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えもいわれず旨い

お暑うございます。
みなさま、きちんと召しあがっていらっしゃいますか。わたくしはお陰様で毎食美味しくいただけております。特に、ランチで行きつけのお店の方々には感謝で一杯。食していて幸せな気持ちになるほど気に入っております。
【毎回、声を掛けておく】 銀座に、気に入ってお世話になっているランチ場所がいくつかあります。 大切にしているので、お会計時にはチャンスとばかり美味しさを伝えております。 身体の調子で休業があったり何か|美恩 (note.com)

さて、冒頭の画像はある書籍から引いてまいりました(P.24)。素朴でシンプルそうでいて、こういうものってすごく手間がかかるものです。お金はかからないけど、味わうためには愛情をかけるもの。
今回ご紹介するのは、そんな料理を紹介されている、筋金入りの食いしん坊とお見受けするある方の著作です。

浅野陽 著 『酒呑みのまよい箸』文化出版局、1979年。

題字も、まよってゆらめいています。昔の本の装丁はにんげんの技を感じます。
こちらで夏の食事を読んでみれば、そうめん一つとっても、冷たくて手で触れなくなるほど冷やした水で仕上げたり、豆腐を半日清水に打たしてにがりを抜いたり。
「料理屋の料理をまねしていたら、旨いものはできません。あれは商売用なんですから。自分のうちであんなもの食べなくちゃならない義務は、毛頭ないんです」(p.101)。
何だか、おしゃべりを聞いているかのような文体でリズム感があり、ついつい料理を想像しながら読み進んでしまいます。

確か、昔読んだ池波正太郎氏のエッセイでは蕎麦やそうめんはそれだけを味わうものであって、天ぷらやなんかつけたがるのは野暮、というようなくだりがあったと記憶しているのですが、それを思い出しました。
何とも真剣勝負のような味わい方です。
ごく身近な食材に、自身の味覚と知恵と興味を総動員させて、対峙する。

素材を吟味するとは、選び取ることもそうですが、きっとその性質を掴むセンスも含まれるのでしょう。
その純粋さと潔さとドンと構えたムードは、盛り付けにも表れています。
わたくしはこの本を手に入れた時、こちらの写真をしば~らく見つめておりました。しっかり食べている気になりながら。

P.19

本を見ながら食べている気になるとは、どれだけ食いしん坊なんだと我ながら思いますが、この盛り付けと素材から出てくる「おいしいよ~」というメッセージのコントラストは、言うまでもなく、今どきの”ばえる" とは質的に別次元です。
目立たせるための着飾った盛り付けではなく、あくまでも食べるための物として、謙虚で丁寧な扱い。もう、理屈はどうでもいい、ああ、いただきま~す!

話しは変わるようですが、数年前『土を喰らう十二カ月』映画『土を喰らう十二ヵ月』|大ヒット上映中 (tsuchiwokurau12.jp) という映画が上映されました。主演は沢田研二氏。ウン十年前、幼稚園児のくせにジュリーの大大ファンだったわたくしは、もちろん赴きました。その映画とも通ずるものがあると感じます。あの映画は、水上勉氏のエッセイが元のようですね。読んでみようかな。
いずれも、男性作家の食にまつわるストーリーですが、わたくしの食の好みは、そういえば華やかなお皿よりも落ち着いたお皿ものです。食器と料理の関係も深そうですね。

食にまつわるひとの何たるかはよく言われるところですが、こんな風に食材に対峙する方とうっかりお食事の席などご一緒したとすると、あっという間に自分を見抜かれてしまいそうな気がします。三枚におろされそう。
自身がちゃんと味を出せるような生き物なのかどうか、食べる話ばっかりしていないで振り向いてみよう。




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