ARTに還った日
草のにおい。本当に久しぶりに嗅いだ。子供の時以来、何十年ぶりになるだろう。狭い範囲でのガーデニングでは叶わない、草刈りをされた土地の匂い。小田原の江之浦測候所 | 小田原文化財団 (odawara-af.com)にて。
昨日は9月の最終日だというのに気温は真夏の暑さで、それでも風を受けるとささやかな秋の到来を感じた。ひとしきり歩いたあとの高台から臨む広大な海と、自然に冷やされた風。先日の寺院での座禅のような心地になった。とんびははるか上空を優雅な弧を描いて飛び、草刈りの跡には、無数の蝶がひらひらと浮かんだり沈んだりしている。名前の知らない鳥の鳴き声が、空間に響き渡る。そんな風景の一部になっていると、何だか歌い出しそうな、俳句の一句でもひねりたくなるような衝動にかられた。あ、そうだ、創作って、こんな衝動から起こるんだな、と腹落ちした。上記のリンクから、この財団の構想者、かつアーティストの杉本博司氏が映る画像がある。その中で突然、氏が朗々と狂言の節回しで詠い始めたのがものすごい説得力を持つ。
そういえば『古今和歌集』の序文には、下記のような文言があるそうな。
花に鳴くうぐひす
水に住むかはづの
声をきけば
生きとし生けるもの
いづれか歌を
よまざりける
これこそ、ARTの起源。誰でも、具えているもの。
美しいもの・ことは、本当に身近にひそんでいて、生命力と繋がっている。