見出し画像

たかまつななさんの発言 youtube 2020年3月17日 投稿 その1

 タイトル【相模原障害者 殺人事件】死刑判決 舞台裏・問題点を解説します
 
 もとになった動画はつぎのものです。
 https://www.youtube.com/watch?v=j9KVlzTo2mQ

 

 以下、聞き取れた範囲内で文章を書き起こししています。
 みなさま、ごきげんよう。たかまつななでございます。
 三年ほど前、相模原市の障害者施設、津久井やまゆり園にですね、なんと19人の障害者の方が殺害されてしまうという、まあ悲惨な事件が起こりました。
 これをおこした植松被告が死刑を言い渡されました。
 ということで、この問題について考えていきたいんですけれども、やっぱりこの問題は障害者の人を社会でどういう風に享受するのかという点、そして死刑制度ということを考えるきっかけにしないといけないと思うんですけどそういう議論に全然なっていないんじゃないかなと思ったので本日はこの動画をあげさせていただいております。
 もともとですね、殺した人っていうのはですね、植松被告はここの津久井やまゆり園で働いていた職員であって、で結局、まぁ、あの、差別的な発想になって「障害者は日本にとって邪魔だ」というふうに、「すぐ殺すべきだ」という風にいって、この問題が注目されたのってその考えにすこしね同調することができるからじゃないかなと思う。もちろん絶対ダメな考え方なんですけれども、その考え方に少し共感する人がいたから、こういう風にね、あの、大きなものとして、もちろんね、あの、ひどい残忍な事件だってことはもちろんありますけれど、そういうのもあって社会的な関心を多く集めたんじゃないかなとこう思います。
 今回ですね、裁判の唯一の争点となったのは責任能力があったかどうかなんですけれども、これはですね「責任能力がある」という風に認められました。はい、というところなんですけれども。それはですね、差別的意識というのは、あの。働いていた経験上おきたから、その病的な障害ではなかったからですね、責任能力があったといわれています。
 これに対して被害者の家族のかたは反省の色がね全然見られなかったというところが問題だとすごい残念だいう意見、さらにはですね、最初はですね、植松被告は「障害者の人たちを可愛い」と言っていたんですよ。「可愛い」と言っていたところからどうしてこのように変わっていってしまったのか、その経緯が知りたかったけれどそれが知れなかったのですごくもやもやするというようなそういうような感想をね、述べていらっしゃいました。
 はい、ということでね。私としては裁判はね、2か月間あったわけですけれども、この短い期間でよかったのかとというところは、やっぱ考えなくちゃいけないんじゃないかなと、いまですね被告がやったことは許せないですけれども障害者のかたのケアってどういうふうにしているかっていうとやっぱ家族のかたがすごく大変なんですよね。後はですね、そういう施設の人がですね、かなりの負担を負っている。この社会は見つめ直す必要はやっぱりあったんではないかなとは非常に思います。後はですね、障害者の人の人権とか政策をわれわれはどのように考えていくか変えていくかということはですね、議論は必要だったのにそこに至らなかったという風に私は思います。
 どうしてね、こういう考え方になってしまったかというところですけれども、朝日新聞が丁寧に検証をしていました証言を集めていましたのでそれをご紹介させていただきたいと思います。私ね本当にねこういうこと言ったら皆さまに引かれるかもしれないんですけれども、私が被告の立場だったらどうしたかって言ったら、私も同じようになってしまったのではないかなって、すごくね、自分に怖さを覚えることがあります。
 やっぱりそれぐらいね、過酷な勤務体系だし、私は障害者の人と、重度な障害者の人とずっと一緒に生活をするということは、したことはないですけれども、その時に自分がどんな判断をするのかということは、あの、恐ろしいなというふうに、はい、思います。
 で、朝日新聞の記事によりますと小学校の頃に、同級生にね、障害者の人がいたということで非常にね、身近な環境であったということなんですね。ただその人が毎日、お母さんがね、送り迎えして大変そうだというところからですね、「障害者はいらないんじゃないか」という作文を書いたと、いつもはね、先生がね丁寧にコメントをくれるんですけど、そのときは先生はコメントを返してくれなかったというところで、こういったところからですね少し、あのまぁ差別的意識があったというふうに見られています。
