わかりやすく 保守系自由主義の世界観
保守系自由主義の世界観の概要は次のようになります!
哲学や詩を読むような理解でどうぞ!
宇宙と地球と社会について。
宇宙は現実的であり、理想的ではない。
地球は有限であり、無限ではない。
社会は相対的であり、絶対的ではない。
従って、人間はどこでも生きることができる。
宇宙は現実的であり、理想的ではない。理想にはならない。理想を目指してはならない。理想は描くにとどめなければならない。
地球は有限であり、無限ではない。無限にはならない。無限を目指してはならない。平衡と循環しか目指せない。無限を思うにとどめなければならない。
社会は相対的であり、絶対的ではない。絶対にはならない。絶対を目指してはならない。絶対を描くにとどめなければならない。
優生思想と自然淘汰について。
保守系自由主義の国民国家では、優生思想と自然淘汰をその価値観にしない。
この血が優れていて、あの血は劣っているという発想をしない。むしろ卑しむ。
また、自然のうちに良いものが生き残り、劣るものが滅ぶという発想をしない。むしろ蔑む。
能力を持ち、努力し、意志する血(熱意)が優れているのであって、受け身で、依存し、他責する血(甘え)が劣っているのである。
良いもの、優れたもの、求められたもの、偶然助けられたものが生き残り、良くもなく、優れてもおらず、求められてもなく、偶然にも恵まれなかったものも生き残る。
生死に必然はなく、生死は必然的に偶然の支配下にある。生命はその中で喘ぐ。それが生きるということである。
身も蓋もない「偶然の支配」という運命が私たちを生かしていると受け止めた時、私たちにはある限りの勇気が湧き出で、「天道」の下でひたすら歩み続けるのである。
世の中について。
善より悪の方が多い。美より醜の方が多い。真より偽の方が多い。強より弱の方が多い。有情より無情の方が多い。賢より愚の方が多い。
そして、それらが解き明かすことができないほど複雑に、乱雑にあるいは繊細に絡み合い、存在し続けている。
こんなにも多様な世界に私たちは生きている。
問題は、「自由であるか否か」であって、善悪、美醜、真偽などの問題ではない。
支配と統制によって、善、美、真、強、有情、賢だけを目指してはならない。また開き直って、悪、醜、偽、弱、無情、愚を決め込んでもいけない。
それら入り乱れたごった煮の社会こそ正常なのだ。内外を分けるのが精一杯。それがいいのである。
国民国家の課題について。
国民国家における課題は、分立三権の支配に対して、主権者が公正公平に自由であるか否か。
政治的、法的な部分で、邪悪、悪徳、汚職、背任を排除できているか否か。
一般意志以外の無用の拘束を受け、または不当に萎縮を招くような措置を排除しているか否か。
主権者それぞれが相当に自由であり、かつ相互に相当に自由であるか否か。
主権者たる国民の自由を脅かす社会運動、強制力の行使、破壊、脅迫、警告、暴力、あるいはその準備行為を排除できているか否か。
私たちがここで生きているこの瞬間が、宇宙の歴史の最先端なのだ。
人類が今までを生き抜いてきたその結果が「今ここ、この瞬間」であり、この瞬間を失うまで、人類は宇宙の歴史の「最先端」を生き続けていくのである。もし、最先端を外れたら、それは死滅を意味する。
宇宙には、最先端しかなく、殿(しんがり)はない。宇宙の最先端にあるものしか、宇宙を認知することはできないのである。