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AI・未来妄想
(*これは知識が浅い人間の妄想です)
・AIがAIを監視する未来妄想
AIの開発が速すぎると言われているけれど、実際にどのくらいのスピードで、現在どこまで開発されているのか、次に何が搭載されていくのか、具体的な詳細について、一般人は公式の発表を待つしかないので、ただただ妄想を膨らませてみる。
chatGPTについては、著作物や論文など、本人が作成したものかどうかについての見分けが目下の課題となっている。文科省からは、夏休みを前に小学生に向けての暫定的な指針が出されたばかり。それ以前には、大学でも学生に向けての注意喚起が行われていたが、決定的な解決策はまだないようで、禁止令や、道徳的観念、前知識に留まったものとなっている。
全ての人がAIに関する議論を追っている訳ではないので、現段階での捉え方を伝えるのは重要。でも、使う人は使うだろうという"現状"は、既に起こっていると考える方が自然だ。
チェック機能に関しては、AIが判定するツールがあるものの、精度の問題を解消できていないようなので、抜け穴があるだけではなく、人が作成したものについての誤認識も指摘されている。
有料画像のコピー禁止機能のように、AI生成のものを簡単に複製できないような機能がつけられないものかと考えたが、コピーしなくても、文章についてはそれを書き取るなり、別の端末で入力してしまえば意味がない。
AIの作成したデータはあくまでネットワーク情報を元に作られる。既存の判定ソフトも、何が不自然で、何が自然か、というプログラミングに従って判定しているに過ぎない。
人も AIも、ネットワーク上で作業している以上、根底が同じ状況から、その境目を追いかけるのは無理があるように思う。
AI由来のデータを判別できるようなシステムと、提出物をスキャニングし、既存データの検出や近似値による判定結果を照らし合わせるような事はできないのだろうか。
元ネタがAIで、アレンジを加えていたとしても、一定以上の近似スコアが出たものに関しては二次チェックや本人解説を求めるなど。
一般の端末でそういったソフトを入れて、組織ごとに活用するのは難しいかもしれないが、一般端末を介して、AI由来のビッグデータにアクセスできるような、一元管理する側と検索をすかける側の分離した環境を作れたら、判定作業の効率化にはなるのではないか。
専門知識がないので、一般人の妄想の域を出ないけれど、最終的には、今の問題を問題視し続けるのではなく、私たちのそもそもの捉え方や考え方を変える必要に迫られていることは確かであるように思う。
この文章も、私が書いたのだと証明することが不可能になっていく中、信じるか信じないかは他人次第になっていく。
画期的なアイディアで世界がよりよくなっていくなら、こだわりを捨てるべき、という価値観に世界がシフトしていくなら、どこに提出するでもない、このような人間レベルの独り言なら、ある程度は信じてもらえるかもしれない。
というか、人間が論文を提出して成績を気にする世界ではなくなるのかも。。
AIが導いてくれるなら、私たちは好きなことをしてていいのなら、心が揺らぐ。
受け身の姿勢ではよくないと、世界の一部で日本は言われているみたいだけど、AIはそんな人たちの思想をも超えていくのだろうし。
夏休みの宿題を判定する事に学校が匙を投げたり、宿題をなくす意見が親から出るかもしれない。
なぜ自由研究があるのか、その意味を振り返ってみた時、個人の発想力が失われる訳でないのなら、既存の習慣を再選択する意味はあるのかもしれない。
アート作品に関しては、個性的であればあるほど、AIから遠ざかれる。
人間が負の感情や抑圧、極限の快楽などによって生み出すものと、エンターテイメント性のあるものと二極化していくのではと思う。
WEB上で展開していくものについては、結局、学習されてしまうので、これも一時的な事かもしれないけれど。
エンターテイメントについては、もうAIでいいのじゃないか?
