ジグソー 第29回
「そういえば、佐伯さんが言うには、たーちゃんを泣かしてしまったことがあったそうですよ」
いうことを聞かないたーちゃんを叱る妻と、それを止める佐伯が口喧嘩になり、佐伯は怒って、ドアを叩きつけるように閉めて書斎に入った。すると、たーちゃんが恐る恐る入ってきて、何か言おうとしても言えなくて泣き出した。佐伯は、ただただ、しゃくりあげるばかりのたーちゃんを抱きしめて頭をなで続けた。
「ごめんね、パパが悪かった、たーちゃんは何も悪くないよ。パパが悪かったんだよ」
そう言い続けながら、小さな子を泣かすなんて本当に悪いことをしたと、佐伯はしみじみ言ったそうだ。
あ、それはぼんやり憶えている、と貴裕は思った。小学校低学年の頃、僕のせいでパパとママが喧嘩になり、パパがものすごく怒ってドアを乱暴に閉めて、自分の部屋に入ってしまった。家中に響いたその音に驚いて、謝らなければと思ってパパの部屋に行ったけれど、怖くて何も言えずに泣きじゃくってしまった。悲しかった。でも、自分が悪かったと謝りながら、抱きすくめて頭をなでてくれた一成の手の平が、とても温かった。
「たしかにそんなことがあったと思います。私も忘れかけていましたけど。でも、懐かしくて心の温まる思い出です」
そう貴裕が言うと、栗橋はもう一つ別の一成の甦ったらしい記憶の話をした。
「それから、たーちゃんはケータイをかけてきたんだ、とも仰っていました」
そのひと言で、貴裕の忘却のかなたに消え去っていた記憶が瞬時に浮かび上がってきた。就職して二年後くらいだったろうか、「どうして迎えに来ないのかしらね」という母のことばを何度目かに耳にした時、ふと一成にそれを伝える気になった。依頼なのか抗議なのか皮肉なのか、その真意は自分でも分からない。ただ、母のそのことばを父に直接伝えなければ、との思いに駆られて、やみくもに携帯電話をかけた。
一成は出なかったが、しばらくしてショート・メッセージに返信があった。「俺は死ぬまでお前たちの父親でいたい」と。父の真意は測りかねた。何が言いたいのか。問い質したい思いを抱きはしたが、そんな短いことばしか伝えてこない一成に憤りを覚えもした。それ以後貴裕から接触を求めることはなかった。だが、一成はその出来事を思い出したのだ。