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#268 阪神淡路大震災から30年

おはようございます ゆーずきです
今日もお疲れ様です


1995年1月17日 午前5時46分
あの朝のことは鮮明に覚えています
その頃、6畳の部屋で、ベッドで、夫婦の真ん中に次女を寝かせ、その下に布団を敷いて長女と長男が寝ていました
その朝
地震が起こった時、夫はすぐ下に降り、長女と長男の上に被さりました
私は次女抱きしめ地震が収まるのを待ちました
すぐにキッチンまで降りて、炊飯器のタイマーを確認しました
その頃、ガス釜を使っていたので、当然ガスは止まっていました
外に出て、周りを確かめ、テレビをつけると
ひどい映像が現れていました
テレビ局の中の揺れ
ものが散乱してごちゃごちゃになっていました


私たちが住んでいる地域は、さほど被害もなく
我が家の応接間のシャンデリアが欠けていた程度でした
その日も夫は仕事に出かけ、私と子供たちで過ごしたと思います
時間が経つにつれ、だんだん状況がわかってきて
また、テレビの中は、同じことの放送が繰り返されていました
高速道路の悲惨な映像を思い出すと辛くなります
我が家の子供たちは、状況があまりわかっていなかったので、心を痛めることもなく過ごすことができたのですが
子供たちの幼なじみの1人の女の子は
とても怖かったようで、その後神経過敏となってよく怖がっていました
大阪は地震もあまりなかったので、備えというものが全くできていませんでした
その後も、人々はその時のことを忘れてしまいがちです
私も、その中の1人で
特に家の中の備えを準備することもなくずっと過ごしていました

ここ2年ほど、やっと防災や災害について考えるようになりました
まず自分ができること
家の中を片付けること
床の上にものは置かない
いつでもすっと通れるようにする
それから、お水を準備したり
災害時に食べられるものや、蓄電器を準備するなど
夫婦でも話し合うことが増えました
若い頃は、自分には危ない事は起こらない
と言う何の根拠もない自信というものがあったのかもしれません
年齢とともに備えと言うものに対して考えるようになりました
防災の話を聞くようになり、自分なりにできることから少しずつやっていきたいと思います
30年前のことを忘れず、またそのことを伝えると言うこともやっていきたいと思います



今日も、素敵な1日を〜♬


1月17日金曜日

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