初めまして。「ロン」と申します。1998年生まれ25歳の男性です。 昨年の6月に適応障害で前職を退職後、現在までキャリアブレイク期間を過ごしている無職です 以前から自分の想いを文章に書くことに興味があったのと、日頃の考えを文章に残したいという想いからnoteを始めました。 文章を書くのは苦手で、ダラダラした長文になりがちですが、温かく見守って頂けたらうれしいです 自己紹介好きなもの・こと ラーメン二郎 →通ってた大学の近くにあったことからハマり、全盛期は週3で野菜マ
こんにちは。ロンです。 11月13日~17日の4泊5日で静岡県浜松市にある浜名湖のほとり、三ケ日という地域にホームステイに行ってきました。 三ケ日みかんで有名な地域です。 このホームステイ、「ファミリン」というサービスを使って行きました。 このサービスを知ったのは、むしょく大学の授業がきっかけです。 以前、暮らしてみたい場所についての記事を書きました。そこで浜名湖のことは書いてなかったのですが、いろいろ見ているうちにここにも興味をもちはじめました。 湖のある暮らし
お久しぶりです。ロンです。 10月に入ってから、急にメンタルがの浮き沈みが激しくなり、少し病んでました。 元気な時は元気なのに、ダメな時は何もする気になれなくて少し大変でした。 この原因はなんだろうと考えた時に、今月に入ってからXやインスタを見てる時間が多くなっているなと思いました。 そこで、スクリーンタイムで制限をかけてみたら、瞬く間にメンタルの調子が良くなりました。 昔から人と比べてしまう性格なので、いろんな情報が入ってくるSNSは自分と相性が悪いのかなぁと思った
こんにちは。ロンです。 前回の記事で、暮らしてみたい場所のことについて書きました。 仕事と同じぐらい暮らす場所って大事だと思います。 ここで暮らしたいという想いはある。でも思ってるだけじゃ何も始まらない。 実際に現地に行けば何かがわかるかもしれない。 そう思って、地域おこし協力隊の方とコンタクトをとって、地域のオーダーメイド案内ツアーに参加することにしました。 場所は滋賀県彦根市です。 まさにアントニオ猪木さんの「迷わず行けよ。行けば分かるさ」の精神を実行に移した
暮らす場所って人生の価値観に大きな影響を与えると思う。 住む場所によって環境・文化・仕事等あらゆる面で違うことが多いと思う。 そんな自分は生まれてから現在まで、神奈川→愛知県名古屋市→神奈川といわゆる都会といわれる所で暮らしてきた。 ずっと都会で暮らしていた反動からかもしれないが、一度は地方で暮らしてみたいという想いがある。 湖がある土地・緑がある土地・そして歴史がある土地 こんな場所が理想だ。 そして現時点で2か所、ここで暮らしてみたいと強く思っている所がある。
皆さんお久しぶりです。 前回の記事を書いてから約1カ月、体調を崩したりいろいろありましたが、今はなんとか元気にやってます。 突然ですが先日、誕生日を迎えて26歳になりました。 いろんな人から誕生日を祝福されるのは純粋に嬉しいですし、また1つ歳を重ねたということを実感します。 でも年々、誕生日を迎えることを純粋に喜べなくなってきているのも事実です。 子供の頃なら純粋に誕生日は嬉しかったです。 でも社会人になってから、どうしても純粋に喜べない 世間に目を向けると、
明日が必ずくるなんて保証はない。 だから最近、将来のことなんて考えられない。 子供の頃は、仕事で活躍して、20代後半で結婚して30代で仕事と子育てを両立して…なんて漠然と人生の設計を考えていた。 でも、そんな順調な人生とは真逆。今まさに激動の人生になっている。 よく世間では、「キャリアプランが大事!ライフプランをしっかり立てましょう!」というように、しっかりと目標と計画を決めて、その達成に向けて着実に歩んでいくことが大事ということが叫ばれていると思う。 でも、人生なん
旅にはいろんな出会いや発見がある。 先日、ひとり旅で滋賀と大阪に行ってきました。 その中で、琵琶湖の景色とその周辺の景色が今でも心に残っています。 神奈川県に住んでいて新幹線で2時間ほどで行けるのに、なせか関西にはあまり行ったことがありませんでした。 ここ最近、神奈川県内に籠りがちで、また外の世界の刺激が欲しいと思い、関西に旅立ちました 旅の始まり 初日に滋賀県をぶらぶらしました。 滋賀県に来た目的はふたつ。彦根城と安土城に行くため。そしてもうひとつ、琵琶湖を車でぐ
