ジグソー 第30回
と、すれば、ケータイをかけてきた息子と、マッサージをしてくれる槇野さんをぼんやりと結びつけて、もしかすると、同じ人物ではないかと、父は推察し始めていたのか。小さな記憶の切片の棘が互いに絡まり大きな塊となって、忘れ去っていた意味合いを再び帯び始める。そんな体験をしていたのか。人の名前も顔も忘却し、過去の出来事を順序立てて語ることもできなかった父が……。やはり、父は気づいていたのか。
今となっては確かめようのないことを自問しながら押し黙る槇野に、栗橋は自分の推測を述べた。
佐伯は認知症だったが、もしかしたら曖昧模糊ながらも息子の「タカヒロ」と槇野を重ね合わせ、理学療法士のマキノタカヒロは自分の息子なのでは、と思うことがあったのではないか。ただ、その認識がどの程度まで明確なものであったかは、誰にも、佐伯本人にも分からないことだろう。
槇野が佐伯に対して、息子であることを明かさなかったことを後悔しているとしたら、その気持ちは理解できる。だが、自分を責めないでほしい。槇野は最後に大いなる親孝行をしたのだから。
そのように思いを開陳したあと、栗橋は貴裕を励ますようにこう続けた。
「それに、この話を伺ったのはまだ私だけなんでしょ? でしたら、私は忘れることにします。佐伯さんが信頼して懇意にしていた槇野さんが、奥様の代行として、身元引受人になって入院や葬儀の面倒を見てくださった。周りの人にはそうしておいていいじゃないですか。書類には息子と書くとしても、あえて周囲にそれをあらためて知らせることはないと思います。僭越ですが」
「ありがとうございます。お心遣い、痛み入ります」
栗橋に丁重に感謝のことばを述べて、職員用の出口に向かいながら、貴裕はなお考えあぐねていた。父は、本当に自分を息子として、名前も含めて思い出すことがあったのだろうか。そうではなく、親身にケアをしてくれるマキノタカヒロという彼にとっては見ず知らずの他人を、ただ単に息子のように思い込んでしまった可能性だってある。
栗橋の解釈にはかなりの整合性があると認めつつも、なお釈然としないものを感じながら、搬入口を兼ねたスチール製の大きな職員用ドアを開けようとした時、和久睦子が背後から声をかけてきた。考え込んでいた槇野は、和久の声が耳に入らず怪訝な顔をされたが、すぐに気づいて二人で佐伯の死を悼み、ひとしきり思い出を語りあった。