2.「封建制の名残」を再々度排除し、「昭和の積み残し」を清算する!
封建といえば、御恩と奉公の主従関係の制度です。
企業活動で言えば、終身雇用、年功序列、手厚い退職金、なんでもやります一般職、どこでもいきます単身赴任、いつでもやりますフルタイム残業など、忠誠と滅私奉公というたくさんの不文律に基づく「制度」です。
これは、家庭生活や地域生活でも生きていて、家父長制、長子相続、祭りや地域清掃などの地域行事、「男なんだからしっかりしなさい」、「女に学はいらない」、男は仕事、女は家庭などすでに法的に無効となったはずの暗黙の了解という「制度」です。
日本人は、自分たちの理解とは違う法律に対応する術を持っています。明治維新がそうでした。村々の掟の上に洋式の法律がかぶせられ、それには逆らえない。だから、その法律にはかかわらないようにしながら、村を村として存続させる「暗黙の了解」を「裏制度」としてきたのです。
敗戦の時もそうでした。結局、自主的なものではない法律は、自分のものとはならないのです。
しかし、実態として、明治の法律は浸透し、昭和の憲法・法律も浸透してきました。生活が変わり、今の法律に則って国は動いています。
村は弱体化しました。村から人がいなくなっています。掟を存続させる力も説得力もなくなっていきました。にも関わらず、いくつかの「名残」が残っていて、それらは「共働き社会」の障害となっています。
「女に学はいらない」、「女は高校まででいい」というのを聞いたことがないかもしれません。私も聞いて耳を疑ったのですが、私よりもはるかに若い親の中に、今も残っていることを知りました。
いわれのない言説で個人が制約を受けるのは、「共働き社会」の障害となります。私はこれを「封建制の名残」ではないかと思っているのですが、個人の自由を奪う差別を解消するために、今一度話し合ってみるのはいかがでしょうか。再々度の問題提起と意識改革を試みたいところです。
それとともに、国が企業に課してきた義務を解除し、企業が動きやすい社会をつくるといいと思います。
戦後、国に経済力ない時代、先に力をつけたのは企業でした。そこで、国は、社会保障制度などで企業に社会保険の半額負担を義務付けるなど、さまざまな義務を企業に課してきました。しかし、その分、企業側の言い分を聞くことも増え、今では政財界の癒着が当たり前になってしまっています。
そのため、国は主権者である国民を向いて仕事をせず、お金を出し、いろんな負担に応じてくれる企業を向いて仕事をするようになっています。企業の言うことを聞いた後に、国民の意見を聞くというのは非常に不健全な政治です。
この事態を正すために、「昭和の積み残しを清算」する必要があります。
まず、企業に負担させてきた社会保険等を廃止し、国が直接負担する状態にして透明化する。つまり、日本をあるべき姿に戻すということを早急に実行するべきなのです。
国が企業を向いて仕事をしているために、私たち主権者の権利は限りなく侵害されています。企業献金によって、政治家は企業の言うことを一番最初に聞くようになりました。これは、私たちの生活を圧迫しています。巨額の税金を集め、企業活動を支援したりするため、歴史上最も効率の義務的経費(税、社会保険料等)に喘いでいるのです。
経団連は21億円もの巨額の政治献金をしたそうですが、これは、政府が経団連の言いなりであることと関係がないわけがありません。昔から、惣だの、座だの、株仲間だの、業界団体と政治との関わりをどう制御するかは重要な課題でした。今もそうです。この関係を常に問題視し、監視することは非常に重要です。
ですが、まずは、政府の企業に対する負い目を外し、同時に企業を身軽にして、従業員給与を飛躍的に上げることも可能になり、労働市場のジョブ型雇用への変化とともに、経済発展の基盤を強くすることを優先するのがいいのではないでしょうか。
これにより、企業の言いなりになる必要は軽減されます。政府は痛いことを言いやすくなります。そして、政治家、政治団体への企業団体献金をすべて廃止し、献金したいなら、政府、財政当局に直接入れるようにすればいいのです。
国が担う社会保険料等の負担はどうやってするのか。
増税をします。ただし、不要な負担を削るところから始めます。
まず、外国人が不当に得ている社会保険の利益を早急に廃止し、日本人のための或いは日本に長く「居住」している人のための制度として設計し直すことです。垂れ流しの無用な出血を抑えるのは当然の義務ですが、国はその義務を果たしていません。
外国人労働者については、来日するときに、滞在期間中の保険と、帰国するときの費用を預託(または保険)させることを義務付けます。来日後、日本の対して移民・難民認定を求めることがないよう施策を整備し、混乱を未然に防止し、これに不都合な国連条約からは脱退し、日本は国民かどうかで権利が違うという「当たり前の国」にならなければなりません。
税負担は、国民一人ずつ必ず負担するものとし、扶養家族で働いていなくても、子供でも負担するものとします。その上で、18歳未満の子供については国が負担し、他の扶養家族については本人負担(または家族負担)ですが、転職期間中は法律に基づいて国が負担します。もちろん働「け」ない人については、福祉、医療の観点から国が負担します。
社会保険料の総額を75.5兆円とすると、一人当たりは62万円、半額自己負担として、個人の月々の負担は2.5万円です。
一方国の負担は総額37兆円となります。これを消費税で集めるとなると18%必要になります。消費税は28%に跳ね上がることになります。しかし、その分、企業は軽くなり、人を雇いやすく、或いは従業員給与を飛躍的に上げやすくなり、また事業を拡大しやすくなります。ジョブ型雇用とのセットで、雇用の流動性が高まり、必要な産業へ人を集めることも可能になります。
消費税に付け替えると28%になる。企業は今までこれだけの負担をしてきたわけです。負担を企業から国に付け替えるだけなのですが、消費税に換算すると、ものすごい負担感になります。
それもこれも、見えないようにしてきたのがダメなのです。この数字を私たち主権者がきちんと見ていくことで、負担率はどんどん下げていくことができるでしょう。
ただ、これからも企業の内部留保が貯まっていくだけでは何の意味もないので、新たな対策が必要となるでしょう。それは、内部留保の上限額(割合)を設定することです。翌年の事業資金が必要なら、金融機関を使うようにさせ、どんどんお金を回す仕組みを国の中に築かなければなりません。
昭和の積み残しを清算する。この一事だけでもかなりの衝撃です。でも、できることです。企業群がやってきたことを国ができない? そんなことはないはずなのです。
さらに、地方都市のどこかにカジノ島やタックスヘブン島を建設し、国の収益を支える「事業」を展開することも考えるべきでしょう。国際社会は、泥臭い、血生臭いものかもしれません。この先はわかりませんが、いろんな覚悟が必要です。国際社会の最先端の悪をコントロールする技術を磨き続けることは、国家の発展と存続の礎となるでしょう。