橋井尚

福島県生まれ、みちのく育ち。高校生の頃から短編やエッセイを書いていました。教職を退いて…

橋井尚

福島県生まれ、みちのく育ち。高校生の頃から短編やエッセイを書いていました。教職を退いてから、架空の街峰坂を舞台に、さまざまな人生模様の物語を描き始めました。峰坂は日本海に面して尖塔の多い小都市という設定です。趣味は、パラグライダーなどのアウトドアスポーツです。

最近の記事

サニー・スポット 第32回

 もしも、先ほど仰っていた、励ましてやれなかったことの償いのおつもりでそのようにしていただいたのでしたら、ご面倒をかけまして、申し訳ない気持ちで一杯になります。どうか、そんなふうには考えないでください。そのために取り計らっていただいたかと思うと、私、何か、心苦しくて」  訴えるような、杏子のことばを聞いて辺見は、即座に答えた。 「いや奥さん、そんなことはありません。あれは事故でした。それ以上でも以下でもないんです。私が何か言ったからそう解釈されたなどということは、まったくあり

    • サニー・スポット 第31回

       高藤家の居間のガラス戸越しには、道路と民家の向こうの高台にある西洋宮殿風の結婚式場が見える。その建物の玄関の上に載っている尖塔は八角形で、大人の背丈ほどの白亜の壁には縦長のスリットが窓のように入っている。八枚の細長い三角形が寄り添う明るいグレーの瀟洒な屋根が、壁の上端から六〇度ほどの傾斜で空に伸びている。辺見は、知人の娘の結婚式に招かれて、一度中に入ったことがあった。祭壇の背後の壁には、建築家安藤忠雄の代表作「光の教会」を模した、十字架の形にくり抜かれた窓があった。そこから

      • サニー・スポット 第30回

        「それはよかった。そう伺って安心しました。では、今度お邪魔する時にはワインでも持参しますよ」 「きっと喜ぶと思います。ワインは好きですから。そうそう、こないだですけどね……」と言ってから、杏子が少し言いよどんだ。  耳ざとく聞きつけた辺見が 「何かあったんですか」と、問うと、杏子は、しまった、余計なことを、とでもいいたげな顔をしている。 「いえ、お耳に入れるほどのことでもありません」 「そうですか。でも、何か楽しそうなお話でしたら、もし、お差し支えなければ、……」  辺見にそ

        • サニー・スポット 第29回

           翌早朝、杏子は高藤に携帯電話をかけた。六時から八時までの間に五回ベルを鳴らしたが応答がない。疲れて熟睡しているのだと自分に言い聞かせながら、朝食の準備をして、滉平と楓を大学と高校に送り出した。雪はやや小降りになり、風の勢いも弱まっていた。高藤の車に向かって駆け出したい衝動を抑えながら唇をかみしめていた杏子に、管轄の高沢警察署から電話があったのは八時すぎだった。  暴風雪で昨夜から立ち往生した五十八台の車の救出作業が、市の除雪車に加えて自衛隊と警察の車両と消防のレスキュー隊に

        サニー・スポット 第32回

          サニー・スポット 第28回

           朝の天気予報では季節外れの大寒波襲来が告げられていたが、予想外に急速に発達した低気圧の影響で、北西風が激しくなり予報よりも状況が悪化した。車のラジオは警報級の大雪として、厳重な注意を呼びかけている。最大瞬間風速三十二メートルを記録し、ホワイトアウトが襲いかかる暴風雪で渋滞する中を、高藤のハッチバックの小型車はのろのろと進んだ。フロントガラスに積もる雪がシャーベット状になって凍り付き、内側から暖気を当てて融かさないと、ワイパーだけでは視界が確保できなくなっていた。  雪は一向

          サニー・スポット 第28回

          サニー・スポット 第27回

           ひと言、会議室のドアを開けて高藤を追いかけて、議長としてではなく、友人として何か声をかけていれば、高藤君はこういう状況にはならなかったかも知れません。会議室のドアを一歩出れば、特別事案の当事者としての高藤と、事案を処理する支店側の代表としての辺見ではなく、入行以来の親友としての、彼と私であったはずなんです」  辺見のそのことばに、じっと耳を傾けていた杏子は、しばらく無言だったが、やがて自らの思いを確かめるように口を開いた。 「それでも、主人は生き残ってくれました。今の私はそ

          サニー・スポット 第27回

          サニー・スポット 第26回

           高藤も、毅然とした態度を崩さずに、特別臨時支店会議議長の辺見のことばに、淡々と対応した。 「ありがとうございます。そのとおりに進めていただいて結構です。どうか、よろしくお願いいたします。では、これで失礼します」 そう言って小会議室を出ていく高藤の後ろ姿を見ながら、辺見は何かことばをかけるべきかどうか躊躇していた。人生はまだまだこれからだ、やり直しはいくらでもできる。前を見て進んでほしい。そんなことばが浮かんだ。  しかし、すぐに彼は考え直した。いや、これは、毅然とした態度で

          サニー・スポット 第26回

          サニー・スポット 第25回

           特別臨時支店会議でセクハラを認定して、停職六ヶ月の処分を決議した翌日の午後七時、辺見は支店の五階にある小会議室で高藤と対峙した。調査委員会の活動について順を追って説明してから、最終報告書が、昨日の特別臨時支店会議に提出され承認されたことを伝えた上で、報告書を高藤に手渡して、内容の確認を求めた。A4ファイルで一三七頁に及ぶ報告書を、高藤は一時間五十分をかけて、丁寧に頁をめくりながら、ある部分は行きつ戻りつしながら精読し、またある部分は流し読みをしていた。その間辺見は、同一の報