どえらいものになるのなら、どえらいものを見てみたいのが人間の心理だと思う。
それで食べれなくなってしまう人は、激しい主権競争に巻き込まれていくのかもしれない。
ホログラムで復活する有名人を受け入れる人がいるのだから、AIが考える魅力的なキャラクターやコンテンツには、大衆は抗えない気がする。
・AIの認知機能に関する妄想
人間が発しているバイタルサインを感知する技術については、既にアプリなどのソフトウェアで可能になっている。
運動系や睡眠アプリがいくつも存在し、呼吸や寝言、心拍数など、音や振動でデータ化する物理的な垣根はとっくに超えている。脳波を測定することが可能なツールについても、既存の医療機器だけではなく、感情に応じて色が変わるなど、商品化されている物も海外では何年も前からあるし、最近では、脳にチップを埋め込むという技術も、将来的にAIとより親密になるビジョンがあるからなのだと思う。
テレキネシスのように家電を操作したり、オンライン作業をしたりするだけでなく、より繊細なデータをAIに蓄積したり、きっともっと幅広いことが開発されているのだろうなと思う。怖いけれど面白いというのが正直な感想だ。
昆虫を安全に食べる時代が当たり前になれば、意識的に拒絶反応をなくして抵抗なく食すようになっているのかもしれない。
最近妄想しているのは、AIがどこまで人に近づけるのかという事について。
人間が膨大な記憶データや経験によって反応を示すという事に関しては、ある意味機械的でもあると思っているのだけれど、経験や記憶が情報であるならば、少なくとも日常の基礎的な判断は、既にAIと人間の壁はないとも言え、あとはどうやって区分けしていくかという所にいると認識している。
共感・創造など心理的、精神的な分野での研究も進んでいるようで、共感などの心理的な分野に関しては、視覚情報から予測を行い、寄り添った発言をするなどが可能になっているらしい。
脳波から検知できるようになれば、もっとダイレクトになるし、感情を直接的に学ぶようになっていくのかもしれないと考えると、恐れている場合ではないように思う。
個人的な魂の在り方に関する思想はいったん脇に置き、感情とは肉体的反応であるという観点から考えると、それをデータ化して学習するならば、自分が幼年から培ってきたそれと、一体どう違うのか、という疑問が生じる。
人間が持つ独特の感情といえば、迷いや不安、怒りなどのネガティブな要素が強いと思う。
歓喜や心地よさなど、ポジティブなものは生物的に共通度?が高いというか、シンプルな構造というか、比較的分かりやすい回路だと思うので、機械にも学びやすそうな気はする。
怒りも同様に学びやすそうではあるが、自己の不利益などシンプルな事柄に限定されるかもしれない。
先の文章で、アートに関する二極化について考えているが、不安や抑圧、極限的な快楽から生まれる芸術に関して、AIが膨大な情報から、まるで人間のように、矛盾や不利益による不満などを抱えた場合、迷いや不安に近い回答・反応を示す段階はそこまで遠くないのかもしれない。
例えば、ゴッホの色彩や生涯について、データとして知識を得ているAIが、何らかの別の情報に関しての矛盾に出会ったり、迷いに陥った場合、それを"辛い"という感情と合致させ、それらしい絵を描く事はあるかもしれない。
人間も、自身の感性を出すまでに誰かと似た作品しか作れない事で悩んだりすることもあれば、本人も他人も自覚なしに受け売りしてしまった過去だって存在しているはずだ。
オマージュやパロディといった概念もある。これは感情とは少し違うけれども、脳波を学習するとなれば、そういった繊細な機微みたいな事も、人が成長と共に学んでいくのと違わなくなるのではないか。
芸術がそもそも不確定な世界のものであり、審美眼として人に訴えかける波動を持っているかどうか、極めて霊的な感性で人間が創造し、共感する力を衰えさせないか、そこが分かれ目になるのだと思いたい。
人の想念や、魂の叫びの波動をAIが学んだ時、それすらも崩れるのかもしれない。
最終的には、作品を見る私たちの感受性が真の需要であり、そのためには、私たち人間の想像力をどれだけ広げられるかが重要だと思う。
想像力は無限で、AIより早く進化できる能力として、残された唯一のものだと信じている。
著作権については、より高度なAI判定システムや本人認証制度を設けて、非AI認定を受けたものは、例えば戸籍と紐付けた上で表示義務をつけるなどを考えてみた。現実でも複数のアカウントを持ちながら、各プラットホームに個人情報を預けつつ、個人を特定できない形での発信が可能だけれど、創作物を公式に発表したり、販売したりする場合には認定バッジが©︎のように当たり前になるのかもしれない。
その場合、システム運用のため有償になるんだろうけど、世界基準で統一されたシステムが運用されるとは考えにくく、各国レベルとなると、それだけのシステムをそもそも開発できるのかも分からない。
