未来Wikipediaを書く。
憧れの人っていますか?あるいはこう生きたいとか、こうなりたいとか。
多分恐らく多くの人はいるんはずなんです。それに届きたくて、近づきたくてもがいてもがいて、それでも近づけないあの虹みたいな存在が。
なんか中学生の時、先生の言った中で、ひねくれ者の俺にも刺さった数少ない言葉があって
『誰でもいいから一人、憧れの人、尊敬する人を見つけて目指してみなさい』って。
僕もこう生きてきました。具体的にはWikipediaとかで自分と似た境遇のミュージシャンとか芸能人とかの半生を見て、○歳にはもう~してるぞ、とか逆にこんな人でも○歳の頃にはこんなんだったんだ、、とかね。
気づくの遅すぎるんですけど、私気づいたんですよ、、14歳の時に。『お前はスティーブ・ジョブズと同じ障害なだけで、スティーブ・ジョブズにはなれないぞ』と。
さらに、19歳の時にようやくわかったんですよ。『あれ、これ他人の人生のルートを俺の人生と照らし合わせてるだけでなんの意味もないぞ!』と。
そしてなんやかんや、大学1年生になった僕。身近な人間の大学生活4年分くらい模倣できると思ったんです。
見つけましたよ、もちろん。真似したいくらい素敵な大学生活送ってる先輩。
その人のInstagramの過去投稿見るんですよ。悔しいなぁ、なんでかなぁ、、
全部上手くいかない。
バンドも、恋愛も、友達も、、俺の数十倍濃いんですよ。勝てるわけない。そんな風に大学3年の頃思って大泣きしたんですわ。正直今も悔しいし。
でも、最近になってこういう自分を受け入れられるようになってきました。腹立つけど。不甲斐ないけど。仕方ないじゃないですか。もうこっから先ずっと俺は俺のままゆっくり発達していくんだしなぁと。 それにこれだけゆっくり要領悪く進んだからこそ、可愛がられたり、ミスが怖くなくなったりしたのかなと思ったらそれはそれでありだったかもしれない。
いや良かったんかなと思って、少しずつ生きていくことにしました。
なんか、昔、マリオやってても1-1とかで死んでてばかにされてたんですけど、「1-1の誰が死ぬんだよこれ」的なステージで死にながらでもクリア出来ればいいなと。
Wikipediaにまとめられるような人生じゃなくても、理想だけデカく夢物語描いて生きてやる!じゃないとやってられないですし。
俺の未来Wikipediaがいつか【いつ?】現実になりますように。【Template:要出典】
最終編集:12月11日
「この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2024年12月)」