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主が僕に与えてくれた示し。どんな状況でも主にあって喜べ。

こんにちは。
冬の寒さがますます感じられ、
サッカーのシーズンが終わりを迎える時期になりますね。
僕らysccは現在19位、残り3試合で全ての結果が表れます。
19位だったら入れ替え戦。
18位以上なら残留です。
どきどきしますね。

さて最近の学びや気付かされたことをシェアさせて頂きたいと思います。

約2週間前にSC相模原戦がありました。
僕はスタメンで1-2で負けました。
その試合後にこのツイートを見た。 
(この方は安彦さんといって、約4年前に元チームメイトで、現在は格闘家である。当時、食事やメンタル面を参考にしていた方。)


僕は、僕なりに一生懸命やっていたつもりであった。

だから正直これを観たとき、イラッとしてしまう瞬間があった。しかしなぜかすぐに冷静になれた。
安彦さんから観たら伝わっていない…
なら大多数の方にも伝わっていないんだなと…

冷静になれたのは、この思考にすぐに戻れたからだ。神は必要な出来事を様々な形で現してくれる。
という思考になり、安彦さんがそう感じたのならそう感じた。という事実があるだけ。
(聖書箇所も思い出して読んだ。後ほど紹介します。)
ではここから僕には何ができるのだろうか、となった。
この日は日曜日、すぐに礼拝の動画を見た。
(うちの教会ではどうしても行けない時に動画で見ることができる環境がある。ありがたい。)

僕の人生はこの日から新しく始めることができる、ということ。
今までのサッカーを通しての経験や常識、こうだからほとんどこうなるという考え、僕の力はこんなもんだなーという馬鹿げた思考を捨てる必要がある。

なぜなら神が僕の人生の発案者であり、神は土台である。ということをさらに心に刻むことができた。
結局、何をやろうが、何が起ころうが、神が願っていることはなんだろうと心に留め祈りながら行動していくことが大切なんだと思うことができた。
自分が基準ではなく、神の基準に戻る。

そして、神が安彦さんの厳しい言葉さえ、僕を成長させるために見させてくれて、考えさせてくれて、そこから君はどう行動に移していくんだと、言われているかのようであった。そんな日であった。

そこから1週間後。
僕が所属しているYSCCにはトップチームの他に、
YSCCセカンドがある。
神奈川県社会人1部リーグに所属していて2位であった。そして1位の東急レイエスとの試合があった。

去年くらいからかな、トップチームとセカンドは一緒のグランドで練習するようになった。セカンドが午前中の早めの時間で、その後にトップチームが練習する。
なので、セカンドと一昨年以前よりは関わる機会がある。僕は練習始まる1時間前くらいにグランドに行くので、既にもうセカンドは練習している。
彼らの練習中のいきいきしている感じが今年すごいなと感じていた。
なのでどこかのタイミングで試合観に行きたいと思いながらも全然行けていなかったが、、
この日に行くことができた。夜試合で、家も近かったし、次の日オフであったので観にいくことができた。
ただトップチームは夕方前くらいから練習試合があったので、キックオフの10分後くらいに会場に着いた。

観ていて凄かった。
非常に距離感が近かったので声や表情がよく見え、聞こえた。
どちらの選手も活気で溢れて、勝ちたいという思いが伝わってきた。両GKの声が凄かった。
ずっと声を出していた。
荒れている状況下でもレイエスのGKのレフリーに対しての尊敬を持っての声出しとかも。
そういうのがよく聞こえた。

あー僕に足りないものがこれか。そう感じた。
DFにも関わらず声を出すことやコミュニケーションもそんなに得意ではない。
でもこれは神からのさらに成長させてくれる種であることはすぐわかった。これを無視していつものようにサッカーしていれば何も成長はない。
ただ少しでもちょっとでもいいから今、目に映っている僕には足りない声や勝ちたいという姿勢を、僕のサッカー人生に取り入れていければ必ず成長できる。という確信が芽生えた。
勝ち、負けは神が決めることは大前提。
しかし、勝ちに向かって一心に走り続けていたか? と問われればこの両チームの魂こもった試合を観たときに100%YESと言えない。
自分の状況や心情も相まって、こんなにも心が動いた感動した試合は他にあったのかわからないほど、感動した。
だからこれを観させてくれた神に感謝しか芽生えてこなかった。もちろん両選手、スタッフ、また観客の熱量にも。結果は1-5でセカンドが負けてしまった。
先ほど記したように試合中の声や勝ちたいという気持ちがプレーに本当に現れていた。少なからず僕よりも半端なくあったのは間違いない。
そんな試合であったと感じさせられた。

