
ジグソー 第16回
Ⅲ
一成が八十四歳で脊椎ヘルニアの手術を受けた、三年前の年の暮れ、貴裕はケアマネージャー唯野律子から、高齢の男性患者のマッサージとリハビリ担当の代理を打診された。理学療法士として勤め始めてすでに三十年を過ぎ、最近ではケアマネージャーや療法士の新人指導や、機能訓練計画書のチェックなどの管理業務に重点が移っている。それでも機能訓練の現場を完全に離れる気はなく、休暇や産休を取っている療法士の代理を買って出ることも多い。
槇野はその時唯野から手渡されたカルテに、父佐伯一成の名前が記されているのを見て驚いたが、奇妙に冷静だった。生年月日も一致している。同姓同名の人物の可能性もあるが、父一成が峰坂市に住んでいることは充分あり得る。やや戸惑いながらも、槇野は即座に何か理由を探して断ろうとした。だが、それはあまりに唐突すぎるのではと考え直し、平静を装って唯野にいくつか質問をした。間違いなく父なのかどうかを確かめなくてはならない。そういう思いに駆られた。
佐伯の現在の症状についてひととおりの説明を終えた唯野に、槇野はさらに尋ねた。
「認知症の症状はどの程度なんでしょうか。記憶力はかなり衰えているんでしょうか」
「家族の名前は分からなくなっているようで、それに白内障で、人の顔もよく判別できないとのことです。よくあることですが、少し前のことよりは昔のことのほうをよく憶えているようです。同じことを繰り返して言うことも多いみたいですね」
ここで、一番気になっていることを貴裕は確認した。
「家族のことは忘れているわけですね?」
「そのようです。ご家族は松柏園にはほとんどいらっしゃらないので、ほぼ忘れているということです。会ってもおそらく分からないでしょう。日常生活の介助はまだ必要ないという報告を受けています」
「そうですか。分かりました。週二回、四〇分のマッサージとリハビリですね。多分大丈夫だと思いますが、一応他の予定を確認してから今日明日中に連絡します」
槇野はとりあえずそう答えて一晩考えた。この患者が三十年以上一度も会っていない父親であることはほぼ間違いない。一成と修子が別居し、久美と貴裕が修子の実家に身を寄せた当初、一成は修子と何度か会って話し合いをしていた。久美や貴裕とも会って話したいと言っていたが、それは断った。社会人になりたての久美と大学生の貴裕には荷が重すぎた。