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「共働き社会」の成否は、「共働き家庭」のインハウスとアウトソーシングの設計で決まる!

「共働き社会」のポイントは、「共働き家庭」の生活のあり方です。「共働き家庭」で、何をアウトソーシングして、何をインハウスにするかということを考え、最適解を社会制度にしていくことが求められています。

その人ごとに、その家庭ごとに、インハウスで何ができ、どうしたいか、ということを基準にして、それ以外をアウトソーシングする手順になるでしょう。
自分で自分のことをどのレベルでできるか、アップデートし、パワーアップできるかという点は、人により、家庭によって違ってくることなので、一律、画一の方向性を打ち出すということにしないことが重要であるという認識に立ち、可能性を閉じないように選択肢を用意することが重要なのです。

2人で働いていて、ダブルインカムになり、固定費、水道光熱費は大体半分になりますが、1日の半分は家にいないので、家の中が自由になりません必然的に外出し(アウトソーシング)することが必要な場面が出てきます。と同時に、どうしても外出しできない、家でやらなければならないこと(インハウス)もあるはず
可能性として、何をどこまで外出しできるか。それを可能にするにはどうすればいいか、ここにフォーカスすことが当事者の問題を共有することになるのです。

まず炊事のこと
食事は大体外食にできますが、塩分、糖分、脂肪分のコントロールが難しくなり、健康を害する可能性が高まります。また、多くの人が外食生活になると、食材の値段が上がり、いよいよ家庭料理が難しくなり、外食で求める「健康食卓」がさらに高価になるという悪循環に陥ることでしょう。できるだけインハウスを試みながら、必要な時は外食というスタンスをみんなが変えないことで食の問題をクリアする必要があります。
ともあれ、バリバリ働きたいなら、できるだけ健康的な外食でつなげるだけの収入を得られるようにすることが重要。そうでもなければインハウス主体で。そうすると、出費の程度と収入の程度は釣り合うことになるので、どのパターンの人も生きていけることになります。独身者もこれでOKです。

洗濯は夜になるので、防振防音設備のある洗濯場で洗濯機を回すか、休日、定期的に自宅で過ごせる日を作れるなら、溜めておいてコインランドリーを使うこともできます。特に、週休3日が可能なら、これが無理のない生活になります。これも独身者もOKです。

掃除はどうしても家のことなので、自分でやるしかありません。片付いた家をどれだけ維持できるかは、家にあるものの数にも左右されます。片づけ上手になるとか、散らかし癖を直すとか、買わないとか、いらなくなったらすぐに捨てるとか、そういう努力のほかにトランクルームを借りることができると、整理はつきやすくなり、期限を設定して、捨てやすくもなります。

食事と掃除は家政婦を雇うことで解決できますが、家政婦を雇うこと自体が一つのリスクでもあります。誰でも出来心は一瞬です。ことが起こるかどうかは、その人に任されてしまいます。ゆえに、用心深い日本ではまだ一般的ではない上に、需要が少なければ価格は高くなり、かと言って需要が増えれば品質は下がります。これも独身者も同じ条件になります。

家庭料理や日曜大工、家庭菜園を楽しみたい人たちは、休日にお預けになるかもしれません。忙しくても「これが楽しみなんだ」ということになって、毎日楽しんでいるかもしれません。
余暇、娯楽、イベントは家庭料理などと同様、「楽しみ」のくくりに入れるとすると、基本的に休日はお楽しみ会のような設定にできるでしょう。

