日本の「キシャクラブ」という病理 その①/③
今回から、3回シリーズで記者クラブの問題を取り上げたいと思います。
ア)記者クラブとは
1.定義
まず、私たちがこのシリーズで考えるべき「記者クラブ」とはなんでしょう。何事においても考察対象の明確化は重要。Wikiなど他の定義もありますが、組織の特徴や問題を十分に示せているとは思えませんでした。
そこでここでは、
「・・・『記者クラブ』とは、日本新聞協会加盟社の社員である常駐記者たちが、日本の官庁など公的機関の主要なニュース・ソースの建物の中にある記者室を(取材拠点として)独占的に使用し、排他的に取材・報道する日本独自のユニークな記者集団のこと・・・」
という浅野健一氏(元ジャーナリストでメディア問題研究者)の定義に従います(『記者クラブ解体新書』浅野健一著,現代人文社刊 P43からの引用 括弧内は引用者追記)。
その実態や、これから検討していく問題の所在を明確にわかりやすく導きだしてくれるように思えます。浅野氏の定義は過不足なく正確なものだと思います。ただ、私を筆頭にした問題への初心者の理解を助けるため、便宜的に、(取材拠点として)という補足書きを加えました。本記事ではこれで進めましょう。
「公的機関の主要なニュース・ソースの建物の中にある記者室を(取材拠点として)独占的に使用」
上記の定義から、先の記事でも少し言及したように、「記者クラブ」という名称であっても、上記の定義から外れる団体、例えば「日本記者クラブ」「外国人記者クラブ=外国人特派員協会」のように、「日本の官庁など公的機関の主要なニュース・ソースの建物の中にある記者室(=取材拠点)」の使用を伴わず、メディアが官公庁などから完全に独立して任意に設立・活動し、大手メディア以外の記者・フリージャーナリストでも、一定の要件を満たせば誰でも加盟できる団体(プレスクラブ)は、この意味での記者クラブからは除外されます。
「日本の独自のユニークな記者集団」
先の記事でも紹介してきた元NYタイムズ記者でフリージャーナリストの上杉隆氏によれば、お隣韓国では日本と同じような団体が以前はあったようです。しかし2003年の廬武鉉政権以降は廃止され、今は一定の取材報道実績の要件を満たせばだれでも公的機関の記者会見に参加して自由に質問できます。この点では中国ですらそう。発展途上国のガボン、ジンバブエなどで、日本をまねた類似例が認められるのみ。先進国では日本のみの「ユニーク」な団体です。(『記者クラブ崩壊』,上杉隆著,小学館刊P147~P148)
2.範囲・数
記者クラブは、下記一覧に見られるように、主要官公庁や主要政党、日銀などの主要な公的団体、都道府県市町村などの地方公共団体、経団連など主要経済団体に広く存在しています。実は下記でもごく一部であって、その正確な数すらわからないというのが現状のようです。1996年の朝日新聞の調査では日本全国で781(浅野前掲書P42)
イ)日本における記者クラブの歴史
上記のような日本の記者クラブはどのような経緯を経て現在に至ったのでしょう。浅野健一氏の前掲書(P46~P50)や上杉氏の著書(前掲書P19~P21,同P132~)を参考にしつつ簡単に振り返りたいと思います。
1.黎明期(1890年)~戦争期(1890年~1945年)
日本における記者クラブは1890年、最初の衆議院選挙を経て第1回帝国議会開催に際して、傍聴取材を要求する記者たちが結集し、「議会出入記者団」(のちの「同盟記者倶楽部」)を結成したことに始まるようです。
これをきっかけに、「情報を隠蔽する体質の根強い官庁に対して報道機関側が記者クラブをつくり、公権力に対して情報公開を求める」(日本新聞協会)という大義名分のもとで、議会や官庁、全国の警察、市町村に記者クラブが次々と設立されていきます。
最初は存在理由もまともな健全な団体だったのです。
しかし1930年代後半になると政府の言論統制が厳しくなり、ついに記者クラブも統制の下に組み込まれ大本営発表に沿った翼賛記事ばかりを報道することになります。
2.戦後(1948年~)
戦時中の反省に立って戦後、記者クラブは生まれ変わります。