神である主イエスは必ず僕をいい方向に歩めさせてくれる。僕はこれを信じている。
僕の努力や今までやってきたことを1番に信じることをクリスチャンになってからはそう生きないと決めた。
なぜならこれまでの経験から僕の基準や考えに陥ると、うまくいかない時になんでなんだよ。こんなにもやってるじゃないか。と言わんばかりに気が付いたら自分=神になっている。
そうなると神が祝福を与えたいと思っているのに、
それを自分のエゴにより、それを受け取ることができない可能性が高くなる。それは避けたい。
ではどうする? 再びズレていたらまた戻るだけ。
基準を神に戻す。なぜなら神は約束してくれているから。全て神が与えてくれるということを。
自分が理想としている結果が神にとっては願っていないということが多くある。

それを踏まえて、一生懸命努力することも骨打って働くことも本当に大切なことだと思う。セカンドとレイエスの試合を観てなおさらそう思った。彼らはサッカー外の時間はどこかで働いていたりしているだろう…しかしあんなにも素晴らしい試合を体現していた。だから心を動かすのにJ1とか社会人とか小学生とかどんなカテゴリーだとかは関係ないということも、気付かされた。

最後の最後の結果、勝敗の結果を決めるのは神であることは譲れない。僕には結果は決められない。
しかし、自分が願っている結果を与えてもらえるためには、日々主に祈り自分の願いを知ってもらい、
主イエスの言葉を聖書から神の家族から学び歩んでいくことが何よりも大切である。

だからその時に言われる痛い言葉も必要なものである可能性が高い。そこに神が介入している。
安彦さんのあのツイートは本当に痛かった。
聖書のこの箇所を思い出した。(特に堅い食物という言葉を。)

"あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。
まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。
しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。"
ヘブル人への手紙 5章12~14節
 
もし僕が神を拒否していたら、受け入れられなかったら、あのツイートはただ無視するだけであったのかもしれない。
しかし、この聖書箇所がツイート見た時に思い出させてくれたのは完全に主のおかげ。
なぜなら4年前に安彦さんのノートをたまに見させてもらっていて、すっごい考えていて、勉強熱心な方だなと思っていたので、この人が言うならというのもあったと思う。もし一切関わりがない人で匿名でこのようなツイートしていたら無視していたのかもしれない。
神が僕のために安彦さんを用いてくれたんだなと思った。笑
さてこの聖書箇所は、一般の生活で適用すると簡単に言えば、
乳は赤ちゃんのものであり、堅い食物は大人のもの。
食べ物で例を出すと、
赤ちゃんにせんべいあげても歯もないし食べられませんよね。
言葉で例を出すと、
自分にとって欲しい言葉、優しい言葉、現状維持を求める言葉などは、自分の考えの範疇であり、何も変わらなくていい理由になりますよね。ということは柔らかい噛まなくて良いまるで乳のようなものですね。
逆に、堅い食物は耳に痛い言葉、厳しい意見を通して成長するためにこの堅い食物を噛み砕こうとする人。
こういう人でありたいですね。
でも本当にこの人のために言っていない場合もある。ただ傷つけるために言う人も世の中には沢山いる。これは堅い食物に見せかけた偽物だ。

ただ愛を持ってその人のことを思いしっかり指摘してくれる堅い食物を提供してくれる人の言葉を堅すぎるけど、噛み砕き自分の糧にしたらさらに成長できる。
そんな人たちの言葉を見分けるためには、基準がなければならない。それは自分の感覚、直感ではなく日々神の言葉=聖書を蓄え続ける必要がある。

