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政治を語るまえに、「人はみんな一生懸命生きている」ということを共有したい

「人はみんな一生懸命生きている」――これが「保守系自由主義」の思想の原点です

高潔な人も、まちがいだらけの人も、みんな一生懸命に生きている。そして、みんなが一生懸命に生きてきた結果として今があります

お酒を飲みすぎたのも、食べすぎたのも、手抜きをしたのも、やり過ぎたのも、やらなかったのも、そのときその人にとっては、やむを得ざる選択だったのです。何かを決めるにしても、決めないにしても、それがその人のありようなのです。

この受け止めから考え始めなければ、すべてを見誤っていきます。みんなが一生懸命生きている結果が、この世界のこの瞬間のただ一つの現実であるということをまず認識しなければなりません。

この世界のすべてを解き明かすことはできません。しかし、解き明かそうとすることもなく、放置することはできません。人間には、一定の整理が必要です。
わかる力があるということは、何もわからない状態を維持できないということでもあります。
とても不安定で、拠り所のない状態。だからこそ、そこには一定の思想が必要となるのです。その思想の一つが「人はみんな一生懸命生きている」という認識の共有です。

人はみんな一生懸命生きている。怠けて見えるのも、一生懸命やってダメだった時の一つの表情なのです。大抵の人は当然のように凡人であって、求めているのは小さな幸せだけーー。

小さな幸せーー、この慎みは贅沢なのでしょうか? 
邪悪な政治は、隣の芝生を羨み妬みながら青い鳥を待っている小人に、解決不能な試練を与えます。そして、「任せておけ(任せてください)」と言って、ずっと高い税金を取り続け、飴と鞭、支配と非支配の構図を作り上げようとします
国民国家において、保守系自由主義の立場で、このような邪悪な政治に決着をつけようと思うなら、私たちは自立すると言わなければなりません
常に足元を見られる政治をやられていたら、私たちはずっと政治家たちの奴隷であり、私たちの国ではなく、政治家たちの国に成り下がってしまうのです。

わたしたちに「主権者の自覚」があるなら、「奴隷を志願」してはなりません
自分が自分であることを大事にしないなら、人権も平等も意味がありません。であるのに、今の政治に「特別な働き」を求めるのは矛盾しているのです矛盾の責任は、自然と自分に返ってきます。今この瞬間を見つめるだけで、その罪深さは理解できるものでしょう。

私たちは、民主主義を充実させ、邪悪な政治家から政治を取り上げ、私たちの政治を実現する必要があるのです。今の日本は、国民国家なのだから。
その私たちの政治の基本は、「飴と鞭」、「支配と非支配」ではありません。「分断して統治せよ」でもありません。今の政治家は「してやっている」意識が高いです。その理由は、ばら撒き政治をやっているからです。
高いところから偉そうに、税金を取りながら、その取り分を分けてやったぞというその構えが、そもそも「私たち」の向こう側の人間なのです。こんな政治家に任せていたら、すでにそうなっていますが、どんどん税をとり、どんどんばら撒く政治に堕ち、みんなが、我先に国家を食い尽くすことに精を出し、煙を吐きながら墜落していく戦闘機さながら、消えてなくなるのでしょう。それは嫌なので、保守系自由主義を訴えています。

保守系自由主義である私たちが、政治を私たちの手に取り戻すために必要なものは、「人はみんな一生懸命生きている」という私たち自身の誇りと、そんな私たち同士の敬意なのです


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奥冬海優二
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