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能登半島地震で津波避難の顛末
令和六年の元旦は親戚宅へ新年の挨拶に家族で出かけました。運転は私がしました。
その帰り、夕方家に向かって国道8号線を走っていると家族全員の携帯が「ズイッズイッ」とけたたましく緊急地震速報が鳴りました。
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そのすぐあと、車のハンドルが取られるように制御が効かなくなり、細かく車体が揺れました。揺れは長く続きました。
並行して走っていた周囲の車は次々と減速してハザードランプを点滅させて左車線の路肩に停車しました。
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私も同様に減速し、他の車にならって路肩に停車しました。すぐラジオをNHKに切り替えると女性アナウンサーが津波が来るので海岸から離れるよう連呼しています。
石川で5m、富山で3mの津波の予測と言っているので車内で3人とも自分のスマホで情報を検索し始めました。
私はNHKニュース防災のアプリでNHKのニュースを見ました。
日本海側の海岸線に赤の津波警報のラインが描かれた地図が目に入りました。
自宅のある場所はまさに警報の対象地域です。
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家族で協議し、海辺の我が家に帰るのは危険かもしれないので、近くの高台まで行こうと車を再び走らせました。
その際津波の予測が富山は3mでしたので、これまで東日本大震災などで予測の3~5倍の津波が来ている例があることも考慮し、3mの3~5倍、つまり9~15mを目安に20m以上の標高ならばとりあえず安全と考えました。
助手席の主人に国土地理院のアプリで標高を絶えず確認してもらいました。8号線沿いは20m以上だったのでこのまま西へ向かいました。
信号で停止すると、北の海側から大量の車が南の山側に向かっているのが目に入りました。山側の道路は渋滞になっています。
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「あの大量の車は海側に住んでいる人が山側に避難しているんじゃないか」と私が指摘すると息子がYoutubeで富山市内の橋スレスレを遡る津波の映像を見つけました。
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やはり今家に戻るのは危険と判断し、このまま家の近くで待機するより、むしろ親戚の家に戻って宿泊させてもらった方がいいのではと話合いました。
親戚に電話すると標高40m以上の安全なところにある家にもかかわらず、さらに山側に避難中とのこと。
また、別の親戚は富山県の山間にあるお嫁さんの実家にいるとのこと。
結局親戚を頼らないこととし、当初の予定通り自宅近くの標高20m以上のコンビニに辿り着きました。
ラジオでは既に津波は到達して富山は80cmを記録した、港を波が乗り越えたところがあるとラジオでは言ってました。想定3mよりも津波は低いなと思いましたが、地震は頻発しており波と波が重なると増幅してさらに高くなることがあるので、警戒は続けました。
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コンビニは大変混んでいて、既に駐車場はほとんどいっぱいです。
当地は冬場通勤時に雪にとじこめられることがあるため、私はシュラフと毛布と水を一人分、軽食としてビスケットなどを常に車に積んでおりました。そこで不足する二人分の飲料水と夕食としておにぎりとカップ麺を買い、駐車場で待機しました。
他のお客さんも同じ身の上のようで車は駐車したままで動きはほとんどありません。私はこのまま車中泊を提案しました。
地震は強さも頻度もだんだん減少してきており、主人は持病の薬を取りに戻りたいと言うので、私も家のことが心配でしたので、必要なものを持ったらすぐに安全なコンビニに戻るという事、主人の車も一緒に避難する事を決めて一時的に自宅に戻ることにしました。
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自宅のある町はいつもより暗く、人の気配がなく静まり返っています。
消防署は消防士に混じって一般人数人と乗用車が数台ありました。
各家は灯も車も無くガラーンとして、たまに車のある家を見つけると2階だけ灯がついていました。
遠くで小学校のグラウンドの照明が点いていました。
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富山市は最大震度5強でしたが、帰宅すると幸い家具は倒れておらず、棚の上のガラス製の食器が一部落ちて床に散乱していました。
家具を壁に固定したり、突っ張り棒などで揺れ止めをしていたのは有効だったようです。
主人は薬や服を持ち出し、私は湯を沸かしてポットに入れ、追加の毛布と服と食料を車に積み込みました。
息子は貼るカイロと万が一のために救命胴着を積み込みました。
主人の車はもともとキャンプ用品が積んであるのでオートキャンプには好適です。車二台で高台のコンビニに再び戻りました。
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コンビニの駐車場で休憩し、カップ麺に湯を注いで夕食としました。
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夜の9時ごろラジオで県内コンビニが従業員の安全を確保するため閉店すると報道がありました。
コンビニは戸締りをはじめ、駐車していたお客さんの車もどこかへ移動していきました。
閉店のためトイレが使えない事に困ってしまい、トイレを探しに移動しているうちに、とうとう富山駅に辿りつきそこで済ませました。
再び元のコンビニに戻ると真っ暗で駐車しているのは私たち家族の2台の車だけ。
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外気温は4度くらいでしたがカップ麺と貼るカイロで体が温まり、シュラフや毛布をかぶって座席を倒して仮眠しました。
主人は体調があまり良くなかったので車中泊はきつそうだと判断し、津波警報が解除された夜2時ごろ帰宅しました。
結局早めに戻った事になりますが、いつでも車で移動できるよう車に積んだものはそのままにしました。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ということで車で避難の顛末は以上のとおりです。
車中泊というものの朝まで寝ていたわけではなく夜中に戻ったので真の車中泊と言えるか微妙です。
町の他の住人の多くは翌日の10時に津波注意報が解除されるのを待って戻ってきました。
◆◆◆◆
<避難の判断>
NHKのアナウンサーの避難の連呼、津波予測3m、波が逆流するYoutube動画、港を波が乗り越えたという報道で避難を判断しました。
<他の方はどうしていたか>
〇同じ町内の方(海に近い地域)
・自宅で酒盛りしていた人は徒歩で高台を目指したが(酔っていたので運転できず)避難する他の車の方にピックアップされて高台へ移動
・徒歩で小学校に避難
・親は遠方のショッピングセンターで買い物中で子供は自宅で留守番していた家族。子供を迎えに行きたいと言ってもショッピングセンターにとどまるよう制止され、車を出せず。たまたま車で通りかかった同級生の家族が子供をピックアップし、ショッピングセンターに送り届けた。
・自宅に孫を連れた娘家族が訪れていたので全員で避難し、駅前のホテルに宿泊。
・車で避難した人たちは一斉に同じ高台を目指したため大渋滞になった。
〇富山市中心部以南の方(津波の心配のない地域)
・避難はしていない。
<津波の実際>
津波の規模ですが、実際の高さについては調査中のようです。
近くの漁港は地震と津波の影響で15cm沈み、ひび割れ、定置網の破損などが確認されているようですが、海岸を超えて家屋に迫る被害はなかったです。
また、能登半島先端が震源だと津波到達まで5分かかるそうですが、実際は1分で来たのは地震で海底の砂が土砂崩れを起こし津波を起こしたためと言われています。
もしも富山平野から富山湾にまたがる呉羽断層が動くと震度も7、津波も秒で来るのでその時は車では間に合わず救命胴着しか助かる手段はないと考えています。
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日本は災害の多い国ですので、自動車をお持ちの方はいつでもオートキャンプができるようにしておけば、万が一自宅が被災した時でもスムーズに対応できるのではないかと考えます。
その延長線上で趣味のキャンピングをさらに充実させていこうと画策中です。
例えば車の中で体をまっすぐに寝られるように工夫するなど。
長いお話お付き合いいただきありがとうございました。
何か皆様のご参考になれば幸いです。