約2年前くらいからブレながらも左にも右にもそれたくない、真ん中の主イエスの道を歩み続けたいと思っていて聖書や神の家族、周りの方々のおかげで、この記した一連の出来事を神が用意してくれたものに気付くことができた。本当にありがたい。主イエスを信じて受け入れて歩むと決めると本当に、今までのこと、全てのことがズゥーーーンと一瞬でぶっとい線となる。
そのときには苦しすぎてなんでこんな経験通らなければいけないんだと脳裏に現れたりするが、今まで蓄えてきた神の言葉がストンストンとからだの中に入り、神が思い起こさせて勇気付けてくれる。
試練を喜びなさいとか、恐れるな。私はあなたとともにいる。絶えず祈りなさいとか、神のなさることは時にかなって美しいとか、旧約聖書の時代のエジプトの奴隷であったイスラエルの民を率いていたモーセが、神からエジプトから出なさいと言われ、脱出しようと歩んでいた時に海に行き詰まった。しかし神が言われたことなので必ず実現する。海が真っ二つに開き、イスラエルの民は脱出できたが追いかけてきたエジプト軍は全員海に飲み込まれた。そういうシーンも思い浮かんだりする。だから神の言葉を信じ歩み続ければ必ず大丈夫という確信がある。
でも人間は僕は弱い。ブレまくる。しかし神の基準からズレていたらいつも神があらゆる方法で気付かせてくれる。
なんとありがたいことだろうか。

最後に、
この世の中で唯一安心して平安をもち歩める道があります。主イエスキリストを心に受けいれ、主の道を歩むと決めること。
これ以外にない。ますます世の中が悪い感じに進んでいると思われるほどの現在。
SNSを開けば悪口や不満なことを匿名で、平気で傷つけている人もいる。対面でもいることでしょう。
言葉は生きる糧を与える素晴らしいものにもなるが、
人を死に導く兵器にもなりうる。
だから本当の愛とは何か、
あなたは本当の愛を知る必要があります。
キリスト教や宗教ではない。
聖書に記されているイエスキリストの美しい生き方。
神がイエスキリストを通して人間をどれほど愛しているか、それを知る必要があります。

神は、本当にあなたのことを愛している。
あなたがどんな状況であれ、面白くないと思える状況であれ、周りに悪口や苦痛を伴うことを言われるようなこと、なんでそんなこと言うんだと思うこと、
なんで自分だけこんなことが起こるんだと思うことが、毎日あったとしても神はあなたを愛している。
あなたの人生に光をずっと与え続けています。
今はちょっと見えないかもだけど、暗闇の中をさまよっている人がいるかも知らないけれど、
必ず光があります。突破口があります。
この文章だけじゃ100%は信じられないかもしれないけど、
少しでも心に留めておいてくれたら幸いです。

あなたの人生を華やかにして、あなたの人生を満開の桜のように咲かせたいと思っています。
なぜならあなたは神の作品であるから。
あなたを通して神が褒め称えるようにしたいから。
それが唯一の恵みの祝福の平安のある人生。
あなたにどんなことが起こっても神に頼り頼り続けると乗り越えさせてくれる素晴らしいお方です。
もし神を信じていなくも、人生を振り返ってみれば、
これ自分の力じゃなくて何かの力が働いたんではないかと思うことがあると思います。
それは神様の働きによるものです♪
ありがたい感謝ですね。

ここまで読んでくださりありがとうございます。
5000文字くらい書いちゃいました笑

僕も今ははたから見たら面白くない状況ではあります。なぜならチームが19位と降格の可能性があるからです。しかし僕はこの言葉を心に留めています。
 
"最後に、私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。前と同じことを書きますが、これは、私には煩わしいことではなく、あなたがたの安全のためにもなることです。"
ピリピ人への手紙 3章1節

どんな状況であれ、主イエスを受け入れた者として、主にあって喜び続ける。もし主がいなければ僕は迷える子羊のように血迷って変な道を歩んでいたかもしれない。だから主が僕のことを霊的に救ってくれた。
そのことに本当に感謝しかない。
だからそのことを忘れ、
もし喜びが失われてたら危険信号。
主にあって喜んでいる状態=安全。
だからキリストを信じる者として、どんな状況であれ、主がともにいるから主から離れて行われることはひとつもないから、喜ぶ選択をする。

僕は残留したい。それを毎日神に祈っている。
僕にできることは試合に出る出ないことに目を留めるのではなく、
主、あなたが何を願っているのか、僕に何を成し遂げたいと思っているのかここに心を留める。
このチームに神が僕を導いてくれたから、
だからこそ真剣に生きなければならない。
主イエスが僕にチームに用意してくれている大きな祝福を得るために。
(もう毎日1日1日が喜びで祝福なんですけどね笑)
ただ残留したいという気持ち。
それだけは心にたしかにある。
あとは主のみこころなら成る。

最後に聖書の神の言葉を。

"恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。"
イザヤ書 41章10節

"主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。"
詩篇 121篇7~8節

では。

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