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ジグソー 第21回

 認知症患者の話は、時間、場所、人物や事件の関係が曖昧になり易い。その度に問い質すと混乱するので、ひと区切り話し終えるのを待って、いつ、どこ、誰、何、どのように、と具体的に質問して話をつなぎ合わせることが肝要と、貴裕は大学や介護実習で教わった。
 何よりも、患者の思いに寄り添いながら、肯定的な相槌を挟んで、会話の進行を優しく後押しする姿勢が大事だ。貴裕は前後三回の訪問の機会を費やして、佐伯の話の縺れた糸を解きほぐして、順序を整え欠落部を推測で埋めていった。
 
 久美が大学生、貴裕が高校生の頃、佐伯はイケダの峰坂支店長だった。以前からイケダは、中国広東省深圳市の電子機器会社ワン電子と代理店契約を締結すべく、全社を挙げて取り組んでいた。佐伯は、ワン電子契約推進プロジェクトチーム(PT)のリーダーに任命され、支店長と掛け持ちで峰坂と東京本社と深圳を忙しく飛び回った。チームには本社と各支店から選ばれた、二十代から五十代までの十人が所属した。
 深圳出張の一日目は午前中に上京、本社での会議と打合せを終えて、ビジネスホテルに一泊。二日目は午前中に羽田から深圳へ飛ぶ。五時間ほどで到着して宿泊。三日目は、終日交渉、視察と情報交換をして深圳泊。四日目の帰国便で成田に午後到着して東京泊。五日目午前に本社で報告をすませ、推進班の方針を決めて夜遅く峰坂に戻る。場合によって深圳二泊は三泊になるが、ほぼこんな日程の繰り返しだった。ワン電子も乗り気で交渉は順調に進んだ。支店長兼務で忙しい佐伯には三十代の男性と女性の秘書が付いた。福山と中野という名前だったような気がするが、佐伯はよく憶えていない。彼らは、チームのスケジュール管理を担当し深圳にも同行した。東京では佐伯の送迎も営業車で担当した。
 二度目の帰国便の機中で中野が、皺が目立つ佐伯のスーツの一着を成田で預かり、明朝までにアイロンをあてると言った。佐伯は深圳出張を二着でやり繰りしていた。翌朝、福山と中野が迎えに来て、生き返ったスーツも届いた。以後、中野は佐伯のスーツにも気を配った。
 スーツをホテルでクリーニングしたのかと修子に訊かれた佐伯は、自分でホテルのスチーマーをあてたと答えた。女性部下の気遣いを妻に話すことが面映ゆいのと、修子に余計な心配をかけまいとしたからだ。

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