自分で考えて、決めて、動く。
自分の人生は自分で主導権を握る
社会人になってからこの言葉の重みを感じることが増えた。
自分の人生、自分が主導権を握っていかないと
日々の幸福度は上がっていかない気がする。
高校生ぐらいまではやるべきことが常に目の前に用意されていた。
そして目の前のことを必死でやれば、多少なりとも結果はついてきて、達成感を味わうこともできた。
大学生になって、目の前のやるべきことは高校生ほど明確に与えられなくなった。
バイトをするのも、サークルに入るのも、勉強する科目も自分で選択できた。
いきなり何でもやっていいよ!と言われても、
これといってやりたいことはなくて、何となく飲食店でバイトをしたり、英語を勉強してみたり。
適度に遊んで、適度に勉強して。
そんな風にぬくぬくとした大学生活を過ごすうちに、いつの間にか本気で頑張ることを忘れてしまっていた。
大学3年生の春、就活がスタートした。
わたしにとって就活は ”与えられたやるべきこと” だった。
みんなと同じように説明会に行って、インターンにいくうちに行きたい業種、会社ができた。
何度もその会社のインターンに足を運び、この会社に入りたいですアピールをしていた。
だけど3年間、エントリーシートや面接で胸を張ってこれを頑張りました!なんて言えることはなく、かといって将来有望だと思われそうな才能もなかったわたしは、結局その企業には入れなかった。
わたし、この3年間何にも本気で向き合ってない
今まで中途半端に優等生のルートを歩んで頑張ってきた気がしたけれど、その一歩はいつも誰かが提供してくれたものだったことに、そのとき気がついた。
そして今まで頑張れば、多少なりとも成果がついてきたわたしにとっては、ある意味初めての挫折だったのかもしれない。
結局志望した業界には入れたけれど1年ほどで辞めてしまった。
憧れた業界だったけれど、就活時代はキラキラした部分にしか目を向けていなくて、大変な部分は目を瞑っていたのだと思う。
辞めるのは今から思えば当然だったかもしれない。
そもそも ”就活は与えられたもので、やるべきこと” なんかじゃなかった。
学生時代のモラトリアムと呼ばれる期間で、自分で考えて動いた人は、きっとやりたいことや興味のあることを見つけていたのだろう。
実際、そういう友人たちを何人もみてきた。
そして就活はそんな興味のあることをもった人たちが、自分のやりたいことができるか、自分ができることがどの会社なら最大限活かすことができるのか、それを見極める場だったのではないかと思う。
自分の人生の主導権を握れる人は強い。
そんな失敗から学んだ教訓も、しばらく忘れていたのだけれど、ここ最近人生の岐路に立たされていることが多い気がして、改めて自分の人生は自分で意志をもって選択しなければと思うことが増えた。
そして将来の自分が楽しく過ごせていますように。
おわり