そして最重要課題は、子どもの養育教育です。
子供3歳までの子育ては、両親のどちらかを地方公務員として雇用できる仕組みを提案していますが、これは子育てのためでもあり、両親がじっくり子供のことについて考え、話し合うための時間にもなります。70万人を雇用すると家庭すると18兆円必要になりますが、その分の公務員が要らなくなるので、それを充てればよく、将来的に子供が荒れたり、不登校になるリスクが下がるので、国家の損失が減り、長じて活躍できる可能性が高まるので、生産性が上がります。絶対に無駄な投資にはなりません。親にとっても、良き教育が可能になれば、現在のような教育上の社会問題は格段に減少することになります。
子供は、親のスタンスの外側に立つことができません。例えば、親が、子供は高校までと決めてしまうと、それを超えて大学進学するのは難しいものです。逆に親が大学進学をさせたいと思っているのに、高卒で就職するのも難しいものです。しかし、どのような道でも子供の選択に任せ、親として受け止めようという親のところは、いつまでも子供が決められずにずるずると「わからない」状態が続き、結局、選択が遅れて、残り物から選ばなければならなくなることがとても多いです。子供は、偶然、特別な出会いがあるのでなければ、親のサジェストなしに進路を決めることができません。それは、知らないからです。何を聞いても聞いた情報でしかなく、親が確定してくれないと現実にはならない。進路を決めるということは、多くの子供にとって、それほど心細いことなのです
このことを理解して、親としての態度を決めなければなりません。親が言わなければ、身近な環境の影響を受け、あるいは教育産業の言いなりになって、「決める」ではなく、実質的に「決まっていく」ことになります。もっと積極的に子供に合う進路を一緒に考える必要があるのです。これは、親にしかできません。でも、その前に、両親がどのようなスタンスで教育を進めるのか。日本の教育制度をどのぐらい理解しているのか。日本の社会をどのように理解しているのか。国際社会をどう見ているのか。生涯ここで生きてほしいのか、出ていってほしいのか。決定するのは子供自身ですが、その子供は、説得力のある、納得できる考え方や選択肢を親が提供することを望んでいます。
両親は、このことについて話し合い、共通のスタンスで臨む必要があります。立ち位置や距離感が同じである必要はありません。方向性が共有されていれば、夫婦のどちらが子供に対していても、子供が不安定になることはありません。逆にこのことがブレていたら、子供は言わないけれど(説明がつかない気持ちなので、言葉で言えないけれど)不安定な心理に陥ります。

この準備をする期間が、子供3歳までの時間です。このようなことが必要だと頭では分かっていても、生まれてみないと本当に子供のことを考えることはできません。子供の体温を感じて、初めて親としての真剣味が増すのです。ここを温かく支援することが社会の重要ポイントになります。
家庭的に問題のない子供の成長を約束できる支援をすルコと。それは成長環境の整備になります。
保育所(園)、幼稚園、子ども園、学校、習い事、地域環境、これらの安全、安定を確保し、安心まで高めること。それは、数の問題ではなく、質の問題です。
学校で「いじめはいけない」という指導をしていても、学童でいじめを見過ごす指導をしていたら、子供の態度はどうなると思いますか? 子供は、「いじめを見過ごす指導に対応した態度」を取るようになります。それは、誰でも、危険から身を守ることが優先されるからです。いじめが起こった時に適切に対応してくれる環境があったとしても、どこかに適切に対応しない環境があるなら、いじめは解消しません。みんながそういう対応をとるようになるからです。いじめから遠くに自分を置くようになる。いじめ自体は放置され、やられる方はやられ放題、やる方はやりたい放題になる。これは一つの敗北であり、やがて誰も解決できなくなります。いじめをどうするかということについて言えば、環境はとても大事です。いじめとは、1対1でするものではなく、一定の集団の中で発生するものだからです。
このことを軽く見る学級や学童などの環境があれば、子供は落ち着いて勉強できず、親が正しく育てた子ほど、おかしくなってしまいます。親は、子供をそういう環境に置かない、適切な努力が必要になります
まず、「子供の行き先」、「子供の居場所」を選ぶこと。そのための価値観と情報を得ること。これには、かなり時間がかかります。その時間を親にあげなければなりません。
社会としては、学童や学校など、子供の成長環境の質を良くすること。これは、先生や指導者の給料ではなく、講習や研修によってもたらされることです。
今の政策では、お金でなんとかしようという邪悪な目論見が見え見えで、それならもっと出せや、と思われてしまうので、能力の高い人が先生を目指すことはもっと少なくなるわけです。昔は県内でも有数の進学校(高校)を出た人が大学に進み、それから先生になったものですが、今では進学校ではない高校卒でも大卒で免許があれば先生になっています。それでも成り手がない状況、それが今なのです。この危機感を共有しなければ、子供が悲惨になるだけなのですが、まだ危機感が足りないように見えます。そういう低学力先生は、勉強について自分と向き合い乗り越えたことがないでしょうし、学習指導も適当にしかできないでしょう。家庭学習の指導も怪しいのです。そうなると、親がしっかりしないと子供の学力をつけることができません。
このような状況を改善することこそ、社会の役目です。やっている感を出すために、無駄なお金をばら撒いている場合ではありません。

