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「平等至上主義」は平等をもたらさないのでは?

平等至上主義って、結局、何をするかと言ったら、最底辺を対象に保護するってことですね。大多数には全く関係のない話です。
しかも、自分ではどうにもできない人や場合については、今までも福祉的な保護があったにも関わらず、その権利拡大を目指していたわけですが、ついに、いろんな法律ができて、LGさんや、ジェンダーさん、障がいを持つ皆さんを保護する法律までできました。しかし、これは結果的に悪法となったのではないでしょうか?
平等を目指していたはずなのに、いつの間にか、彼らが優遇され、特権を手にしたようなのです。例えばで言えば、障がい者支援法?では、障がい者がものをとってと言ったら、健常者が取らなければいけないことになったようです。しかも、その法律ができて、報道によれば、「良かった。これでお礼を言わなくていい」などと言った人がいるようです。要は、そういうことだったのです。権利だから、お礼は言わない。ということは、今までお礼を言うのが嫌だったのですね。
しかし、私たちは、平等のために、やさしい気持ちで、その権利保護の活動を認めてきたわけですが、優しい気持ちは全く逆効果でした。心の分断のための法律に協力したつもりはなかったわけです
LGさんのための法律もそうだし、経産省?だっけかな、最高裁で保護する判決が出たわけですが、それを機に、女性風呂に男が入っていって逮捕された事件がすぐに起こりました。しかし、彼らはそのようなことは起こらないと豪語していました。結局、自分のことしか考えていない、これが平等至上主義の正体だったのです。その後の報道がないのは、報道管制かもしれません。このような言論統制を平気でかけてくるのがこうした平等至上主義のやり方なのです。
トランスジェンダーの本が日本で発売されようとした時、書店を爆破するとか脅迫があって発売が遅れました。私は読みましたが、すべての女の子をもつ両親は絶対に読んだ方がいいです。
日本は、もともと多様性の国。個人の尊厳を認めてきた国です。ただ、欧米の価値観でいうところの平等とは中身が違うのです。
日本の多様性は、個人を大事にするという意味ですが、欧米の多様性は女性とかLJさんとかの属性についての尊厳です。
また、日本ではAでなければBもCもあり、それでいいことになりますが、欧米ではAでなければBもCも非Aとなり、BもCもあってはならないことになります。日本では、常に全員の自由を認めますが、欧米ではAの自由のために非Aは不自由を強いられます。だから、分断や構想が後を断ちません。そういう価値観の「平等至上主義」を日本に持ち込んだ人たちが、政治や行政や法律上の権力を持つ人の中にいるわけです。経済人、政治家、議員、政府の役人(法務省、厚労省)、そして裁判官です。
これらの人々に対して、国民が直接主権を行使できる制度が必要です。
私たちは、言論の自由を死守しなければなりません。そして、平等至上主義が封じようとする言論こそ、解放しなければなりません。そこに、あってはならない優遇や特権があるのです。「平等至上主義」の正体を暴き、正しく、日本文化の多様性と個人の尊厳を取り戻す必要があるのです。
そのためにまず、早急に平等至上主義」の問題点を具体的な事例に基づき、議論していくことが求められています。

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奥冬海優二
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