誰でも言わなかったら(中国人の日本語学習者)
2024年05月05日に書いた文章です。ノートの初めての文章にさせていただきます。
上学期の期末、この教材を先生の手から購入したときから、私はある疑問を抱えていました。それは閲読⑤が終わっても、なお、私の心の中で消えることなく、むしろ「誰も言わないなら、私が言おうよ」という使命感に変わったのです。それは第5課、「温かいスープ」という内容でした。
この文章の冒頭には、「第二次世界大戦後」、「日本兵」、「虐殺」など、多くの中国人にとって非常にセンシティブな言葉が並んでいます。民衆主義、独善的な民族主義、侵略の歴史といった微妙なテーマについて議論することの難しさを理解し、先生が詳細な意見を述べなかったことは、私も何十分に理解しています。
「日本概況」という授業でも、先生が「日中の歴史、領土問題はまだ解決されていないね。はやく解決してほしいよな」と、説明したときも、私は注意深く聞いていました。また、中国旅行中に「多くの人が僕に様々な態度を取っている…もちろんみんなは親切で優しいね、ハハハ」という言葉の裏にある、言わなかったことを想像することもできました。
英語部のJason Swift先生というアメリカ人のこと、ご存知ですか?彼は数年前、バンジージャンプに参加した際に、「なぜみんな『この外国人の野郎をおろせ!スッキリするぜ!』と叫んでいるのか」理解できなかったと言っていました。
よくよく考えると、その理由は非常に単純です。まさにこの文章で語られているように、「独善的な民族主義」なのです。中国語には「大声疾呼」という言葉がありますが、私は中国国内における「独善的な民族主義」がどれほど悲惨で悪化しているのか、日本人に「大声疾呼」に、早く知ってもらいたい、という強い思いがあります。
先日、いわゆる大都市である重慶で、和服の着た若い女性2人が街角で踊っている動画を撮影していたところ、何人のお年寄りたちに地面に押さえつけられ、「スパイに違いない!売国奴!死ね!」と罵倒されました。
このような事件はこれだけではありません。日本語を学び始めて以来、私はこのような出来事に何度も見、日本語の教科書を手にするたびに、「渡尽劫波兄弟在、相逢一笑泯恩仇」(大意:今の両国の隔たりは非常に長いが、長い年月をかけて苦難して渡り尽くせば、もとより兄弟である。逢って笑いかければ、深いうらみも消え去るだろう。魯迅の詩)ということになかなかなれないのに、こんな状況に複雑で不愉快な感情に襲われます。
もし再び、中国が戦争に巻き込まれた場合、中国人は海外で「温かいスープ」のように優しく扱われるでしょうか?「国際化」とは、人々が互いに純粋で美しい思いやりを持つことだという真理は、いつになったら中国人の大多数に受け入れられるのでしょうか?日中民間交流は友好的で、政府間の矛盾が深いということは、幻想ですか?あるいは、本当に真実なのでしょうか?
この文章を学ぶ前は不安でしたが、学んだ後も、不安はなかなか消えませんでした。