 で中学校の頃は少しヤンチャだったけど、まぁ比較的真面目だったと。で高校の頃は当時付き合ってた彼女はすごく真面目な人だったということを証言しています。で大学に入って教員志望だったということなんですけど、最初は明るくて社交的だったけれども、途中ですね、危険ドラッグをやりはじめ、ギャンブルやって、出会い系を使うようになってから少しこう人間性が変わっていったというところが証言としてあります。
 で、そのあと大学を卒業した後は、教員免許は取得したんですけれども、教員にはならずに運送会社で働いたと、ただ運送会社の勤務がきつくて知人にね、どうしようかと悩みを打ち明けた時に、その、まぁ友人がですね、その津久井やまゆり園に務めているからどうかという話を聞いて、それだったら、あの、おもしろそうだっていうことですぐに転職を決意したということで実際に働き始めると。
 最初はですよ、障害者の人は可愛いと言ったりとか、これは自分にあってる天職だって言っていたそうなんですね。ところがですね、徐々に「税金を使うのは無駄だ」というようなことを言い始めたりとか、「人間として可哀そうだ」というふうなことを言い始めたりと。
 あとは気になったのは、暴力を振るっていたと、他の職員のかたが、そのことについて、あの暴力を振るうべきじゃないと言ったら、笑われたと、で最初のうちはそんなこと言ってられるけど、2,3年後も言ってられるかなと、ただ、このコメントに対しては被告が言ってるだけなので本当かどうかはわかりません。
 えー、あの、園長がですね、それは否定しています。ただ、本当にもしそういう暴力的なことが振るわれていたとしたら、それはやっぱり考える余地があるなというに思います。ただこの件に関しては被告が言っているだけなのでわかりません。
 で、結局、重度の障害者の人は車イスですごい縛り付けられて、ドロドロの食事を食べさせられて、家族は疲れると、これはみんなを不幸にさせると、だから抹殺すべきだというようなことを考えていたとということなんですね。
転換となったのが、トランプさんが出て来たときにメキシコとのあいだに壁をつくるという、排外主義的な考えに憧れを持ってそこでなにか自分も動かなきゃっという風に思ったことらしく、衆議院の議長にですね、あの、直接ね、会いに行こうとしたけど断られて、翌日もまた会いに行って、どうしてもお願いしますといって、土下座をして、手紙を渡して、その手紙が、私は障害者の人を抹殺することをできますということを書いた手紙だったんですね。それに対して当然ね、殺害予告なのでこれに対して警視庁は動いて、結局、動いたんですけれども、それが施設にも分かって自主退職するというかたちになったということなんですね。はい。
まぁかなり差別的なひどい考えかただなっていうふうに思うんですけれども、その後、あの、大麻を使っていたということで、薬物検査でひっかかって、措置入院をすると、そこで家族も気付いて一緒に住もうといったけれど、大丈夫だという風に断られたということなんですね。後は心理カウンセラーの人に連絡した方がいい繋いだりっていったことを家族は献身的にやっていたということなんですね。
その当時付き合っていた彼女がいたということで、まぁ一緒にDVDを見ていたということでそれが『TED2』の話で、テディベアが人間かどうかということを、こう、まぁ、考えるというようなストーリーなんですけれども、結局テディベアは自分の名前を答えられて、そこで人間として認められるということで、そのときに、「これだ」とすごい思いついたみたいで、意思疎通ができるかどうか、これが人間としての基準じゃないかというふうに被告は考えたそうなんです。で、自分の名前を言えるか、住所とかを言えるかといったところが人間として認められるところ、意思疎通できるところだというふうに考えて、それができないから障害者は、重度の障害者の人、知的障害者の人は必要ない、というふうに被告は考えたということなんですね。
そこからはですね。殺す計画っていうのを考えて、で、その薬を飲んでる、こう、仲間に対してですね、あの、「一緒に殺さないかって」ことを言ったりとか。あの、「どうやって殺せるんだろう」ってことで、包丁を調べたりだとか、ということをやっていたということで、けどある日突然ね、自分は急にね、「殺されるかもしれない」と思ったそうで、殺される前に彼らを殺さなければいけない、という衝動に駆りたたえられて、で殺すことにしたと、ゆうことで、1時間のあいだに19人の人を殺したという。まぁ、恐ろしいことをしたわけですけれども、これはかなり計画的だったということから、判決でも、一時の衝動とかではなかったと、責任能力があるというふうに今回認められたかたちになります。
ていうのが今回の一連の経緯なんですけれども、あの皆さんはどういうふうに思われますか?
障害者の人に対して、社会がどう向き合うべきか、私はね今の社会ってすごく冷たいと思います。
