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妖怪討究① ぬっぺふほふ 不老不死の仙薬を求めて 

導入

タイトルに妖怪討究というものを付けました。①と書いてあることから分かる通りシリーズ化していきたいと思っています。

討究とは、対象に深く突っ込んで研究すること、討議して研究することを意味します。
つまり、妖怪討究というのは妖怪について深く突っ込んで研究していこう、という企画です。
一つの記事で原則一つの妖怪について述べていこうと思っていますが、その過程で他の妖怪も関わって来るという可能性も無きにしも非ずなのでご了承ください。


はじめに

さて、今回取り扱っていく妖怪はこちらです。

作:佐脇嵩之 百怪図巻より

その名も妖怪「ぬっぺふほふ

名前を聞いた、姿形をみたこともある人も多いのではないでしょうか。

はんぺんの様なシワだらけの体から短い手足が伸びたなんとも奇妙な姿をしています。例えるなら頭足人のよう。
目、鼻、口の様に見える箇所も全てシワで、顔がない妖怪、「のっぺらぼう」の一種だとも言われています。なんとなく名前も似てますしね。

こういう類の妖怪って姿は有名でも具体的に何をする妖怪か分かってないことが多いです。
大入道や、から傘お化けなど、そこに「ある」だけで特別人に何か悪さをするわけではないでしょう。
そこに「ある」だけで怖がられ、驚かれる。我々がゴキブリに怖がるのと同じ理屈です(今朝ゴキブリと格闘してきた勢)。

のっぺらぼうも具体的に何かをする妖怪ではありません。ただ顔を見せるだけで人間たちが驚き怖がる。そこに「ある」だけで人間が勝手に怖がっているだけです。

しかし、ぬっぺふほふの場合は残念ながらその類の妖怪ではありません。この妖怪は、やりようによって善にも悪にもなり得るのです。
この点がのっぺらぼうと違う点です。

どういうことか見ていきましょう。

作:鳥山石燕 ぬっぺふほふ

一宵話

ぬっぺふほふが徳川家康の居城、駿府城に現れたという記述が「一宵話」という説話集に載っています。

1609年、家康が駿府城に在城していたときのある朝に、庭に「形は小兒の如くにて肉人ともいふべく、手はありながら、指はなく、指なき手をもて、上をさして立たるもの」が居たと言います。
人々はこれに驚き怖がり、家康も「人見ぬ所へ逐出しやれ」と命じる騒動になりました。
結局、この不思議な生き物は城から遠く離れた山に追いやられてしまうことになります。
これを聞いた博識なある人は、「それは中国の白沢(はくたく)図に出てくる「封(ほう)」という仙薬だ。それを食べれば多力になり武勇にも優れることになるだろう。惜しいことをしたものだ」と述べます。

さて、以上がお話の概要ですが、「ぬっぺふほふ」と通じる箇所が幾つかあります。

まずは姿形。言わずもがな殆ど一致します。

そして「封(ほう)」という名前。恐らくぬっぺふほふの「ふ」は古語と考えられ、昔は「ぬっぺうほう」という発音だったと考えられます。ぬっぺふほふの別名に「ぬっぺっぽう」というものがありますが、これは「ぬっぺうほう」が転訛したものだと考えられます。
「ぬっぺうほう」。終わりの二文字の「ほう」が一致します。恐らく漢字で「ぬっぺふ封」と書くのでしょう。

また、では「ぬっぺう」とは何処から来たのか、という話ですが、長崎県の郷土料理に「ぬっペ汁」というものがあります。豆腐入りのすまし汁の上にとろろを添えた汁物だと言います。

長崎県の郷土料理 ぬっペ汁

このぬっぺ汁の「ぬっぺ」が何処から来ているかというと、里芋やでんぷん、とろろのとろみで「ぬっとり」することからきている、らしいです。ぬっとり、というよりネバネバしている、と言ったほうが良いでしょうか。
恐らくこれが「ぬっぺふほふ」を食べた時の舌触りでしょう。
何故断言できるかは後述します。

さて、ここから分かる通り「ぬっぺふほふ」と「のっぺらぼう」は全く違う妖怪だということが分かります。
「のっぺらぼう」は「野箆坊」と書き、お坊さんの妖怪ですが「ぬっぺふほふ」は「封」という全く別の妖怪だったのですね。

