灯台下暗し
春の雪は、一瞬でとけて消えてしまった。
気がつくと、町のあっちこっちに花が咲き始めている。
花のことは詳しくはないが、クロッカス、チューリップ、水仙くらいはわかる。
雪解けを終えた色のない世界に、突然花を見つけると「あお、春だな。」と頬が緩む。
営業で車を運転しつつ、色彩ののった季節を楽しんでいる。
夕暮れになると、冬のような寒さが訪れる。
会社に戻らなければならない時間だ。
もどりたくはない。
あの陰気な空気感。
管理したい会社とされたくない私。
女性職員の冷たい視線と態度。
全てが馴染めない。
閉鎖的と言われるこの町は、やはりよそ者を嫌うのだと痛感した。
社会人となって知り合いは増えるが、昔のように友人がつくれない。
友人とまでいかない知り合いは、多分お互いが心を開かないのだろうな。
何がそうさせているのだろうか、と時折考える。
とくべつ深く考えはしないが、仕事となると人は変わるのだと思う。
金のことばかりで、それ以外の付き合いがないのが社会人だと俺は悟ってしまった。
だから、会社の中でも誰とも仕事以外の話をすることなく、日々の業務をこなしているのだ。
その業務もつまらない。
つまらないから、ムスッとした顔でやっていたのだろう。
ある日のことだ。
所長が「寺田、そんなにその仕事はつまらないか?」と聞いてきた。
少し間をおいて一応は考えているふりをしつつ「あまり面白くはないですね。」と無表情のままで答えた。
「そうか、じゃあ、君はどんな仕事がしたいんだ?」と質問された。
「えーっと、営業とか、」その後が続かない。
「君の好きなことは何かな。遊びでもなんでもいいよ。」
「好きなことは沢山ありますよ。」そう答えつつ顔が緩んだ。
「登山にキャンプにスキーやカヤックですね。」
そう答える声も弾んでいるのが自分でもわかった。
「今から、俺と外に出ないか?少し付き合ってくれ。」所長にそう言われて所長の後を追う。
会社の女性職員達は、全く反応をせず淡々と仕事をしている。
何故か無表情で、化粧をしているその顔は私には能面のように見える。
いましていた仕事は別段急ぎはしない。
それと、所長は私の仕事に急ぎのものがないのも把握している。
所長と二人というのも困りものだが、パソコンに向かって仕事をしているよりは外出していたほうがまだ良い。
車に乗り込むと、所長が助手席に乗り込んできた。
「どこか静かな店を知っているか。知らないなら、俺の知っている店に行こう。」
「じぁ、所長の知っている店に行きましょう。」
そう言って、ナビを頼んだ。
誘っておいて、道案内以外全く話をしない。
会社の中と同じである。
嫌な空気が流れている。
日を追うことにあたたかくなり、桜が咲き始めた町は日に日に色をのせていく。
柔らかな春の日差しが町をキラキラと輝かせる。
その町にいるのにこの車中だけが別の世界に感じる。
所長のナビで来た店は、海岸線の人がほとんどこない場所にあった。
目の前100メートルのところに海が広がり、険しい山を背にその店は建っていた。
店に入り、中を見渡すと大きな窓から海が見える。
窓が多く、白を基調とした室内は輝いて見えた。
人がほとんど来ないような場所なのに、店の中は3割くらい埋まっていた。
席に着くなり、「へぇー、所長はいい店知っているんですね。」そう話しかけた。
すると、「俺の趣味知ってるか」と質問された。
「いえ。」と答えつつ、自分が所長のことを何も知らないのに気がついた。
知っていることといえば、苗字くらいだ。
名前も知らない。
そう思っていると、「サーフィンとトレラン(トレイルランニング)が好きでね。上手くはないんだけどね。俺の趣味なんだ。ゴルフは好きじゃない。仕事の一環として割り切ってやっている。」
サーフィンが趣味というのに驚いた。
剛からみておじさんである所長の趣味がサーフィンである。
想像しようにも全くその姿が思い浮かばない。
トレランは、年齢の割に引き締まった体を見ると、何となく想像できる。
同じ山でも、登山とトレランは違う。
俺はカヤックが好きだけど、所長はサーフィンだ。
