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解かれてしまった封印
「ミステリー・オブ・ツタンカーメン〜体感型古代エジプト展〜」【期間限定】12月まで開催中! - 話題の情報が満載!横浜みなとみらい21公式ウェブサイト へ行ってまいりました。
「スーパーレプリカ」と詠う展示品と映像です。
レプリカで思い出すのは 大塚国際美術館|徳島県鳴門市にある陶板名画美術館 で、まだ訪れたことはないのですが、評判が良いらしい。
わたくしが子供のころのエジプトといえば
”遠くて広大な土地に、人間にははかり知れない謎が埋もれている”
というイメージでしたが、あれから学者先生たちの情熱的な研究が進んだのですね。今回は、河江肖剰氏の監修でした。
当日来館していた子供たちはこんなふうな精巧な画像や展示で、イメージを盛り上げる音楽と共にいっぺんに膨大な情報を学べるのですから、エジプトに対し謎とは感じないでしょう。
神秘や謎は、世の発展とともに希少になっていくのかもしれません。
どんな精巧振りかと申しますと、こちら
![](https://assets.st-note.com/img/1739070296-q4uPme05cH3pdbzSUXojJtQg.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1739070357-6jdT3PgbmhrV1OlIcHWEsS5k.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1739070569-hqJATu7rNUDWm85eXoBHGxcb.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1739071027-vx96stUOjVXYRDB1Q7nTJbwI.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1739071124-cR6lv5gMGjSVy0Pozu4arTXB.jpg?width=1200)
などなど、よくよく観ると手作業の跡まで再現されていたように思います。
この数十年間でここまで技術が発達するのなら、そのうち、再現品の仕上がりもビックリなスピードになっていきそうですね。それもAIが3Dプリンターでやるのかな。。
エジプト王の墓と言えば、来生のための身体の保存や見事な副葬品の数々です。そう、
日本以外にも来生信仰があった、そうだった。しかし、本人に関連するありとあらゆるモノを一緒に持って行く、というところをみると、輪廻とは違いますね。そのまま移行、あちらの世界へ行っても困らないように、ということだと思います。
下記の他にも沢山の展示物がありました。
![](https://assets.st-note.com/img/1739071851-CfkPJRvsHXSIZ8BLzgwiGux7.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1739072029-zlCDBcf8nMqZSwaVeoXgpJh1.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1739072115-mRAC4kY6IhNaltsHpQVDFZfE.jpg?width=1200)
もう一つ、古代エジプトといえば多神教であったことも共通点です。動物や虫も神の化身というところも、我々にもすんなりするところです。
しかし、ツタンカーメンの父親アクエンアテンがいきなり一神教を持ち出したということですから、その混乱ぶりも想像にかたくない。無理だよ。。。
その後息子のツタンカーメンが9歳で即位したということですから、さぞ波乱の人生だったことでしょう。
そもそも、彼のお墓がハワード・カーターにより発見されるまでは無名であったというところも、何やら深いものを感じます。
その亡骸は、巨大なトレーラー状の黄金の箱から箱へ、マトリューシカのように厳重に守られ、さらに棺状の黄金の人型棺が続きます。その数、6回。
![](https://assets.st-note.com/img/1739072957-pSZMFbhDnmd0J8OB1rGj73Vl.jpg?width=1200)
ミイラを作る際の内臓を保管する容器も壮麗な装飾がありまして、その死と再生の信仰に、少し恐れの気持ちというか、壮絶さを感じました。
それは、今回のようにレプリカのおかげでその実態を目にし、画像で短縮した成り行きをすべて一度に確認できたからに他なりません。
仮に、本物の副葬品の一部を見ることが叶ったとしても、わからないことがある。
レプリカだということではなく、その情報の集大成こそに意味がある。
それで、だからこそ、感じてしまった。
これは、本気で封印された尊いにんげんなのだ。
当たり前だけれど、古人はここまで本気だったのだ。
年月をかけ技術が進み、謎が解明されつつ、それを見学しつつ、それをスゴイ、興味深い、歴史研究に役立つ、というところで止まれない、何か根源的なものがあったような。
それは、何だっけ。。。ちょっと思い出すのに時間がかかりそう。
お墓をあばかなくても、見学しなくても自分で確認できるような、、、