繋がっていた
先日投稿しました 本阿弥光悦の凄み|美恩 (note.com) と 空間の美|美恩 (note.com) が繋がっていた、というお話しです。
上記「空間の美」では、なんともノンキに三渓蕎麦(食べたくなってきた)とその自然美にしか触れておりませんでしたが、改めてこの三渓園の主であった原三渓を調べてみると、まあ面白いこと、感嘆すること、この上なし。
豪商とは知っておりましたが、当時は港横濱で世界一の生糸貿易を手掛けていた唸るような資産家でした。あの、三井物産創業者の益田鈍翁と肩を並べる、いや、その蒐集活動においてはスケール的に勝るのではないか、と思います。
何のスケールかというと、その国宝を多数含む作品蒐集数4,000以上ではなく、その篤志家の面です。近代日本画家たちを保護し、三渓園で製作環境を整えた上で、作品も発注。展覧会に出品すれば、その大型絵画も難なく購入し、支援したのでした。一例として、横山大観、下村観山、今村紫紅、速水御舟などなど。
日本美術院の岡倉天心が多数奔走した支援に応えきったのも、三渓ただ一人。大震災の折に、横浜復興を支えたのも、そんな方ならそうだろうな~、というもの。
何と言っても、お金だけじゃない。三渓園で守護した画家たちや、海外からの客人たちへ名品ぞろいのコレクションの観賞会を開き、美術議論をして精神面でも支援しました。保護された画家たちが、恩への返礼として自分たちの代表作を多数寄贈していたことも判明。自分の趣味ではなくとも力作と認めれば高値で購入したというから、その豪胆さは、単なる蒐集家では収まりません。もう、惚れてしまいそうな男気です。
さて、まだまだあるのですが、光悦と何の繋がりかというと、何と現在人気の琳派の作品は、このように蒐集家が買い入れたことで受容を促していたというのです。三渓レベルでの購入の影響が大きかったことは、想像にかたくないですね。身近に感じていた三渓も、あの感動的な光悦や宗達の作品に一役買っていたのです。良いモノ・美しいモノは、とても独り占めできるものではない、みんなのモノ。という価値観が、蒐集家以上の強い志として三渓を動かしたのでしょう。日本の美術史に残っていることなのに、何故そこまで有名でないのか。わたくしめがボ~ッと生きているのかと思いましたが、横浜人に話しても、三渓園は素敵な庭だぞ、という以外は意外と知らないようでした。
いかがでしょう、あなたも三渓園に赴いてみませんか。横浜 三溪園 - Yokohama Sankeien Garden -
ここで、原三渓の言葉を残しておきます。
三渓の土地は
勿論余の所有たるに相違なきも
其明媚なる自然の風景は
別に造物主の領域に属し
余の私有には非ざる也
豊かさとは、美とは、まさにこういうことを指すのでしょう。
これからも沢山、美と感動を求めていこうと思った次第でした。
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