
ジグソー 第8回
去年の四月、理学療法士として初めて佐伯の部屋を訪れた槇野は、三十二年ぶりに接する父親の姿に驚いた。槇野が峰坂の家ではなく倉兼の母修子の実家に帰るようになった大学三年の頃、一成は身長が百七〇センチ台半ばで体重は八〇キロ前後あったはずだ。それなのに、久しぶりに見る彼はどう見ても百七〇センチには届かず、体重に至っては六〇キロを割っているようだ。槇野が小学生の頃は、一成はもっと太っていて九〇キロ近くあったはずだ。その時は、貴裕より遙かに大きくて強くて逞しくて、自転車でもフリスビーでもキャッチボールでも敵わないと思った一成が、小さくて可愛らしくすら思えるおじいちゃんになっていた。
驚きをひた隠しにして、ひととおりの挨拶と世間話をすませたあと、貴裕は一成のマッサージを始めた。もうすぐ八五歳になる一成は貴裕の指示どおり、ベッドの上で身体を回し右脇を下にして頭を枕にあずけた。貴裕はベッドに上がり、佐伯の背中の後ろに膝をついて、両手で佐伯の左肩から左腕、そして左の脚へとマッサージを施していく。腰回りに脂肪がやや残ってはいるものの、肩、腕、胸、脚の筋肉はすっかりしぼんで骨が浮き出している。そんな枯れ木のような佐伯の堅くて柔軟性を失った身体を、貴裕が優しく揉みほぐしていく。
佐伯の居室のある六階の窓の外には春の陽光が溢れ、新芽がきざし始めた木の葉が歩道を行き交う人々に市松模様の影を投げかけている。佐伯は身体の調子が良いらしく、気持ちよさそうに目をつぶったままだ。佐伯の記憶には空白のまだら模様が縦横に走っている。ピースの欠けているところもあれば、そもそも見当たらないピースもある。それでも時々、いくつかのピースがはまって小さな情景が大きな空白の中にぽつんと浮かぶ。そして、問わず語りに話し出した。
「うちには女の子と男の子がいた。息子の名前は忘れたけど、たーちゃんって呼んでた」
「えっ、偶然ですね、僕もたーちゃんですよ。タカヒロですからね」
「たーちゃんはスパゲッティのことをスパレッティって言ってた」
「へー、かわいいですね。娘さんは何ておっしゃるんですか」
「娘はくーちゃんだけど、名前はやっぱり思い出せない」