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マイルス・デイヴィス/カインド・オブ・ブルー


✳️本記事は2023年4月に投稿したアメブロを下敷きにしています。5月26日はマイルスの誕生日でした。


言わずと知れたジャズの超名盤。あまりにも名盤過ぎて、ジャズ評論家たちも(語り尽くされたと感じ)あえて語ることがないように思えるほどだ。マイルス・デイヴィス・セクステットによる1959年セッション録音。脇を固める(というには豪華すぎる)「キャノンボール」アダレイ&コルトレーンたちも素晴らしいが、このアルバムの真の立役者は何といってもビル・エヴァンスのセンシティヴなピアノであり、当時のジャズ・シーンに静かな革命をもたらしたといえる。裏ジャケットにビルの写真が載せられているのも象徴的である。


ジャズ入門書に必ずといっていいほど載せられている当アルバムだが、ジャズに興味を持ち始めた僕が聞いたのはけっこう後になってからだった―多分最初に聞いたのはアダレイ&マイルスの「枯葉」だったと思う。元気いい感じで始まるのに妙にトランペットが哀愁に満ちていて、とても印象に残った。ビル・エヴァンス・トリオによる「ワルツ・フォー・デビー」も然り。それからキース・ジャレットにのめり込む(ピアノ好きとしては当然の帰結だろう)。情報を収集すべく図書館で洗いざらいジャズ関連の本を読んだが、なかでも中山康樹氏の「マイルス本」はクラシックにおける宇野功芳氏に匹敵するインパクトの強さだった。その影響か、マイルスのアルバムはほとんど聞いた―その流れで「カインド・オブ・ブルー」に接したのだと思う。

  • この記事も中山氏監修の「カインド・オブ・ブルーの真実」(アシュリー・カーン著)からのデータに多く依存しています


「枯葉」。アダレイのプレイ中もマイルスを待っている自分がいる。

同じ「枯葉」ではビル・エヴァンスの演奏が好きだったが、ここではフルートを交えたセッション・アルバムから―。

「ワルツ・フォー・デビー」をクロノスSQ&エディ・ゴメスのベースで。

「エレクトロニック・マイルス」で好きだったアルバムが1969年の「In A Silent Way」。ここではマイルス晩年の1991年ライヴで―。

1975年大阪での怒涛のライヴ盤「パンゲア」より―。最も激しいマイルスの姿が聞ける。


このアルバムを購入したのは久しぶりのことである―フォロワー様の紹介で久々に聞いて心に滲みた。音楽はその日の気分で受ける印象が変わるものだが、数ヶ月に一度ほど訪れる「波」に翻弄され、心沈んでいた時に何気なく聞いたのだった。ついに「波」が夕凪になり、穏やかさが訪れた。ありのままを受容する気持ちが徐々に浸透してゆくのだった。「ブルー」ではあっても曲想は暗くはなく(1曲だけ深淵を覗く瞬間がある)、むしろ陽気だったりするのだが、モーダルな響きと抽象的な音の並びが僕を癒してくれた―きっとアルバムを聞くたびにこの「救済」を思い出すだろう、執筆している今もそうである―。

往年の名盤がそうであるように、この「カインド・オブ・ブルー」もまた数種類のヴァージョンが存在しているようだ(9種類以上あるともいわれる)。当初はモノラル&ステレオの両盤がリリースされたが、当盤はデジタルリマスターが施されたステレオ盤である―音質が必要以上に鮮明過ぎるきらいがあるが、贅沢な意見だろう。気になったのは「ピッチが調整された」という情報である―例の本(*)によれば、録音機器の不備でファースト・セッションでの3曲にピッチの僅かな違いが生じていたが、極めて微妙な差異だったため、1958年リリース以降誰も気づくことなく世に出回っていた。だが1992年になってエンジニアが初めて気がついたようだ(再販の際にいつも用いていたマスターではなく、セイフティ用のテープを使ったことで発見できた)。なのでこれ以降の再発盤は―過去盤からのダビングでない限り―正常ピッチのヴァージョンということになる。2019年リリースの当盤もおそらくセーフだろう(違っていても気づく自信はない)。
それよりも、ジャケット写真が通常と異なるのが少し残念ではある―マイルスはジャケットのアートワークに随分と拘っていたようで、自分の写真を使うよう要求していたようだ。当盤のジャケット写真はチェット・ベイカーなどのフォトグラフで知られていた写真家William Claxtonによるものと紹介されている。