          サニー・スポット 第25回

          サニー・スポット 第24回

           小さな棘をいちいち抜いている暇はない。委員会では沢内委員以外の四委員が三日に渡って善後策を検討したが、申立人への配慮を優先せざるを得ない、という苦渋の決断に至った。七日に調査委員長から報告を受けた辺見は、忸怩たる思いを胸に秘めつつ、電話でその旨を沢内弁護士に伝えた。  その翌日、沢内は調査委員会の、岸辺に対する配慮と調査報告書の完成を優先するという方針に抗議するとして、辞表を提出した。辺見は辞表を見て、沢内の阿吽の呼吸の勇断に、感謝の念を抱かずにはいられなかった。事務所を訪

          サニー・スポット 第24回

          サニー・スポット 第23回

           12・13調査委員会の主な役割は、旧8・3調査委員会の活動の検証であり、それは順調に進んだ。旧調査委員会が廃止に至った経緯については、吉住取締役への回答書の内容をほぼ踏襲した文書に基づいて、植田特別臨時支店会議議長や田野畑前調査委員などに確認を求めて調査報告を作成した。旧委員会の調査結果の妥当性の検討については、完成目前だった旧委員会調査報告書をなぞる形で、内容確認のために当事者二名への事情聴取を再度実施した。  新委員会は計三回の調査と二回の会議を経て、最終報告書を二月二

          サニー・スポット 第23回

          サニー・スポット 第22回

           辺見の推測を聞いた植田は 「まあ、そんなところだろうね」と言ってこう続けた。 「私も勧告書の裏の意味が飲み込めたように思えて、それからは少し気が楽になりました。それで、回答書草案も事務的にすらすら書けました。不適切な事案処理五項目について、全部同じパターンで軽やかにキーが打てましたよ。仰るとおりでございます。私なりに尽力しましたが、至りませんでした。反省し、次のような改善策を施しましたってね。相手の意図がほぼ読めたので、随分余裕を持って文章を考えることができました」  そう

          サニー・スポット 第22回

          サニー・スポット 第21回

           植田が気づき辺見が察知したのは、吉住取締役と山畑副支店長が二人とも旧春日銀行出身ということだった。植田と辺見、そして高藤は旧椿銀行系である。山畑は植田支店長の一年後の入行で順調に管理職の階段を上ってきた。少し早いが植田と同時にどこかの支店長になってもおかしくない立場にいた山畑にとっては、それがかなわなかったことは、待ちぼうけを食わされたように感じられただろう。合併後に入行した社員には理解しにくいことだろうが、椿系と春日系の間の目に見えない反目はたしかに存在した。  人事部は

          サニー・スポット 第21回

          「サニー・スポット」第20回

                 Ⅳ  平成への改元後まもなく発覚した金融不祥事によって、投資家や金融機関が投資や融資を引き揚げ、バブル経済の崩壊が起きた。それに続く、失われた十年あるいは二十年や三十年とも呼ばれるデフレ不況の影響を受けて、都市銀行の多くが財務体質悪化に見舞われ、合併、持ち株会社、業務提携などの手法による再編の波に飲み込まれた。椿銀行と春日銀行もその例に漏れず、さまざまな方策を検討吟味した末に、窮余の策ともいえる対等合併に踏み切った。二十年以上前のことである。  両行とも銀行業界

          「サニー・スポット」第20回

          「サニー・スポット」第19回

           何やら不穏な雰囲気を感じながら、辺見は疑問を口にした。 「はあ、そうなんですか。調査委員長とリスク統括部長が連絡を密に取ること自体は、結構なことだとは思いますが、調査委員長が訴え人に支援者的な立場で接触するのは、吉住勧告では断罪されている行為ですよね。取締役の励ましのことばも、もし本当なら場合によっては、公平性の観点からはそれこそ取締役ご本人が問題視している行為に当たるかもしれませんね。元来、どちらもいわゆる社会的通念の範囲内なら、人間どうしが互いに気遣うごく自然な行動だと

          「サニー・スポット」第19回

          「サニー・スポット」第18回

           岸場からそう聞いて、植田は一瞬きょとんとした顔になったが、すぐに気を取り直して話をつなげた。 「ほう、山畑さんがそう言ってましたか。それは何よりです。そうですか……、吉住取締役にも随分とお力添えをいただいていますので、その意味でもどうぞ、心置きなく仕事に励んでください」  そう言って岸場を送り出したあと、植田は自分の椅子ではなく、再びソファに深く身を沈めて、しばらく虚空を見つめながら考え込んでいた。    四日後、支店長室で吉住取締役への回答書の草稿を辺見に渡したあとで、植

          「サニー・スポット」第18回

          「サニー・スポット」第17回

           翌十四日、辺見は支店長室で植田に会い、昨日成立した新調査委員会の名称を12・13調査委員会としたいと伝えた。さらに、植田と相談の上で一月三日の窓口営業開始日付けで岸場の実栗支店出向を解いて支店へ復帰させ、高藤を七郷支店へ一時出向させることにした。 また、弁明と改善策の草稿を植田が作成し、それを元にして辺見が最終文書を仕上げ、特別臨時支店会議の承認を得た上で一月十二日までに吉住取締役に提出する手はずにした。  作業のめどがひととおり立ったところで 「まさか私が、議長を仰せつか

          「サニー・スポット」第17回