サニー・スポット 第35回
「ひと言で言えば、迷走した時代の被害者ということでしょうか。あの頃は社会のセクハラ認識の黎明期あるいは啓蒙期といっていい時代で、ルール作りが間に合っていませんでした。セクハラって何の略? という頃でした。共通の認識が形成されておらず、満足な規定も作られていませんでした。セミナーでにわか知識を身につけ、先行する他の団体や会社などの規定とか申し合わせを、ほぼ丸写ししている状態でした。誰もが初めてのハラスメントの処理を、不十分な認識と規定だけを頼りに、手探りで進めるわけですから時間がかかりました。
高藤君もその意味では、未成熟な時代の犠牲者だと僕は思います。現在では、訴え人と訴えられた人間のどちらも、不利益を被らないように万全の注意を払いながら、より合理的かつ迅速に事態の解決を図る手段に改善されているはずです」
こう話して一度ことばを切ってから、辺見はやや逡巡したが、あらためて意を決して、杏子に告げた。
「それから、退職した今だから言えますが、あの事案処理には銀行内の派閥争いという、予想外の力学が作用してしまいました。本来あってはならないはずのことが、起きてしまったんです」
辺見は、合併直後の未熟な組織ガバナンスの盲腸ともいえる、銀行内の派閥間軋轢が間接的に招いた、特別事案の調査と審議の停滞について手短に説明した。それを聞いて「そんなことがあったんですか」と言って驚きを隠さない杏子に、辺見は胸襟を開いた。
「この予想外の遅延がなければ、事態はひと月ほど早く進行したでしょう。とすれば、滅多に起こるはずのない暴風雪の夜に、高藤君が車を運転することもなかったかもしれません。その意味で高藤も被害者だといっていいと私は思います。さらに、ある意味では、当時の吉住取締役と山畑副支店長も、未成熟な時代の受難者ではないかと思うこともあります。山畑さんが吉住さんに何らかの告げ口をしたわけでもなければ、吉住さんが対立派閥の不利な情報を山畑さんに探らせたわけでもないと思います。彼らは、社会全体がハラスメントという新しい問題への対処を手探りで進めざるを得ない状況の中で、派閥の重力に意図しないまま引きずり込まれ翻弄されたのでしょう。
まさに、過つは人の常。そしてさまざまな未熟さや過ち、それに拙速や不備などが折り重なって、事態は行きつ戻りつしながらも、何とか一応の決着に辿り着いた、というのが私の実感でした」