悪い手本)という意味で告発され、監禁されたが、18世紀になると、そうした倫理的な負の価値が取り去られていく。狂気は不道徳という意味での非理性から、不合理という意味での非理性へ変わった。狂人は道徳空間から合理性の空間へ移行した。
18世紀に病気を新たに分類する時、そのモデルとして植物の分類表が使われたらしい。現在でも病気が自然現象とみなされ、ある意味で合理的な現象とされるのは、病気と植物がこの時代に接近したことに因る。そして精神病もこのときから自然の一部となった。(『狂気の歴史』より)
太宰の人間失格って、もっとポップに読まれてもいいと思うんだ。笑える要素もりだくさんだから。睡眠薬が下剤だったり、薬物で捕まったのに注射器差し入れされたり。自分はゲラゲラ笑って読んだから、そういう読みもあって良いと思う(まったく見当たらないのでつぶやいた)
最近、生きるのめんどいから本を読んでるんだと分かった。台所に溜まった食器も、散らかった部屋も、食事も全部めんどくさいから本読む。死んだように本を読む。本読んでる時は死ねる。