太歳①

さて、先述した「封(ほう)」という存在。
ある男によればそれは中国において仙薬として扱われるといいますが、どのようなものなのでしょう。 

中国の文献「山海経」など他複数の書では、「封」は妖怪「太歳」の別名として出てきます。しかも食べれば不老不死になるという曰く付き。

まずまず、太歳とは何でしょうか。
それを説明するには少し話を逸らして古代中国の天文学、それから暦法の話に行かなければなりません。

古代中国では年を記すのに天文学を使っていました。
天球を12個に分けて東から西にその方角に適した十二支を入れて表していたのです。子卯午酉がそれぞれ北東南西に値するのですが、年を十二支で表す所や方角を十二支で表す所は日本と同じですね。
分割された1/12の天球のことを一次、天球を12個に分けて記録したことを十二辰と呼びます。

十二辰図。 動物と動物の間の隙間を一次と言います。

さて、ある人がある発見をします。

「木星って12年で天球を一周するから一次進めば1年経ったことになるんじゃね?」

つまり、木星が一次進んだら十二辰の動物が一つ進むということです。そういうわけで出来たのが歳星紀年法といいます。歳星とは即ち木星を意味し、年を表す星の意味でそう呼ばれました。この記録法は戦国時代頃から始まったらしいです。

が、しかしこれにはある欠点がありました。
なんと木星は東から西へ、ではなく西から東へ移動するのです。

公転の向きが同じ、という事は地球から見て西から東へ向かうように見える、ということです。

十二辰図をもう一回見てみてください。
十二支は東から西へ、つまり東である卯を先頭として南にあたる午を経由して西にあたる酉へ向かう卯辰巳午未申酉戌亥子丑寅という順番を取っています。つまり、木星の進行方向は十二支の進行方向と真逆なのです。これでは年を記述するにも紛らわしくていけません。

そこで古代中国人たちは木星と線対称となる架空の惑星、「太歳」を作り上げたのです。
西から東へと移動する木星と線対称ということは、太歳は東から西へと移動するということで十二支と一致します。
つまり、木星が存在する方角に対して線対称の方角が太歳のある位置になり、それはそのまま十二支の方角と一致するため、太歳の方角がその年の十二支として表されることになったのです。
この暦の記し方を太歳紀年法といいます。

橙が木星、青が太歳を表しています。

さて、どんな架空の存在でも惑星は惑星。ギリシャやローマで見られるように惑星のような神秘的存在は神格化されるのが世の常(こじつけ)。
ということで。

されました。

まず、木星と対になる存在、というのに厨二心をくすぐられた信仰の意を示した古代中国の方々が木星と呼応して地球の土中を動く肉の塊、「太歳」という存在を作り上げます。
この「太歳」がある土の上に家を建ててしまうと祟りが起きてしまうといい、太歳の祟りを信じずに無理矢理地面から「太歳」を掘り起こした一族が全滅してしまうという恐ろしい話も残っています。

この肉塊「太歳」の「祟る」という恐ろしい特性と架空惑星「太歳」の神秘性が神格化した存在が「太歳星君」です。
この神は太歳の化身であると共に木星の精である、といいます。中国で祟り神として恐れられ、天文学者たちは太歳星君の祟りに遭わないように木星の位置に注意したと言います。

因みに。
中国の諺にこんなものがあります。

太歳頭上動土

太歳の上の土を動かすな、という意味ですが、諺としての意味は身の程知らずなことをする、となるらしいです。太歳の祟りが恐れられたからこそ出来た諺でしょう。

FGOに登場する太歳星君の宝具名にもなってます。

太歳星君に関しては後で詳しく説明したいと思います。

太歳②

さて、天文暦法とか難しい話は終わり、やっと肉の塊としての太歳が出てきました。太歳星君については後でまた述べるとして、この肉の塊「太歳」にはある特徴があります。それは、

出土すれば災いが起こるが食べれば不老不死となる。

胡散くせえ……
先述した通り、「封」はこの「太歳」の別名として文献に残っています。 他の呼び方は「視肉」、「聚肉」etc……
この内容が載っている文献が、中国の妖怪大辞典とも言うべき存在、山海経。鳥山石燕の絵の中にもこの本を参考にした物がいくつかあるといいます。
さて、山海経ですが、そこには「牛の肝臓に似ていて食べても食べても元に戻る」、「香りは良く、非常に美味である」とも書かれています。
また、山海経にも仙薬として使われると書いてあり実際に見つかると高値で取引されたと言います。

作:水木しげる 太歳

話を整理しましょう。暦を作るために木星の代わりに作り上げられた架空惑星「太歳」。そこから着想を得て作られた、木星に合わせて地中を蠢く妖怪「太歳」。別名「封」。そして、ぬっぺふほふと「封」は同一であると先ほど解説しました。そして架空惑星「太歳」と妖怪「太歳」が神格化された存在が「太歳星君」。

あー、ややこしい。私も書いているうちに分かんなくなってきたので、

ぬっぺふほふ=封=太歳→太歳星君

という理解で良いと思います。

さて、この肉の塊「太歳」ですが、近年発見されました。それも何回も。日本のバラエティ番組でも発見されました。
なんだよ伝説上のものじゃなかったのよ!!!!