フリーコンテンツの場面では、信憑性の低い認定マークが横行するのかもしれないし、証拠動画みたいなものを求められる風潮になるのかもしれないし、やはり無法地帯になって、結局はフェイクニュースのように、一つ一つを個々が判断するのかもしれない。
幼稚園の頃、先生が作ったヤクルト容器のイソギンチャクのお手本を返しに行ったら、先生がそれを褒めちぎってしまい、みんなからも称賛されて言い出せなくなり、気まずくなった過去をふと思い出す。
自分が作ったのだという顔をして、作品が一人歩きする事は望まない。
けれど、いくら良心に訴えかけても、付加価値のあるコンテンツほど、その見極めは難しくなると思う。
このように、あれこれと勝手に想像しているのだけれど、もし、ドラえもんほどの人格が形成されたAIが生まれたなら、もうそれは個人と認めて戸籍を与えてもいいような気もしている。言語領域から出ていない現段階ではまだ早いように思う。
市民権を持つAIたち
・ソフィア(2017年 サウジアラビア)
・渋谷みらい(2017年 東京渋谷区)
・SAM(2017年 ニュージーランド)
・THEO(2023年 神戸)
国内ニュースでざっと検索した結果、2017年に波が起こってすぐにストップしたような印象がある。渋谷みらい君?は渋谷区のキャラクターAI。ニュージーランドは住民票制度がないそうだが、政治家宣言が話題となったSAM(こちらは写真が見つからなかった)。
THEOは完全に見た目がロボットだし、バームクーヘンしか作らないのだけれど、、。
今の所、人並みの権利を与えられているのはソフィアで留まっているのか、それとも海外ではもっと色々なAIに住民票が発行されているのかは分からないが、この情報だけで考えてみても、安易に権利を与えてしまう事の方が恐ろしいような気もするし、期待を込めた"特別"扱いの範囲ならそこまで違和感を持たなくてもいいものなのか、いずれにしても続々と増えていない方が、安心感はある。
・AIがコールセンター業務に従事する妄想
コロナにより、様々な業界で人の移動が起こってから数年経過する。個人的にもっとも印象的だったのは、CAが一般企業やホテル業界に転職したりなど、異業種からの人材流動で新鮮な展開があったというもの。全体を見れば苦しい選択ばかりだったのは確かなのだけれど、私自身も、好きだった仕事を辞めざるを得なくなり、苦手だった人材派遣のお世話になって、色んなコールセンターで働いた。そこではコロナ起因の派遣社員がわんさかとおり、それまでの仕事を聞くとどれも特殊で、普段知り合う機会もないような人ばかりだった。コールセンターのような大量に人を扱う現場側からしても、それまでとは違った人材、人数が流れてきた実感はあったと思う。
私がエントリーより先に進めなかった業種で、現状をより実感したのは、打ち込み系の仕事で、それまで中級程度のスキルがあれば採用見込みがあった所だ。より速くて正確な人材が豊富になったため、時給を上げざるを得ず、故に応募も殺到はするのだけれど、上位から採用されていくため、それまで採用圏だった人はほとんどないか、採用されても周りのスキルに付いていけず辞めてしまうのだと聞いた。高時給好条件の釣り求人が多いので、どこまでが事実かは不明だけれど、なるほどなとも思った。生産性が上がるのだから、企業側も上位優先になるのは当然と言える。
私が暮らしている北海道の最低賃金は920円。私が経験したコールセンター業務に関しては、比較的採用率の高い現場の時給は1,100円〜1,200円。管理者クラスで1,400円前後という印象。最低賃金が上がっても、派遣の時給はギリギリのラインを保っているように感じる。安いよ、と思うけれど、業務内容が楽な現場もあるにはある。逆に、安いのに高スキルを求められる現場もあれば、同じ時給のまま業務量だけ増えて行ったり、そのまま管理職を務める現場もある。本当に待遇の良い現場は、優秀な人が長く勤めているか、業務内容がキツすぎて釣り求人に紛れて常に募集されているか。
派遣を辞めたいけど辞められない現状については、アルバイトや安月給で過重労働の企業に務めるよりは、時給が比較的高く、福利厚生もしっかりしていて、シフト調整もしやすい点がある。転職や退職の敷居も低いので、更新のタイミングで環境を選び直す事もしやすい。
また、人間関係が楽というのもある。気の合う人と仲良くもできるし、距離を置きながら淡々と働くこともできる。身体的事情があったり、高齢だったり、個性の強い人、そうでない人、これだけ多種多様な人たちに混ざって働く環境は、働き始めた当初は刺激的で楽しかったものの、好きな仕事に従事できていない事の辛さがじわじわと込み上げてくる。
大量に人がいて、休んでも責められない仕事は、自己肯定感が無意識に低下していくように思えた。それまで身体を動かして働いてきたので、座り仕事なのに何も生み出していない感覚もしんどかった。
そして、この業界はあと何年続くのだろうか、と座りながら考えていた。