で、わたしはまだ結婚もしてないし、子どももいないんですけれど、自分の子どもが障害者の子というふうに、まぁ、あの、いまね、生まれる前からわかるわけじゃないですか、で、堕ろすっていう選択肢だって当然できるわけですよ、で、それは例えば差別じゃないのかとか考える必要があると思います。そこでね、産まないって選択をしたらね、それは、あの、どうなんだとか。んでもね、正直ね、あの育てていく自信はないですよね、この日本の社会において、んー、ていうところは感じますね。
で、だから、やっぱり、こう、なんていうのかな、植松被告の考え方はかなり危険だし共感はできないけど、そこまで追い詰めてしまうような過酷な労働環境にあるのかとか、社会の制度として整っているのかって本当にいま一度見つめ直す必要があると思います。
わたし、政治を考えるときにね、自分がもしその立場になったらどういう社会でありたいかって考えればね、こう、わりと解決策が見えてくるんじゃないかなと、自分の子どもが障害者だったらどうする、自分がある日突然障害者になったら、どうなるか。で、そこで食べ物がありません。お金もないです。仕事にもつけません。生きていけません。というよりも、ある程度保障されている国の方が、その、安心だし楽しく生きていけるじゃないですか。っていうふうに考えると政治にどういうことをやってほしいのかと、それはボランティアでその人たちはお金を集めるのが難しいとなったら、それは税金というもので賄えばいいんじゃないかというふうに、まぁ、そういうふうに考えていくべきじゃないかなと思います。
あとはですね、これはもう一つ、すごい皮肉ですよね。どこからが人間なのか、意思疎通できない人は人間じゃないから殺そうと、いう考えを持った被告に対して最終的に決まった判決が死刑。障害者の人をそういうふうにみなして殺すっていう人の命は奪ってもいいという考えかたなんですね。
で、あの、19人の人も、そんなにたくさんの人を殺したから当然だと考える人が多いと思います。
ですが、死刑制度はいまいちど、わたし考え直す必要があると思っております。死刑制度ですね、いま、8割、7割以上の国でですね、廃止しています。で、それはですね、あの、国際的な論調として、やっぱり命っていうことは尊重すべきだと、でそれは国家が奪っていいものではないという考え方。そして冤罪、間違って人を逮捕したりとか間違って人を殺してしまったらどうなるのか、その人が生きていれば間違いだって気付いたときに、あの、社会に戻ることができるよねっていう考えかた。あとは、人が変わるという考えかた。この3つの考えかたから、国際社会では死刑制度をなくす国が多かったです。で、日本はですね、これに対してちゃんと説明していて、国民はね、多くは死刑、死刑制度っていうのは必要だっていうふうに考えているというだから今は議論する必要はないということを回答しているんですね。ただ、国民の多くが賛成している、8割以上、2014年のね調査では賛成しているわけですけれども、これ、みなさんどう思います。死刑制度、賛成か反対か。で、やっぱり死刑をね、こう、死刑執行にならないと、まぁ遺族がね納得がいかないと思う意見がね、非常に多かった。そうなんですけれども。これね、自分が犯したこともない罪で捕まったとしたら怖くないですか?冤罪になる可能性があるって。わたしはね、やっぱりね、こう、その、日本だってね、冤罪っていうものが実際あるわけですよ。ある以上は、やっぱりこれは、あの、一人でもでるってことは、これは大きな権力なので、やっぱり考え直す必要があるんじゃないかというふうに私は自身は思います。そのかわりになる新しい制度は、ただ、必要だと思います。例えば、アメリカではもうあの終身刑といかたちを認めています。で、ずっと刑務所に入るという選択肢をつくるっていうことは非常に大事だと思います。で、オウム真理教のときも、麻原彰晃が、あの、死刑執行されたとゆうことですけれども、彼がね、何を考えていたかということはね、非常にね、まぁ、話せなかったというような人もいますけれども、それはね社会で語る価値は非常にあったと思います。はい。というようなところでね、みなさん、死刑制度についてどう思いますでしょうか。日本は国際社会からみて、あの、死刑をやめるようにということをけっこう言われているということも事実としてあります。そして死刑制度を廃止した国、最初はですね国際世論では、えー、国内の世論調査では反対の意見が多くても導入している国は多くあります。えー、人権に対してどのように考えるべきなのか、障害者の人とどう向き合うべきなのかということをこの問題を契機に絶対考える必要があると思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?