まず2005年。広東省で太歳が発見され、実験したところ傷つけても自己修復する、水を掛けると吸収する、などの性質が明らかとなりました。

次に2008年9月。陝西省で地中から太歳が発見されました。
その肉塊は体長62cm、幅57cm、重さ17.5kg。生命反応があり、ナイフでどんなに傷つけてもすぐ塞がり、水をかけたらその度に変色したと言います。
また、最初は白くて球状だったのが2日後に茶色く扁体になったといいます。

どんな肉塊なのか。こちらです。

2008年に発見された太歳

あれ、なんか普通…生命反応があるとはいえ生物には見えない…

次に発見されたのは2016年。遼寧省に住む農夫がこれを見つけたと言います。総重量およそ70kg。これは太歳だ、と確信して1kg35000円で売ったところ、100万以上売り上げることが出来たと言います。
しかも千切っても冷水につけておくことで千切った部分が回復することのことで、理論上、無限に売り続けることが出来ます。詐欺じゃねえか

2016年に発見された太歳

日本テレビ系列のバラエティ番組、「イッテQ」でも現れたことがあるらしく、中国ではよく発見されるものだと考えられます。

太歳

さて、これらの物質は山海経に書かれている太歳の性質とほぼ一致します。では、科学的に見てこれらの正体はなんでしょうか。

これら太歳は今では変形菌という粘菌の一種だと考えられています。粘菌は大きく分けて目に見えぬほど小さい単細胞の時期、網状でよく目立ち、物によっては非常に大きくなることもある変形体の時期に分かれます。
太歳は何らかの菌の変形体の時期と考えられています。因みにこの菌は動くことが出来、その特徴を使って周りの細菌などを捕食しています。

さて、問題はこの菌を食べるとどうなるか、という話です。山海経に「香りは良く、非常に美味である」と書いてあると先述しましたが…

実際に粘菌を食べたという方の記事を見つけました。

記事の内容は個人的には非常にグロテスクなものだったので閲覧にはご注意ください。
その方によれば、「腐葉土臭がキツイがトルティーヤに混ぜたりフリッターにしてもいいのではないか」ということらしいです(あてにしないで下さい)。
食べたのが太歳とは限らないのでなんとも言えませんが所詮は同じ菌ですので多分同じでしょう。

因みに太歳に限らず粘菌はネバネバ、ぬっとりしてるらしいです。流石にぬっぺ汁と菌を比べることはしたくありませんが…まあ、そういうことです。

一応調べてみたんですけどね、粘菌を食べる文化。メキシコに粘菌を揚げて食べるという料理があるらしいです。「月の糞」という料理名らしいですが…名前も食べたくなくなるんですけど。

っていうか食べないでください。お腹壊しても知りませんから。

余談:太歳星君

さて、太歳の話をしたので先程からちょくちょく出ている太歳星君の話もしたいと思います。

木製の鏡像である太歳の神格化された存在で木星の精とも同一視される存在。
祟神として知られ、太歳が位置する場所、つまり木星と線対称の方角には天文学者も祟りが起きないように注視したと言います。
しかも地面にも肉塊の太歳があり、その上に家を建てたり土を動かしたり太歳そのものを掘り起こすと祟りがあるというのは先程も述べた通りで、何処までも祟りバンザイの神です。
姿も、首に髑髏をかけ、金鐘を持った三面六臂と恐ろしいものです。

太歳星君

さて、中国あるあるとして、神は元々神話や物語、歴史上の英雄であった!というものがあります。つまり人物の神格化が非常に多い国です。
例を挙げると、無為自然で有名な老子は神格化され「太上老君」となったり、三国志の関羽は死後神格化され「関聖帝君」と呼ばれたりします。
日本でも家康や秀吉など神となった英雄はいるけれども中国ほど多くありません。

で、何が言いたいかというと、太歳星君も歴史上の人物が神格化されている、という事です。
太歳星君の正体は誰かというと────

殷郊です。

ええーーーーー!!!!殷郊!!???あの殷郊君!?あの、最初は子どもだったのに仙界で修行してめっちゃ逞しくなったと思ったらいきなり裏切って返り討ちにされちゃうあの殷郊君ですか!!!???