「各公共機関に配属された記者の有志が相集まり、親睦社交を目的として組織するものとし、取材上の問題には一切関与せぬこととする・・・」(日本新聞協会)組織として生まれ変わります。このような親睦団体としてのプレスクラブは世界中にあり、このままであれば何の問題もなかったのですが・・・。
制度や組織を、設立当初の崇高な理念や目的から少しづつ外して、既得権益側の利権確保の道具に寄せて闇落ちさせていくのは日本人の18番。
3.ターニングポイント(1978年)
1978年、新聞協会の幹部が発表した「見解」の変更が現在に至るターニングポイントとなります。
「その目的はこれを構成する記者が、日常の取材活動を通じて相互の啓発と親睦をはかることにある」(日本新聞協会)と変更します。
上杉氏は「・・・『取材活動を通じて』-この文言によって記者クラブは実質上、親睦団体から、取材拠点へと変わったのだ。ここには(記者クラブに所属する)大手メディアしか参加できず、外国人記者やフリージャーナリスト、雑誌、ネットメディアは(記者クラブ主催の記者会見などから)事実上締め出されている。・・・」と指摘しています(上杉前掲書P19~P20から引用。括弧部分は引用者追記)。
さらに1997年の「編集委員会見解」では、記者クラブの目的について「公的機関が保有する情報へのアクセスを容易にする『取材拠点』として、機能的な取材・報道活動を可能にし、国民にニュースを的確、迅速に伝えることを目的とする」と発表し、文字通り「取材拠点」へと変貌を遂げました。
「・・・国民にニュースを的確、迅速に伝える・・・」誠に結構なように思えますが、こういう美辞麗句的な枕詞に騙されてはいけません。「取材拠点」から新聞協会などに所属する主要メディアの記者以外の、外国人記者やフリーランスが除外されるとすれば。。。上杉氏が指摘する「排他性」という問題につながっていきます。
こういった有象無象の排他的取材拠点が、なんの規制もないまま雨後の筍のように次々と乱立して日本の報道空間を歪めてきた・・・記者クラブの歴史は、要約すればこうなるでしょうか。
ウ)記者クラブの問題点
前の記事で紹介した上杉氏と作家の井沢元彦氏の解説動画を再掲しておきます。
1.記者クラブへの公金便宜供与
まず、記者クラブの取材拠点として、官公庁などに記者クラブ専用の部屋が設置され、場合によっては、動画で言及されるように、事務員が配置されて番記者にお茶が出る・・・など国民が負担する税金から運営費が支出されています。
記者クラブが国民の知る権利に奉仕する団体であれば、一定の支出は必要経費として何ら問題はないでしょう。しかし後述するように、記者クラブは主要メディアが楽をするためだけに存在し、それが情報の寡占、メディアを通じた官公庁による情報のコントロールに利用されるだけ。逆に国民の知る権利を阻害して害悪を撒き散らしている団体です。
そんな公共の福祉を害する反社会的な団体による公金チューチュー問題はそれ自体大きな問題ではあります。昨今自民党議員の違法な献金問題が報道されています。これ自体改められるべき問題ではありますが、年1億・・・単位です。問題となっているお金の性質が違うので単純比較は的をえていないでしょうが、他方で記者クラブを通じた公金チューチューは、上杉氏の前掲著書から転記した下記のリストに掲示された主要官庁の分だけでも13億円、先の動画の中での上杉氏の説明によれば年169億円以上。こちらも政治献金と同様に、いや、さらに大々的に取り上げられるべきと思いますが、皆さんはどうお感じになられますか。
ただ、この点は今回の記事では深く立ち入るのは避けます。下記に主な便宜供与先が上杉氏の著書でリストとして紹介されておりますので、その転記(転記元:前掲書P110~P113)・紹介にとどめます。
2.排他性
記者クラブの最大の問題はその排他性です。
詳しくは次回以降、問題の内実に入っていきますが、日本の記者クラブの最大の問題は、記者クラブ所属の記者以外の外国人記者や、フリーランスを主要な記者会見から除外する排他性となって現れます。
日本以外の主要国は、お隣の韓国、さらに中国含め政府や中央銀行の記者会見には取材実績など一定の要件を満たせば、ジャーナリストであれば自由に参加して時間の許す範囲で自由に質問できます。しかし日本では記者クラブに参加していないフリーや外国人記者はどんなに実績があろうが、記者クラブの加盟団体すべての同意がなければ記者会見や要人へのぶら下りインタビューに参加できません。人脈なりを駆使して参加できる幸運に恵まれたとしても、オブザーバーとしての聴講だけで質問は許されない場合がほとんど。
