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サニー・スポット 第22回

 辺見の推測を聞いた植田は
「まあ、そんなところだろうね」と言ってこう続けた。
「私も勧告書の裏の意味が飲み込めたように思えて、それからは少し気が楽になりました。それで、回答書草案も事務的にすらすら書けました。不適切な事案処理五項目について、全部同じパターンで軽やかにキーが打てましたよ。仰るとおりでございます。私なりに尽力しましたが、至りませんでした。反省し、次のような改善策を施しましたってね。相手の意図がほぼ読めたので、随分余裕を持って文章を考えることができました」
 そう、明るく軽快に言い放った植田のことばに、辺見は驚きとともに、親しみと頼もしさを感じた。
「なるほど、そうですか。それは不幸中の幸い、と申し上げてよいかどうかは分かりませんが、何よりかと存じます。支店長にこのような理不尽で砂を噛むような文書の作成をお願いしながら、なんのお役にも立てずに大変申し訳なく思っております」
「いやいや、これは私から言い出したことだし、反省すべきことをしでかした人間が反省文を書くのは当然でしょう」
「支店長が反省なさる必要はないはずなんですが。しかし、では、たしかに草稿はお預かりいたします。数日中に回答書の最終文案を作成して、臨時会議に諮ります」
 辺見はそう言って支店長室を出た。その夜、辺見は自宅に持ち帰った植田の草稿を確認しながら、最終文案を作成した。植田は、書きやすくて真摯な文章になるという理由から一人称で書いていたので、彼はそれらをすべて三人称に置き換えて、さらに客観的で淡々とした表現にしていった。
 辺見もまた勧告書の出自に推測がついたので、俯瞰的に見ながら虚心坦懐に、また難題を押しつけた相手にかすかな憐憫の情すら覚えつつ冷徹に最終文案を作成した。皮肉のひとつでも利かせてやろうかと、少し気持ちが動いたが、時間と労力の無駄と割り切って手早く片付けることに専念した。
 一月十一日の第三回特別臨時支店会議で承認された最終文案は、翌日上京した辺見によって回答書として正式に吉住取締役に無事提出された。それ以後、取締役自身がこの事案に直接介入することはなくなった。

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