同じ水遊びなのに相対するものに思う。
接点すらないように思う。
「カヤックの魅力は何かな。」と所長は、タバコに火をつけながら話しかけてきた。
その時、店員に「コーヒー二つね。」と注文して、
私の顔を見て、「コーヒーでいいよな。」と念を押してきた。
良いも何も無い、勝手に注文して「良いよな!」は、ないと心の中で思った。
「カヤックは水の上を自由に行けるのが魅力です。水面から見る景色が好きなんです。
好きなところに上陸できて、そこで食事して。
気持ちが良いんです。
所長のサーフィンって、カッコ良いですね。
サーフィンの魅力はなんですか?」と質問した。
「サーフィンってね、難しいんだよ。
だから、ハマった。
初めてサーフィンしてボードに立つことすらできない。
何回やっても立てない。
今まで、スポーツは何をやっても直ぐに何とか形にはなった。
だけど、サーフィンだけは違った、できない。
それが悔しくてね。
ボードに立つことすらできないから、上達しているのかさえわからない。
あまりに悔しくて、立てるまでやってやる!と決めたんだ。
通ってね、3日目か4日目にようやくサーフボードに立てた。
すると嬉しくてね。
直ぐに水の中に落ちたんだけどね、もう一回ボードに立つぞ!ってなった。
簡単にできないから、できた時の喜びは大きくなる。
トレランもね、登山はそれ程好きではなかったんだ。
サーフィンをするために走り出してね、町中を走るより、人のいない山を走るほうが気持ちが良いし、アスファルトより土の方が膝に負担がかからないだろ。
走り込んで、どんどんスピードが上がり、タイムが速くなることが嬉しくてね。
その後の温泉も気持ちがいいし。」
「ビールも美味いですよね。」と剛が笑顔で話をする。
「いや、酒はやめたんだ。タバコだけがナカナカ辞めれないんだ。君は酒もタバコもやるのかな?」
剛は、所長の質問がやはりおじさんだなと思いつつ答えた。
「私は、タバコはやめました。酒は元々そんなに飲めないので。トレランやっていてタバコ吸っているのは凄いですね。登山していてもやめると身体が楽になります。トレランならもっと速くなりそうですね。」
そう話しつつ、所長につられて笑顔になっている自分に気がついた。
所長が運ばれてきたコーヒーを飲みながら、笑顔で私を見つめつつ、
「寺田、その笑顔だよ。君に必要なのはその笑顔。君が事務所の雰囲気を更に悪くしている。もともと事務所の雰囲気は良くないけどね。君が更に悪くしている。
それにね、笑顔でなければ良い仕事は生まれない。
ものを売るとは、人に楽しみを売ることなんだよ。
買った人が喜んで買う。
なぜ喜ぶかは、買ったもので楽しみたいからなんだよ。
食べる楽しみ、遊ぶ楽しみ、いろいろとあるだろ?だから、売る方は夢を売っていると思って仕事するんだ。わかるか?」
そう言われて、ハッとした。
私自身が殻に入ってその蓋を閉ざしていた。
そうか、営業とは人に夢を売ることなんだ。
イヤイヤ、夢って大げさだな、喜びって言ったほうが良いかもね。
そんなことを考えてしまった。
今まで辞めることばかり考えていた。
「寺田、いつ辞めるかだけを考えていただろう。それじゃあ、何をしても駄目だぞ。」そういう所長の目は笑っていなかった。
「人は真剣な中に美しさがあるんだ。カッコつけるな!泥臭く生きろ!俺もお前もエリートなんかじゃないんだ。どんな仕事も笑顔でやる。歯を食いしばって笑顔だぞ!プライドを全て捨ててな。」
そう言われると、少し違うと思った。
「プライドを全て捨てたら、自分じゃなくなりますよ。」剛は少しムッとした顔で反論した。
「そうかな、プライドなんかなくて良いんだ。なければ、どんな仕事でもできる。なまじっか、フライドがあるから、出来ないことが出てくる。」
そういうと、席を立って「仕事に戻るぞ。この先仕事をしていくと分かるよ。」と言いつつレジに向かっていった。
急いで所長の後を追うが、何だか最後がしっくりこない。
でも、もう少しだけ働いてみようと思った。
心のなかで「よし!」と気合を入れて、笑顔になった。
海を渡る風が心地よかった。
つづく