すみません。取り乱しました。

多分この名前で反応できるのは中国史に滅茶苦茶詳しい人か漫画版でも原作でも封神演義を読んだ人だけだと思います(恐らく殆ど漫画版だと思いますが)。

殷郊とは誰か。

彼は中国の怪奇小説、「封神演義」の登場人物です。
「封神演義」とは、周の軍師太公望が悪逆の限りを尽くす紂王妲己を倒して新たな国、を作ろうと仙人たちや道士たちと協力して殷の仙人、道士、妖怪たちと戦う物語です。
人間、仙人、道士、妖怪が入り乱れてそれぞれの思惑のために戦いを展開していくその展開は手に汗握るものとなっています。

封神演義で重要な場面が、殷と周の戦いが終わり、周が建国された後に、主人公の太公望が戦いで散っていった英雄たちを敵味方の区別なく、神に封じる、つまり英雄たちを神格化する、という場面です。
封神演義が下地になって信仰されてる神って結構多いんですよ。マイナーな神様も民間に流行ったこの小説のおかげで民衆に認知され、信仰されるようになったということです。
九天応元雷声普化天尊(聞仲の神格化)とか二郎真君(楊戩の神格化)とか良い例ですかね。
では殷郊が太歳星君として祀られているということはどういうことでしょうか。

殷郊とは紂王と妲己の前の妃、姜氏の間に生まれた息子です。弟に殷洪(読み方同じ)がいます。 つまり、殷の王子ですね。
しかし、前妻の姜氏の息子なので、現在の妻である妲己に命を狙われます。妲己の計略に嵌って弟ともども殺されそうになったとき、崑崙山(周に味方している仙人達が住む場所)の勢力に助け出されます。
その後、崑崙山で周の武王を補佐するため、殷と周の戦いで周に勝利をもたらすために弟とともに修行に励むことになります。

時が過ぎ周の軍師太公望の要請で武王に味方するときがやってきました。相手は強大な殷の勢力。殷郊の師である仙人、広成子より三面六臂の姿と宝貝(パオペエ、仙人の武器)番天印を授かると弟とともに周に加勢しに行くことになります。
しかし、兄弟は突如として殷に寝返ります。弟の殷洪も宝貝陰陽鏡を師から授けられており、周軍は二人の仙人見習いに苦しみますが最後は捕らえられ兄弟ともども処刑されてしまいます。

殷と周の戦いの後、太公望は殷郊を架空惑星「太歳」に封じてその場所を守護する神、「太歳星君」に封じたと言います。

以上は漫画でもアニメでもない原作の「封神演義」における殷郊の説明でした。

私が言いたいことは唯3つ。封神演義、原作は面白くない。ただ漫画版(少年ジャンプ)は滅茶苦茶面白いから絶対読め。あとその漫画版を元にしたアニメは見るな。いや、アニメ化はされてない(記憶抹消)!!

本当に読んでみてください。騙されたと思って。コメディ6割シリアス2割SF2割です。原作から大きくかけ離れています。でも日本で封神演義って言ったらこれなので絶対読んでください。

漫画版封神演義
ついでに漫画版封神演義の殷郊も。悲劇の王子です。マジで。

あと封神演義ファンは皆、何故か2回アニメ化されているはずなのにアニメ化していないっていうんですよね。「1回目のアニメ化のOPは良かった、アニメ化してないけど」とか意味不明のことを言ってる人もいます。
アニメ化してないですよ!!!封神演義は!!!

(布教活動終了)

さて、話を戻しますと、殷郊は死後太公望によって太歳星君という神にされた、ということです。三面六臂という姿も一致します。
以上が太歳星君の正体であり太歳と同一視される存在なのです。

終わりに

以上、如何でしたでしょうか。
昔の人は意味不明、正体不明のものに「妖怪」というレッテルを貼って正体を空想して作り上げることが得意です。
妖怪「ぬっぺふほふ」も正体を辿ってみれば粘菌でした。恐らく食べても不老不死にはならないし武勇に優れもしないし、ただお腹を壊すだけでしょう。
しかし、昔の人はこの正体不明のものに対しロマンを感じ、恐れを感じ、更には神とみなして信仰の対象にしました。これが民間伝承と呼ばれるものの正体なのです。

以上、「ぬっぺふほふ」についての解説でした。
ご精読有難うございました。

次回予告

さて、次回の妖怪討究は妖怪「しょうけら」を予定しています。
民間信仰、庚申待ちとは?猿田彦、帝釈天、天帝、シヴァなど神道道教仏教ヒンドゥー教が混ざり合って情報の大渋滞。お楽しみに。


封神演義は読めよ!!!!

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