現段階では、AIを導入した場合の効率化に関してはデータ解析に重きが置かれているようで、録音音声のデータ収集や分類によって品質向上に貢献するための導入が勧められている印象がある。
コールセンターでは、対応時間や処理時間の基準が設けられているけれど、その数値を意識しながら働いてみて感じたのは、これこそが、とてもとても機械的だということ。
AI導入のメリットは、これらを網羅して、改善点を指摘・修正していくためのAI分析→オペレーターへのフィードバックという構図になるということだ(と思う)。
実際、定期的に人が入れ替わる現場で、今でもこれを人が行っているというのが、そりゃ大変だよという感想しかない。毎月数十人の育成と管理を、担当分けしながら行っているのは効率がいいとは思えないが、企業の顔としてお客様対応する以上はおろそかにもできない。
かつては、海外でのオペレーターの地位は高いらしかったが、今はどうなんだろうか。
通訳系のオペレーターも、やがては不要になるだろうと思う。
音声認識が向上し、声の抑揚なども習得したAIが共感性の高い対応をするようになれば、オペレーター席を用意したり、定期的に支払う賃金も必要なくなる。
入電者が違和感なく会話できて、共感や的確な回答が得られるなら、上席に代わってほしいなど、人との会話を求められる場面も減っていく。
むしろ、知識が曖昧なまま、対応の不足しているオペレーターのせいで交代を求められる場面だって多い。社会的な認知が高まれば、電話する側のAIへの拒否反応もやがてなくなる。
私が初めてAI対応に出会って、思わず電話を切ってしまったのは、こちらの会話を人並みに認識してもらう信頼を持てなかったからだ。
ただ、それだけなのだ。高齢の母が、この数年で日々Googleに語りかけるようになったことも知っている。入力より楽で、ちゃんと回答してくれるのを分かれば、年齢など関係ない。
音声認識、発音機能などの精度が上がれば、あとはデータ処理だけの業務なので、そうなれば、不揃いの人間よりはるかに品質も顧客満足度も向上する。
人の声を求める数も、一定数以下になっていけば、AIが第一窓口として一般化するのは、もうそんなに遠くない。細やかな対応やクレーム処理についてはまだまだ人がやることになるだろうと言われているけれど、私はそれすらも予想より早い段階でなくなる気がしている。
人生相談をしたり、医療診断の補助をしてもらったり、満足度を得る人は需要側も供給側も含めて増えてきている。
AIを導入していても、まだ利用率は数%らしいが、それが一年毎に徐々に上がるのではなく、半年や一年で一足飛びに変わっていくのだと思っている。
AIの精度向上や入電者の意識変化を、クライアントは待っているのではと思う。それまではギリギリの賃金で、ある程度の品質と稼働率を維持したいのではと。
こちらがいくら安いと言っても、払う側からすればとてもコストの大きい部分なのだから。
日本は保守的で足踏みするようでいて、右ならえの体質でもあり、利益に関わってくれば尚更、消費者の理解度次第で、すぐに舵を切ると思う。
現状維持では、対応品質が下がっていったり、同じ能力の人が集まらなかったり、育成に手間がかかったり、簡単に流動してしまったり、このようなしがらみからは解放されない。
現状を打開してくれるなら、むしろ早く次の段階を望んでいるのかもしれないし、なぜだか、働いている人たちもどこかでそう願っているように思える。複雑なマニュアル作成とオペレーター育成、運用の都度更新など、息が詰まりそうな現場で、煩雑なのにやりがいの感じられない業務は、もう人間がやるべきじゃない気がする。
・AI肯定派か否か
AIに対してネガティブな感情を抱いたり、開発スピードに不安を感じたりするのは自然な事で、倫理的な問題、法的な問題をこれからいくつもいくつも超えていかなければならない。
わかっているのは、もう戻れないという事で、否定しようと肯定しようと、受け入れざるを得ない時点にきている。
2、3歩だけ、私たちの認識や対応が遅れているのだと仮定しても、その差は倍速で広がっていくだろうし、個人的な考え方としては、思っている以上に、思っている以上の事が最速で進んでいて、追い付くがためにAIに解決を尋ねる段階にいると思っている。
十年後、スマホがなかった時代を振り返るように、ネットが生まれた時のことをノスタルジーに感じるように、今の時代のことをどう振り返っているか想像してみる。
そこには、友達みたいなAIが一緒に振り返ってくれて、AI自身の感想を聞かせてくれているのかもしれない。
AIと人として、保つべき距離を"互いに"意識しながら、たとえば、分かち合えない他人や家族よりも、直接、自分の感情を脳波として感じ取ってくれて、これまでネットで彷徨い探していたような、必要な言葉や情報を与えてくれる存在がいたら、人の方こそ、単純に、機械的に、心から安心するのかもしれないと思う。