昔、猫はペットじゃなく、人間と共生していた
昔と言っても、昭和も30年代(西暦で言えば’50年代、’60年代)の東京の郊外の住宅地の話です。昭和20年代の食糧難からやっと抜け出した時代にも前回話したミュージカル“キャッツ”のように、しっかり猫は生き続けていました。ネズミと人間が居れば猫がいる、と言う関係でしょうか。僕が物心ついた時にはすでにうちに猫が自由に出入りしていました。もちろん(!?)ねずみも時々出没してました。
うちにいた猫は飼っていたのか、単にいただけなのか判然としませんが、思い出すだけでも三毛猫の親子、白猫のボス、気の弱い白猫、など、うちに来て居ついた猫は多彩です。ただ、住んでいた東京の練馬は武蔵野の畑の中に住宅が急速に立ち始めていた時期で、マンションはもちろんアパートなど集合住宅もなく、多くの家が急激な人口の増加で安普請で建てた木造の庭付きの平屋でした。猫が自由に行き来できる環境だったと言えます。
僕が付き合った猫達の名前は“キャッツ”とは違い、それぞれ適当につけた平凡なもので、“シロ”と“大シロ”以外の名前の記憶はありません。ある時は三毛猫が家の隅で子供を3匹産んで、名前は憶えていませんがお母さんは多分“ミケ”、夜は、親子が一緒に僕の布団の中で毎晩寝ていました。子猫は布団の中をかけずりまわり、僕が体を少しでも動かすと手足にじゃれて、小さい爪で引っかいたり、噛んだりするので大変だったけれど、すごく幸せを感じました。
今のように猫が嫌いとか好きと言う以前に、野良猫は生活の一部でした。猫嫌いの人で多いのは排泄物に関連して嫌いになった人も多いようです。
ただ、野良猫でも繁殖期のオス以外は排泄物の匂いが残らないように決まったところに穴を掘って埋め、自分や子猫のおしりも丁寧に舐めてきれいにするので、“純”野良、“半”野良を問わず普通の猫は少なくとも家の中では始末が良く、枯草の様な薄い匂いだけでした。
ただ、ある時、生まれて間もない子猫の一匹が発達が遅れていたのか、所かまわずしてしまうので、母猫と一緒に後始末が一時期大変でしたが、少し成長したら問題なくなりました。
問題は繁殖期の“さかりのついた”雄猫です。春と秋のお祭りみたいなもので、喧嘩はするし、方々で臭い付けはするし、真夜中でもうるさくて大変でした。
前述の“大白”はまさしく典型的なオスのボス猫で、体も大きく、泥だらけ、顔も喧嘩で傷だらけで、冬の夜は寒いと僕の布団にもぐりこんできますが追い出したりはしませんでした。彼はある時、なんかの事故で傷ついたと思われる子猫をくわえてきて一生懸命傷をなめてやったり世話を焼いていたことがあり、見かけと違って優さしいんだなと感心し、見直したこともあります。
僕が今、岩合さんの猫のカレンダーの“ボス猫”シリーズが大好きなのはこんな経験からだと思います。ただ。岩合さんのカレンダーのボス猫は結構きれいですが、当時の実態はもっと汚く、生活に疲れた野性に近い猫も多かったと思います。
一方、臆病な方の“シロ”は確か雄だったと思いますが、何かあるとすぐ部屋のタンスの上に逃げてしまうような性格で、とてもボス猫とは言えない弱気の猫でした。うちに来る前になにかあったのかもしれません。
こんな猫と人間が共生している事が当たり前の時代が良かったのか悪かったのかは、猫も人もそれぞれでしょうが、今の日本の多くの住宅地ではこのような人間と猫の、自由で奔放な関係は許されなくなっています。
今振り返ってみると、僕にとっては“自由”や“こころのゆとり”を感じ、大変懐かしくこの時代が思い出されます。