他方で記者クラブ所属のメディアの記者であれば、たとえ新入社員で何らの実績がなくても、メディアが番記者として派遣すれば自由に会見に参加し、質問もできます。
そして、安直な横並びで楽に情報が取れれば、日本以外のジャーナリストが若いころに苦労をしながら身に着けていく情報収集や分析といったスキルが身に付きません。
さらに番記者としてリムジンなどで官庁に夜討・朝駆けを仕掛けつつ政治家や高級官僚や財界人と近くに接して同等のVIP扱いを受ければ、本来備えるべき実力がない「勘違い君」が量産され始めます。こういう「アマチュア」たちが幅を利かせ、排除されたフリーランスや海外のジャーナリストを前に頓珍漢にして横柄な態度を取り始め、世界中から顰蹙と失笑を買い始めます。
記者クラブは主要メディア自ら、まっとうな政治記者が育つ環境を阻害するという、自らで自らの首を絞めることにもつながっている、そう思います。
以前の記事でも紹介しましたが、記者クラブの排他性については、国内においても、例えば日本弁護士連合会がその問題を指摘する声明を出しています。
上記が出されたのは令和ではありません。なんと今から20年以上前、20世紀末です。
次回以降詳しく紹介しますが、上記のような内容をほとんどの国民は知らされません。なぜなら、記者クラブ所属の主要メディアが弁護士連合会のフォーラムの開催や決議の発表は報道しても、肝心を内容は報道しないからです。このあたりの経緯については井沢元彦氏の『逆説の日本史 26 明治激闘編 日露戦争と日比谷焼き討ちの謎』(小学館文庫刊)「第三章、ポーツマスの真実」や、同じく井沢氏の『逆説のニッポン歴史観』(小学館文庫刊)の中のP315~「記者クラブ問題を黙殺する大新聞の報道姿勢」で詳しく紹介されています。
上杉氏によれば、悪名高き日本の記者クラブに対して、
・OECD(経済協力開発機構)は、情報の寡占を非課税の貿易保護政策に当たる閉鎖的でアンフェアな組織だとして批判し続けているそうです。
・また、EU議会も同様の非難決議を毎年のように採択し、
・「国境なき記者団」や日本外国特派員協会は何年にもわたって相互主義に基づく記者会見の開放を求めていますが、改善されたというニュースはいつまでたっても拾えないとのこと(上杉前掲書P21~P22)。
前掲書での井沢氏の言葉を借りれば「・・・記者クラブ問題が日本マスコミの宿痾で『治療』すべき課題であることは、決して私の個人的偏見によるものではないことがわかっていただけるであろう。まともな人間がみれば『誰がみてもそう』なのである。・・・・・・」
しかし、私たち日本人のほとんどは知りません。私とて偉そうなことは言えません。知ったのは浅野氏や上杉氏、井沢氏の著書を通じたごく最近です。
繰り返しになりますが、何故でしょう。くどいようですが、日本の主要メディアが上記のような自分たちに都合の悪い事実を報道しないからです。その結果、少し前までの私を筆頭に、日本人の多くは、自分たちは先進国の国民として世界的にも一流と評価されるメディアから正確な報道によって知る権利を享受できている、と思い込み、実は報道の閉鎖性という意味では世界中から批判され、失笑を受けている事実を知らされません。
浅野氏、上杉氏、井沢氏といった国内の有識者や外国人ジャーナリスト、一部週刊誌が、昔からこの問題を取り上げてはきました。しかし上記の動画で井沢さんも述べられているように所詮主要メディアと比べれば、情報の一般国民への到達率が桁違いで勝負にはならず、蟷螂の斧にしか過ぎなかった、、、と評価せざるを得ないでしょう。私が書く本記事などさらにそうです。聞こえてくるのは主要メディア上層部の高笑いばかりか。。。
しかし、めげずに継続が必要でしょう。
次回、このような構造的問題がなぜ起こるのか、さらに、これがなぜ、前の記事で紹介した、不自然なまでの報道タイミング・報道内容の均一化※といった報道全般にわたる派生的現象につながるのか・・・実例をあげながらより詳しく考えたいと思います。