非効率の満足感
音楽はサビだけでいい、文章が長く点や丸があるのは苦痛、料理は時短、口に入れたらすぐ美味を感じる食べ物、計算ピッタリのタイミング、見栄え、などなど。
効率の点で正解と言われる情報は調べればすぐ出てくるので、現代は「共有している正解の中からいかに珍しい回答を出すか」のループにあるような気がするのは、わたくしが歳を重ねたからでしょうか。それとも、性格的なものなのか。
先日、本当に久しぶりに友に会えましたが、【十数年ぶり】 パリから友家族が。 総勢11人で、暑い暑いと言いながら、一緒に過ごす日本の鎌倉。 |美恩 (note.com) ああ、これだ、と思い出しました。
「そんなに大勢の中に一緒にいたら、あれこれ本当に大変じゃないですか」と昨日日本人の若者に聞かれましたが、いいえ、全くもって。ぜんぜん気を遣わなくて楽ちん。
幼い頃から集団行動が苦手で、ほとんど学校をサボっていたわたくしが楽と感じるのは、あのフランス人の自由気まま(勝手)な空気感なのでした。マナーはあるけれど、いわゆる日本的な気を遣うという精神はない。
まず、合わせた動きは無理。一緒に固まって歩いているようでいて、必ず誰かがいないから、気が付いた時にどこかで待つ。しかも長時間、くだらない話をしながら、誰も怒らずに待てる。そして全員揃っていても、居心地が良くなったら移動しないでなんとな~くずっと同じ場所に留まる。店でも、道端でも、どうでも良い話をしながら。誰かが買い物で長時間唸っていると、誰かは知らずに店を通り過ぎて駅で延々待っている。おしゃべりしながら。その間、別の誰かは知らない日本人について行ってしまう。くっちゃべりながら。
まるで大草原を移動する動物の群れのような自然体です。(褒めてます)
そんなに何を話しているのか、と言えば、情報交換など皆無。非効率的なとりとめもないものです。素直に、思っている事そのまま。効率的な考えだと、おしゃべりは持ちませんね。そして、気が合わないととりとめもない会話は続きませんね。このムード、伝わりますでしょうか。
ウン十年もフランス語など使ってないので折々についていけませんでしたが、そんなことはどうでも良い。もの凄く自由な空気なのです。ま、プライベートなのだから当たり前なのですが、全員と学生時代からの友人のような気安さです。なぜならばおそらく、ああいう時のフランス人は何かを「得る」よりも「一緒に過ごす」ことが大前提にあるからなのです。
実際、仕事について聞かれたのは友人のご主人からのみで、それは私の近況を純粋に知りたいからであって、過去何があっても今健康で、こうして今一緒にいられればそっちの方がずっと重要。これって、大切にされていると思うのはわたくしだけでしょうか。もの凄く、居心地が良いものです。
久しぶりの人と会っている時にありがちな、延々と相手や自分の身の上の説明で過ごすエゴとは全く無縁なのです。今せっかく相手と会っているその時間を感じるということ。
前述の若者から「今は〇〇ハラスメントとかあって、人と何を話せば良いのか難しい」と持ち掛けられましたが、確かに、間違えないように、正解の時間を誰かと過ごさねばと考えると苦しくなりますね。
今回改めて思い出したのですが、別れた後になってからも「私はいつでもウェルカムなんだ」と思い返せるコミュニケーションは、会話の内容以外にも含まれているものです。
久しぶりに無駄・無理・ムラを自在に繰り出すフランス人に心暖められた次第でありました。(褒めてます)
満足・幸福感は、こんなところにも潜んでいる。
何の話ししたかはもう覚えてないけど。