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ラベンダー 第10回

 翔子はすがるような気持ちで、千尋に確かめる。
「じゃ、大げさに考えることはないのね?」
「以前は、嗜好障害とか倒錯症なんていうことばが使われたこともあったんだけど、今はないね。昔から、女装の男の子が踊るお祭りとか、役者が異性を演じる舞台とか、異性装の人物が出てくる小説や映画はたくさんあるじゃない。谷崎潤一郎の『秘密』には、女物の着物や白粉の美しさに耽る男の心理が描かれていて、ゾクッとする描写があったと思う。平安時代には『とりかへばや物語』っていうのがあって、貴族社会で姉は男として弟は女として、奇想天外な人生を送る話だけど、ある意味、当時の人の潜在的な願望を描いているともいえるし」
 児童心理カウンセラーの資格を持つ千尋は、何を言おうとしているのか。翔子は聞き入った。
「男性も女性も心の中に異性の自分がいる、異性的な側面があるというのは珍しくないというか、あたりまえのことなのね。で、大雑把に言うと、普段は社会の中でそれを出さないようにしているわけ。ほら、男だから泣くな、とか、女らしくおしとやかにしなさい、とかいうでしょ。あれは、そういうふうに、とりあえず物事を分けて捉えると、何かを知ったり、記憶したり、作ったりする時に都合がいいから、そうしてきたわけなんだって。
 それで、分け方にはいろいろあるけど、一番簡単で使いでのあるのが、物事を二つに分けるやり方、つまり二分法ね。男と女に分けるのもそのひとつね。他にも陰と陽とか、上と下とか、右と左とか、熱いと冷たいとか、コンピュータの0と1とか。
 でも、それ以前、人間が世界を区分けして考えて文明が発展する前の、かなりの大昔はそうじゃなくて、例えば神話にも、男でも女でもある神様がいたりするのよ。両性具有の神っていうんだけど」
 どこかで聞いたことがあるけれど、深く考えたこともなく忘れていたことばが出てきて、翔子は落伍しないように賢明に千尋についていく。大学時代の授業ならとっくに居眠りしているところだ。
「神話って昔の人の考え方を映したものでしょ。じゃ、私たち人間も大昔は、自分たちを男でも女でもあるって考えていたってこと?」

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