ラベンダー 第3回
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渉が長年の逡巡を振り切って今夜打ち明けたことは、かつて翔子の頭をかすかによぎったことでもあった。ひょっとしたら、でもまさかそんなことはないだろう、単なる服装の趣味だろうと、彼女はその疑念が頭をもたげるたびに、それを頭から追い払うことにしていた。むしろ、渉のフェミニンな装いは決して嫌いではないどころか、見事な着こなしだと密かに称賛すらしていた。だが実際に告白されてみると、心の中で「ラベンダー色なんてあるのかな。それはどうでもいいけど、もう五十も過ぎたのに今さら? 先に言ってよ、まったく」と、愚痴らずにはいられなかった。結婚して二十四年、長男の元希は大学三年、長女の陽向は高校三年。このタイミングでカミングアウトかあ。どうしてもっと早く打ち明けてくれなかったのよ、と文句のひとつも言いたくたくなる。
そういえばかつて実際に「先に言ってよ」と思わず口走ってしまったことがあった。あれはいつのことだったろうと、頭をひねる翔子の脳裏にある出来事が甦った。
三月に大きな震災があった年の四月初め、激しく揺れた余震があり、家中の本棚からまたもや、大量の本が落下して床に散乱した。震災後に何日もかかってやっと本棚に戻した本が、再び文字どおり足の踏み場もないほどに散らかった。分かっていれば、この余震が終わってからまとめて片付けられたのに、そうすれば二度手間にならずにすんだのに、という冗談交じりの愚痴を、よく友人や知人にこぼしてみせたっけ。あの時と同じ思いを、私は今抱いているのかしらと自問して、翔子はいや違うと思った。
渉君――翔子は夫にあらたまって言いたいことがある時や、夫のことを突きつめて客観的に考える時、渉を君付けで呼ぶ癖がある――の告白したことは「二度手間」を惜しみたくなる「片付け」ごとではない。じゃあ、なぜ「先に言ってよ」と言いたくなったのか。多分、もっと前に言ってもらっていれば、それだけ無心に安心して(矛盾した言い方かも知れないが)、渉君の繊細でたおやかなところ、あいつの愛おしい個性をもっと長い間楽しめたというか、より深く理解できたはずだからだ。そうすれば渉君も一人で悶々とする時間を過ごすこともなかったはずだ。