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ジグソー 最終回

 松柏園からの帰り道、車窓から見える白い尖塔が、月明かりに滲むように浮かんでいる。白壁のスリットから橙色の光が漏れる。雲の棚引く満月の光は、尖塔のくすんだ緑の丸屋根に留まり、切ない夜道を静かに柔らかく照らしていた。一成がどれほど明瞭にそして深く、貴裕や母や姉を朦朧とした記憶の中に甦らせていたのかは知る由もない。父はそれを楽しいと感じたのだろうか、たとえかすかな知覚であったとしても、それをうれしいと思ったのだろうか。
 今なら名乗れる、と貴裕は思う。
 もし誤嚥を起こさず貴裕が予定どおりに訪問していたら、一成はマッサージを受けながらポツリと言ったのかも知れない。
「たーちゃんの名前はタカヒロだったような気がするなあ」と。そして
「それは、実は僕なんです」と、思わず自分が告白して、晴れて再会を果たせたのかも知れない。
 あるいはむしろ、貴裕が「ダンボにはお母さんがいないと知って悲しくなったのも、パパの部屋で泣きじゃくったのも、ブリュレ・チーズ・デニッシュを姉と一緒に買いにいくのが大好きだったのも、お父さんにケータイで連絡をとろうとしたのも、僕だったんです」と言い出していたかも知れない。
 だが、それはもうかなわない。ただ、晩年の父と触れあった二年に満たない日々を慈しみ、その機会を与えてくれた偶然に、畏怖の念を抱きつつ感謝するだけだ。父もこんなふうに、夜空にぼんやりと浮かぶ尖塔を見つめることがあったのだろうか。月は、その目にはどう映っていたのだろうか。いい尽くせぬ口惜しさに胸を塞がれたまま、貴裕は夜空の闇に溶け込む月の光を、いつまでも全身で浴びていたかった。
 これから一度帰宅して佑美に話そう。父との偶然の再会が、名乗れないまま父の死で未完に終わったことと、リハビリを引き受けるに至るまで逡巡した自分の思いと、そして何よりも自分を認識していないと思った認知症の父が、かすかな記憶を取り戻していたらしいことを。
 今晩は通夜だ。夕食をすませ葬儀社に移動して独りで父を見守ろう。明日は葬儀と火葬だ。妻や子どもたちとともに、父との最後の刻一刻を胸に刻みつけよう。沸々と湧いてきたその思いに身を委ねながら、貴裕は月明かりを惜しむように、ゆっくりと車を走らせた。

【最後までお読みいただきまして、まことにありがとうございました。父と息子の交錯する思い出のぬくもりを感じていただけとしたら、嬉しい限りです。1月20日からは自費出版した『峰坂物語』の「グラデーション」(抜粋)を、週4回(月、火、水、木)連載いたします。日本の高校に留学した日系アメリカ人、ナオミの自分探しの物語です。こちらもご愛読いただければ幸いです】


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