お馴染みのジャケット写真はJay Maiselによる


幾多のヴァージョンがある中で、当盤を選んだ理由はやはり選曲にある。オリジナルの5曲―「SO WHAT」「FREDDIE FREELOADER」「BLUE IN GREEN」「ALL BLUES」「FLAMENCO SKETCHES」―に加え、最近では別テイクの音源をボーナストラックとして収録することが多いが、このアルバムにはビル・エヴァンス・トリオによる「BLUE IN GREEN」と、クインテットでの「SO WHAT」(セッションの合間にTV出演した際の放送音源)が含まれているのである。「BLUE IN GREEN」が一番気に入っている僕としては豊饒な1枚といえよう。

フォロワー様から紹介いただいた音源。2013年リイシュー盤。音質良好。


前半の3曲「SO WHAT」「FREDDIE FREELOADER」「BLUE IN GREEN」がファースト・セッションで録音された(1959/03/02)。後半の2曲にもいえることだが、これらが完全即興の演奏であることに改めて驚かされる。整った楽譜があるはずはなく、あるとしても紙切れに書かれた大まかなモティーフだけだったという。セッション直前にマイルスが具体的な指示(ソロの順番等)を口頭で伝え、あとは音楽家特有のコミュニケーション能力によって演奏が成し遂げられた―これはおそらくオーケストラ団員の間にも存在しているものだろう―。オリジナル盤でライナーノーツを寄稿したビル・エヴァンスは、インプロヴィゼーションを日本の水墨画に例え、この演奏にも当てはめている。

マイルスは、レコーディングのわずか数時間前にこれらの収録曲を思いつき(これには異論も存在する)、グループに構想を示すスケッチを持ってスタジオに現れた。したがって、このアルバムで展開されるパフォーマンスは、ほぼ純然たるインプロヴィゼーションと言える。全曲が文字どおりの初演であり、それぞれのファースト・テイクが、例外なく完璧なパフォーマンスだったと思う。

*通常レコーディングではいくつかのテイクを録り、繋ぎ合わせて最終テイクを完成させるものだが、このアルバムでは全て最初の完奏テイクが最終テイクとして採用されているのである

即興演奏は「作曲家=演奏家」だった時代においては当然の能力であった。「作曲家」「演奏家」がほぼ分断されてしまった現代において、真の意味での即興演奏は、ジャズ (と古楽) でしか見出せなくなっているのかもしれない―。


1曲目は(マイルスの口癖だった)「SO WHAT」。
アルバム中最も有名な曲かもしれない―実際多くのミュージシャンにカヴァーされてきた。僕が初めてこの曲を聞いたのはマイルスのライヴ盤「FOUR&MORE」で、スピード感溢れるプログレッシヴな印象が強かったから、正直このリラックスするような演奏には驚いた。しかも幽玄ともいえるピアノの前奏が聞こえるのである―エヴァンスによるこのプレリュードがドビュッシーやラヴェルを彷彿とさせ、実に美しい。マイルスのトランペットのクール・ビューティーな音色は言うまでもない。バランス的にサックスの音量が大きく聞こえるのは気のせいだろうか―キャノンボールとコルトレーンだから?―。曲はフェードアウトして終わるが、実際はエヴァンスのピアノのみで唐突に終わるようだ。

テイク1の様子。途中プロデューサーがノイズに気づき中断する。スタジオ内の会話の様子が聞き取れる。

「KIND OF BLUE」から5年後のライヴ盤。トニー・ウィリアムズのドラムが神がかっている。

ギル・エヴァンス・オーケストラとの共演盤。あの幽玄なプレリュードはこの「もう一人のエヴァンス」が作者という説が濃厚でもある。


2曲目の「FREDDIE FREELOADER」ではピアノをウイントン・ケリーが弾いている(エヴァンスは脇で聞いていたようだ)。実は訳があってこの曲はセッションの初めにレコーディングされた。レッド・ガーランドが抜けて新メンバーとなったケリーだったが、今回特別に共演することになったエヴァンスのことを知らされていなかったため、スタジオ到着早々気分を害し、帰ろうとする。そこをマイルスが引き止め、この1曲だけケリーがピアノを担当することになったようだ。マイルスはこのアルバムをエヴァンスを右腕としてレコーディングすることを決めていた。それほど彼のピアノに惚れ込んでいたのである―こんな詩的な言葉を残すほどに。

ビルのピアノには、静かな情熱があった。オレはそれが気に入った。やつのアプローチ、やつのサウンドは、水晶のように澄んでいた。滝から流れ落ち、きらきら光る清水のようなノートだった。レッドの演奏はリズムが前面に出たが、ビルはそいつをひかえめにしていた

