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ジグソー 第32回

 貴裕がそんなことを考えていると、和久がひょんなことを言い出した。
「そういえば、佐伯さんのお孫さんがね、増えたのよ」
「え、増えた?」
「ほら、以前話したと思うけど、佐伯さん、食事の時『いただきます』のあとにご家族の名前を呼んでいたでしょ。奥さん、娘さん、娘さんのところのお孫さん、それと息子さんで四人かな。そしてひと言『今日は暑いよ、熱中症に気をつけてね』とか言うのよ」
「あ、あれですね。私も先日聞きました」
 昨年九月のリハビリの最終日、一成が遅い昼食の前に、家族四人のあだ名を呼ぶのを帰りがけに聞いたことを、貴裕は和久に話した。
「あら、槇野さんも聞いた? それがね、去年の秋頃かな、それまでは四人だったのが急に六人になったのよ。お孫さんがね、娘さんとこの『さっちゃん』だけだったんだけど、急に二人増えて……。えーと、なんていったかな、『ともちゃん』と『よっちゃん』だったかな」
 不思議に思った和久は、佐伯に尋ねたと言う。
「双子のお孫さんでも生まれたんですか」
「いや、忘れてたの思い出した」
「これからは忘れないようにしないといけませんね」
「そうだね、でも、不思議とご飯の前に言う名前はね、忘れないんだ。時々これ誰だっけと思うけどね」
 そう言って和久は、巧まざる佐伯のユーモアを思い出し、懐かしそうに目を細めた。
 貴裕は驚愕した。忘れもしない最後に父と話したあの日、我が子の名前を知哉と美乃だと教えると、一成は何かを考え込んでいるようだった。「ともちゃん」と「よっちゃん」が食前の呼びかけに加わったということは、一成はやはり槇野貴裕は、自分の息子の「タカヒロ」ではないかと、霞のかかった記憶の中で思い当たっていたことになる。
 和久との立ち話を終えて車に向かって歩きながら、貴裕は頭の中を整理した。父は、いつからかは分からないが、自分を息子として、そして知哉と美乃を孫として、朧気にではあっても認識することがあった。そう考えるほうが妥当だろう。だが、どのようにして雲散霧消しかかった記憶の断片が、再び寄り集いつながり合ったのだろう。どのようにして、まだらな記憶が一様な色合いを取り戻したのだろう。灰の中から掻き出された埋火(いけび)が、再び輝きを増すように。


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