子供の昼間の居場所はほぼアウトソーシングになります。朝夕夜の居場所は家になるので、両親のどちらかはその時間に一緒にいることができるよう、労働市場を解放し、親が仕事を選べるようにしなければなりません。
子供の昼間の居場所は、健康なら保育所、幼稚園、子ども園、学校、学童、病気や怪我なら病院、習い事、塾になるでしょう。それが、子供にとって、よき成長環境となるように選択し、調整すること、その最初の時点が重要です。これが、ゲームセンターになったり、友達の家に入り浸りになってゲーム三昧になったりしないようにするのは親の仕事です。忙しくても、大変でも、子供の最初の生活設計を怠ってはなりません。子供のスクリーンタイムが長くならないようにしなければ、結局、それは必ず親の責任に返ってきます。親子とも寂しい結果にならないようにするために、生活調整は親の管理下できっちりしなければなりません。食事は栄養最優先で食べさせておかないと、これも結局、親の責任に返ってきます。手抜きをしたことは全部返ってきます。ここは親の我慢が子供の身の上に乗り移るところなので、「親自身の大人度」に自己責任があるという自覚がものを言うところかもしれません。その代わり、親がその責任を果たすとき、家庭には喜びと笑顔が溢れます。この喜びは、子供がいなければ味わうことができない奇跡的な時間となります。心は喜びと感謝に溢れ、満ち足りた気持ちになることができる、それは人間にできる最大の幸福であると思います。

子供の教育や地域社会での生活に憂いがなければ、「共働き生活」は充実します。子供にとって安全な地域社会の形成は欠かせません。PTAもなくなり傾向で、自治会も参加しない人が現れ、地域の中の顔の見える関係が断たれていく中で安心材料は減るばかりです。
この点でも行政は、地域社会の立て直しを急がなければなりません

任意団体や任意活動だという理由で、必要であるからこの活動をしているにもかかわらず、それに参加しない人が出てきているのであれば、必要な活動は必要な活動であることを明記して、罰則をつけて法律や条例で強制するしかないのです。そういう人は、明確な理由があるならやるのですから、そうするしかありません。理由を明示することで納得を得られるよう、行政が知恵を絞らなければならないのは、こういうところなのです。
子育ては、うまくいくルートに乗ったあとは、楽しみでしかありません。あとは、健康と安全の心配をして、十分に気をつけて、明るく楽しく、何事もない毎日を過ごすこと。これが一つの幸せの形です。違う幸せの形があるかもしれませんが、そのような幸せを作ることを妨害するものはいません。
それでも、子供の病気や突然の怪我などはあるものです。その時に備えて、「子持ち様」には急な時用の退勤権を与える必要があります。またその時は、代替要員または「福祉要員としての公務員」を企業に派遣できる仕組みを整えておく必要があります。あるいは、「福祉要員としての公務員」を子供のところに派遣することも合意の上でありかもしれません。
いずれにしても、企業に子育ての責任を負わせてはなりません
。これは国の問題です。国民の生活の問題です。国が負わなければならないのです。安易に企業に押し付けることを禁止し、保守系自由主義の下での労働市場と国民生活については、国家が直接責任を負うことを行動で示さなければなりません。このことによって、企業は安心して経済活動、一定の雇用ができ、国民は生活も労働もできるのです。

炊事(食事)、洗濯、掃除、子育て、それぞれについて、インハウスが最小で、時にアウトソーシングを最大化できる可能性をつくりながら、「共働き社会」のビジョンをつくり、できるだけ早い時期に共有していくことが求められていると思います。

そして、このアウトソーシングの原資は、自分たちの稼ぎであるべきです。税金で集めて、再分配する方法は非常に不公平です。働きの悪いものほど得をする制度だからです。しかも、そんなことをしている間に、多くの公務員の手を経るため、その分の経費がかかり続けます。「中抜き」されているのと同じです。稼いだ分だけ手元に残る方がずっと効率が良いのです。稼ぎは、絶対に税金を経由させてはなりません。稼ぎは、直接本人の手元に! これが大原則となります。

よく、家庭環境によらず、子供が同じ行政サービスを受けられるようにと言いますが、こんな欺瞞、偽善は他にないぐらい、それは嘘に塗れた意見です。家庭環境によらず、お金のサービスを提供しても、家庭環境による差は埋まりません。お金の使い方の上手い下手が変わるわけではないからです。アウトソーシングのお金の使い方を決められるのは迷惑なことだし、自由にすれば使い方の上手い下手の違いがそのまま反映されるだけだし、ついには経済対策なだけで、子育ての支援には少しもならない政策になってしまうことは今までの経験でわかっているはず。家庭を変える努力をしなければ、差は縮まらず、何をしても効果は上がらないのです。税金で取られるだけ無駄であり、公務員に「中抜き」させるためだけの施策になっている状況も変わりません。こんなバカなことをいつまでやっているのか? 日本国民は、自分たちのために、賢くならなければなりません。

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奥冬海優二
ぜひご支援ください! 日本にないのは「まとまりのある考え」だと思っていて、若者が受け継ぎたいと思うような、受け継ぐべき良き日本の「考え」をつくり、伝えることに挑戦しています。 日本の「保守系自由主義」の広報と実行に使わせていただきます。 保守派のみなさん、是非是非ご支援ください!