7月になると、無職になってから丸1年経つ。 この1年間、長かったようであっという間だったような気がする。 思い返せば、昨年の今頃は人生どん底だったと思う。 キャリアを見失い、母を突然亡くし、適応障害で無職にもなった。 これから先のキャリアをどうしようかという先の見えない不安。母を突然亡くした喪失感。いろんな負の要素が重なり、それは絶望感になっていた。 そんな状態から1年。いろんな出会いや身近な人の存在に支えられながら、少しずつではあるが、かすかな光が見えてきた感じがす
無職になった当初、すぐに転職活動をしようと思って少し動いてみたが、やりたいこともなかったし、絶対的なスキルがあるわけでもないという絶望的な状況だった。 そんな中、ふと書店でWEBデザインの参考書が目に留まり、直感で興味をもったため購入し、実際に少し学習を始めてみた。 最初はチンプンカンプンだったが、少し続けてみると、学習していてすごく楽しい感じがした。 そこからの情熱はすごかった。 参考書の内容だけでは足りないと思い、MENTAというサービスで実際にフリーランスで活躍
私は毎日、朝5時に起きている。 いや、起きているというより勝手に目が覚めてしまう。 働いていた頃の生活サイクルが細胞レベルで体に染みついてしまった。 社会人になって最初に働いていた会社では、早番と遅番があったのだが、早番の場合はなんと朝6時出勤だった。 早番の時は朝4時に起きて出勤していた。 今振り返ると、起きてた時間が早すぎて恐ろしい... しかし、こんな生活をしていたおかげで超朝型人間になった。 紆余曲折あって無職になった今でも、朝はしっかり起きれるし、朝風呂
2024年のGWは、いろんな友人と会って久々の再開を楽しんだ。 その中で改めて、人とつながりをもつことの楽しさ・大切さを再認識した期間になりました。 まずGW前半~半ばにかけて、昔住んでいた名古屋に行きました。そこでは、幼稚園でできた人生で初めての友人と久々に再開しました。 途中私が親の転勤で今住んでいる神奈川県に引っ越してしまったため、疎遠になっていた時期もあったが、そうであってもお互い人生で最も付き合いの長い友人であるだけに、やはり特別なものがありました。 犬山城・
ここ1年間、ずっと思っていることがある 母が亡くなって約1年半、だいぶ気持ちの整理はついてきたが、今でも心の穴は空いたままだ 母がいない今、私にとっての身近な家族はもう父しかいない 父は幸いにまだ元気で、日々仕事に勤しんでいる。 しかし、その父も持病持ちだ まだ還暦にはなっていないが、あと何年一緒にいることができるのだろうか 私もいろんな所に行っていろんなことに挑戦したい。 しかし、父がひとりになる姿を想像すると、どうしても胸が苦しくなる。 とはいっても人生は有限
歴史が好きだった少年時代最近とあるゲストハウスに泊まったことをきっかけに、武士を見ることが多くなりました(笑) 何を言っているのかと思った人は、以下の記事の「ゲストハウス彩」という部分を見れば分かります 武士を初めて見た時、とても心躍る想いがしたのですが、同時にとても懐かしい感情が湧き出てきました。 思い返せば、私は歴史が好きな少年でした。 もともと父が歴史好きで、リビングの本棚には戦国時代関連の本や幕末関連の本、中国の三国志の本などがずらりと並んでいました。 学校
キャリアブレイク期間を有意義なものにするために、心の声に従って過ごしてきましが、その反面、無職である現実を感じると、無価値であると思ってしまう自分もいます。 今、私の頭の中にはやりたいことがいくつかあります。 SNSを見たりいろんな人と関わると、中には華麗な経歴をもった人・行動力オバケの人・自分より若いのにしっかりしてる人など、すごい人がたくさんいます。 そんな人達を見ると、羨ましいと思うと同時に、自分は何もできない無価値な人間だと心の奥底で思ってしまう。 自分は自分
一昨年から昨年前半まで波乱万丈の人生を送り、巡り巡って無職になりました。 無職になると無限に時間ができるので、旅したり、友人と会ったり、WEBデザインの学習をしたり、本を読んだりと、限りある人生の時間の中の貴重な自由時間を思うがままに過ごしています。 この中で非常に有意義なものになったのは、旅と読書でした。 旅のことは前回の記事でゲストハウスと絡めて書いたので、今回は衝撃を受けた1冊について、私がその本を読んで感じたことと絡めて書いていこうと思います。 DIE WIT