アルバムのデザインとタイトルに拘っていたマイルスだったが、曲名には無頓着でその場のノリで決められることが多かったという―「KIND OF BLUE」には幼少期の思い出が関係していると言われる。もっとも「KIND OF GREEN」となる可能性もあったらしい。「FREDDIE FREELOADER」もそうで、当時ニューヨークで有名だったバーテンダーのあだ名だという。
「害のない変人」とまでいわれた彼をもじっただけあって、気の抜けるような陽気さが感じられるナンバーだが(ケリーの楽天的な雰囲気のピアノも関係しているだろう)、心が沈み込んでいた僕が聞いた時には、冒頭のモティーフがマーラー/交響曲第9番のように聞こえたのだった。ただ、今聞いても同じように聞こえるので気分のせいだけではないらしい。


3曲目「BLUE IN GREEN」はマイルス&ビルとの共作とクレジットされていることが多いが、実際にはビル・エヴァンス作という意見が根強い―もっとも、作曲のヒントは1年ほど前にマイルスが示したコード進行にあったようだが、それが誤解を生んだのかもしれない (前述の「KIND OF GREEN」のネタもこの曲に発するのだろうか ) 。全5曲のまさに心臓部に位置するこのナンバーは、短いイントロに続くテーマの反復で構成されたミニマル・ミュージックである。ここではキャノンボールが抜け、5人で演奏される。ソロがトランペット→ピアノ→テナー→ピアノ→トランペットとシンメトリックに入るのも興味深い。前述した「深淵を垣間見せる」のがまさにこのナンバーで、極めて静謐な音楽である。マイルスも絶賛する―。

どこがオープニングかわかっても、どこで終わるのか見当がつかない。オレはそのサスペンスが気に入った。サウンドのよさに加えて予想がつかないんだ

テイク1&2の音源。当初4人の予定だったのがその場で5人に変更されたことが伺える。シンメトリーなソロの順番も即興の成果であった。

チェット・ベイカー&ビル・エヴァンスの共演による「Alone together」。1958年録音。同じコードの出だしであることが直ぐにわかる。

当アルバムのボーナストラックとして6曲目に収録。演奏時間からするとこのテイク3が収録されているようである。



さて、後半「ALL BLUES」「FLAMENCO SKETCHES」は、1959/04/22におけるセカンド・セッションにて録音されている。リリース当初、曲名が交互に入れ替わっていたというアクシデントがあったらしい(後に修正された)。

4曲目の「ALL BLUES」はエヴァンスのピアノによるイントロで始まる―マリンバを思わせるトレモロはその場の思いつきらしい―。マイルス&キャノンボール&コルトレーンのそれぞれのソロはアンニュイな夜を演出するようなブルースとなる。不思議な感触を残す曲である(これもフェードアウトして終わる)。

アルバム最後の5曲目「FLAMENCO SKETCHES」もマイルス作とクレジットされるが、実際はエヴァンス作のものである。ここで聞かれるオスティナートが彼の曲「Peace Piece」に由来しているからだ(それをもとに発展させたというエヴァンス自身の証言もある)。当初プロデューサーによって「Spanish」とメモされていたこのナンバーは、確かにスペイン、アンダルシアを思わせるスケールが採用されている。他にもフリジア旋法などあらゆる旋法が用いられているのもモーダルな印象を高めている。前曲「ALL BLUES」以上にアンビエントでどこか妖艶な音楽である―。

クロノスSQが演奏するとペルトっぽくなる。

アルバム唯一の別テイク音源。完成度の高さを示す。


マイルスが熱望したビル・エヴァンスとの共演はこれが最初で最後となった―。



前述のように、当アルバムにはボーナストラックが2曲収録されているが、最後に再び「SO WHAT」で〆るという選曲はなかなかのものである―それもファースト・テイクの一か月後に番組「The Robert Herridge Theatre TV Show」に出演した際の放送音源である。マイルス自身は出演に懐疑的だったが、知的なヘリッジとは話が合ったらしく、この企画が実現した。当時のレギュラーメンバーによるマイルス・セクステットの演奏となったが、これが事実上の世界初演といって間違いなかろう(キャノンボールは体調不良のため演奏に参加しなかった)。ファースト・セッションでの演奏よりもやや速めのテンポで、既に「変容」が聞かれるのが興味深い―マイルスは前進し続け、立ち止まったりはしないのだ。フェードアウトしていたエンディングは、ベースのポール・チェンバースが余韻を残すプレイを繰り広げている。

音だけでは気づかなかったが、後半では3人のトロンボーン奏者がアシストしている。コルトレーンのプレイ中、休憩モードに入るマイルスが素敵だ―。

記事ではコルトレーンに触れる機会がなかったので、ここで元を取ることに。彼の代名詞「My Favorite Things」―1961年ストックホルムでのライヴ数あるヴァージョンの中でドルフィーが参加したクインテットが好き。


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